第六話 渾身のファンファーレ(1)
ラポール王国の都から馬車で一週間(ドラゴンだと半日)ほど、西の方角へ進むと、だだっぴろい丘陵や深い森に囲まれた田舎の風景に辿り着く。
いくつかの村や町が集まったその地域を総称して「ラポール西部」と呼んだ。そこは隣国オルバルドとの国境にきわめて近く、のどかな見かけとは裏腹にしばしば領土争いの火種の元となる要衝であった。が、そこに住む人々は魔法使いも魔法無しも呑気な気質らしく、普段から争いや襲撃の心配などは全くせず、稼業や娯楽に精を出していた。軍隊の駐屯地がすぐ近くにあるので、いざとなったら守ってもらえるという安心感もあった。山一つ越えたらそこはもうオルバルドなので、昔から商人などは互いの国に行き来して、収穫した野菜や穀物やら、余暇にこしらえた雑貨やらを売りさばいていた。(時々、互いの国の軍隊に見つかり、大目玉を食らった)
都やら街やらと比べると人数は格段に少ないが、ラポール西部にも楽団はちゃんと存在している。ただしオーケストラではなく、管楽器と打楽器で構成された吹奏楽団だ。正式名称は「ラポール・ウエスト・ウインド・アンサンブル」だが、長いのでいつも略して「ウエスト」と呼ばれていた。
マエストロも勿論「ウエスト」とは何度も共演しており、都を出発した後まっすぐ彼らの練習場にやってきた。季節は晩秋、農閑期にさしかかるこの時期は、楽団の本番が増えてくる。本業のかたわら音楽をやる者たちの時間に余裕が出てくるし、聞き手側も暇になる分演奏の依頼が集まるのだ。
直近の本番は、野外でまる二日行われる火祭りだった。来る冬に備えて熱い食べ物をお腹いっぱい食べ、体がぽかぽかと温まるような体操や踊りを皆で楽しみ、最終日の夜にはとびきり大きなかがり火を燃やす。魔法のありなしにかかわらず皆が楽しみにしているお祭りである。ウエストの出番は開幕一番、冬の気配をぱあっと吹き飛ばすような元気な演奏を、と主催側から頼まれていた。
マエストロは火祭りの一ヶ月前に到着し、連日合奏やパート練習の指導に明け暮れた。楽器を始めたばかりの新しいメンバーも数名いたが、彼らもすぐにマエストロと仲良くなった。
ある日、メグと呼ばれるトランペットの少女が、マエストロの元へやってきた。なにやら深刻な顔をしている。
「マエストロ……実は、ご相談したいことがあって」
「なになに、どうしたの?」
マエストロは誰もいない練習室で楽譜を見ながら指揮のおさらいをしていたが、手を止めてメグに座るよう促した。
メグは楽器を膝に置いて、うなだれた。
「……あたし、最近ずーっと調子がとんでもなく悪くて」
マエストロは口をはさまず、ただ眉を上げた。
「前は普通に吹けた音が、全然当たらないんです。合奏中も音外しまくって、音色もどんどん悪くなっていって……他の皆はめっちゃうまいのに、あたしだけ下手になってて。