第13話『犬神に選ばれし者』
犬神神社の鳥居が見えてくると、ゲンキは嬉しそうに「ワン!」と一声あげて、ぴょいっと先に駆けだした!
「わっ、ちょっと待ってよ〜、ゲンキ〜!」
犬神神社の鳥居を抜けた、その瞬間——
ふっと、空気が変わった。
さっきまで聞こえていた車の音も、遠くの話し声も、
まるで水の中に沈んでいくみたいに、すぅっと遠ざかっていく。
風の匂いが変わる。
夕暮れの空気の中に、どこか懐かしくて――
でも知らない匂いが混ざっていた。
(……え?)
身体の奥が、ざわりと波打つ。
ヒカリと手を重ねたときに感じた、あの不思議な感覚が――また静かに広がっていく。
そして気づけば、鳥居の向こう側だけが、
まるで別の世界みたいに静かに揺らいで見えた。
私は一歩足を踏み入れて、周りをきょろきょろと見渡す。
「やっぱり……なんか、空気がピリッとしてる気がする……?」
そのとき、不意に視界の端に違和感が飛び込んできた。
「……あれっ?」
本殿の脇。
木々に半分隠れるみたいにして、小さな祠がぽつんと佇んでいた。
「こんなところに……祠なんて、あったっけ?」
眉をひそめながら、そろ〜りそろ〜りと祠に近づいていく。
見覚えがないはずなのに、なんでだろ……なんか、すっごく懐かしい気持ちになる……。
「ここ……なんか、すごく大事な場所な気がする……」
言葉にできない感覚だけが、ずっと身体に残っていて——
「やっぱり気づいたみたいね」
その瞬間、やわらかな声が背後から聞こえた。
「ひゃっ!?」
慌てて振り返ると、そこにはヒカリとシロが立っていた。
「ヒカリっ!? シロまで!? ど、どうしてここにいるの〜っ!?」
ヒカリはふんわり微笑んで、こっちを見つめてる。
シロは夕暮れの風に毛並みを揺らしながら、いかにも意味ありげに近づいてきた。
……なんか、急にラスボス感すごいんだけど!?
《フフ……この刻を待ちわびたぞ、犬神千陽よ》
「えぇぇ!? なんか始まった!?」
ヒカリは祠に目を向けながら、静かに言った。
「あなたを導くためよ」
すると、シロがゆっくり前へ出た。
《犬神千陽よ――
目覚めの刻は、すでに訪れている》
ゆっくり目を細めながら、
シロは静かに続けた。
《結界を繋ぎ直さねばならぬ。
今、“境界”は少しずつ綻び始めている――》
夕暮れの風が、ざわりと木々を揺らす。
《このまま均衡が崩れれば、やがて深淵の闇は境界を越え、この地を呑み込むだろう》
(うわぁ……これ、理系派の隆之が見たら失神しちゃいそう……)
「ちょ、ちょっと待って待って待って!?
急に話のスケールがファンタジーすぎない!?」
私は両手をぶんぶん振りながら、慌ててシロへツッコんだ。
「つまり……この祠がヤバくなったら、町も危ないってこと!?」
《ふっ……。
貴様には、まだ言葉の真意までは届かぬようだな》
「そーいう回りくどい言い方やめてよ〜っ!」
ヒカリが小さくくすっと笑った。
「シロは昔から、大事な話ほど難しく言いたがるのよ」
肩をすくめながらそう言うと、ヒカリは静かに祠へ視線を向けた。
「今朝、先生が話していたでしょう?
百年前の大災害のとき、日向町だけがほとんど被害を受けなかったって」
夕暮れの風が、もう一度木々を揺らす。
「……この町は、ずっと護られてきたの。
犬神様の力によって」
その声は静かだった。
なのに、不思議なくらい耳に残った。
「だけど今、その力が弱くなり始めている。
このままだと……“境界”が崩れるかもしれない」
「えぇっ……!?
じゃあ、この祠ってめちゃくちゃ大事なやつじゃんっ!?」
「そのとおりだ、犬神千陽よ。
貴様は選ばれし者——今こそ、試練の刻だ!」
「いやいやいや、ちょっと待って!?」
私は思わず両手をぶんぶん振った。
「なんでそこで“選ばれし者”になるの!?
なんで私じゃなきゃダメなのっ!?」
ヒカリは静かに私を見つめる。
「……確信したのは、あの時だった」
「え……?」
「あなたと手を繋いだとき……。
犬神さんも、何か感じてたんじゃない?」
その瞬間、あの日の感覚がぶわっと蘇る。
身体を駆け抜けた、不思議な熱。
頭の奥に流れ込んできた、知らない神社の景色。
「……あれって……」
思わず息をのむ。
胸の奥がざわざわして、さっきまでの冗談みたいな空気が、少しずつ現実に変わっていく。
「し、試練って……何をするの?
まさか、この祠の中に入ったりする感じ……?」
シロの前足がふわりと動くと、
空間に淡い光が走り、静かに一つの“かたち”が現れる。
浮かび上がったのは――白銀の首輪。
月の光をまとったような、澄んだ輝きがゆっくりと空中を漂っていた。
よく見ると、その首輪には四つの刻印が浮かび上がっていて、どれも静かに、でも確かな存在感を放っていた。
「……え?」
《犬神千陽よ、これを貴様に託す》
「ちょ、ちょ、まっ……なんで私が首輪!?!? 人間ですよ!? ほら見て、この手足! 二足歩行!!」
思わずその場で、くるっと一回転っ!
スカートのすそがふわっと広がって、
「ほらほらっ、ねっ? わたし、完全に人間スタイル!!」
って、ちょっと必死にアピールしちゃう。
しかし、シロはすっごい真顔で言った。
《これは犬神神社に伝わる秘宝――“犬神の首輪”。
貴様がそれを身に纏うとき、眠れる力は再び目覚めるだろう……》
「……いやいやいや、どー見ても犬用だよコレ!?
ゲンキにぴったりサイズだよ!?」
私はゲンキの方をチラッと見る。
「ゲンキにつけてもダメ〜?」
私は首輪を持ったまま、ゲンキのほうを見る。
するとゲンキは――ぷいっ。
あからさまに顔をそらした。
「えっ」
耳がぺたんと下がって、なんとも言えない微妙なお顔。
しかも、私と目が合った瞬間――
そろ〜り。
そろ〜り……。
じわじわ距離を取り始めた。
「ちょっ、なんで逃げるの〜っ!?」
思わず声を上げると、
ゲンキは「え、ボクは遠慮しときます〜」って顔のまま、さらにすっと視線を逸らす。
……もう、笑うしかなかった。
《フッ……逃げるか、犬神千陽よ》
「逃げてないってば〜!!」
ヒカリは微笑みながら「でも、きっと犬神さんになら似合うと思うわ」とか言ってくるし!
「もう……これが試練ってやつなの!?」
私はしぶしぶ首輪を受け取った。
――その瞬間。
じんわりとした温かさが、
指先からゆっくり身体の奥へ広がっていく。
「……あれ?」
不思議だった。
初めて触れたはずなのに、
理由の分からない安心感が広がっていく。
こんな不思議なこと、現実にあるわけないのに。
(なんで、この首輪……
こんなに落ち着くんだろう……)
頭の中がぐるぐるして、現実感がどんどん遠くなっていく。
それなのに、気づけば私はヒカリの横顔を見つめていた。
その横顔は、どこか静かで……
この場所の空気に、最初から馴染んでいるみたいだった。
「ねぇ、ヒカリ……あなた、いったい何者なの?」
気づけば、その言葉が口をついていた。
ヒカリは静かに、でもどこか優しげに答える。
「私は……あなたと同じ。
“犬神に選ばれし者”――そう呼ばれる存在よ」
その瞬間――何かが、静かに揺れた。
「……私と、同じ……?」
ヒカリの言葉は優しいのに、
まるで遠くから聞こえてくるみたいで、少しだけ寂しく感じる。
「じゃあ、ヒカリ……あなたの本当の正体って……?」
問いかけた声は、自分でも分かるくらい震えていた。
だけどヒカリは何も答えない。
ただ静かに――
私を見つめ返していた。
……まるで、“答えを知る覚悟はある?”って、
試されているみたいに。




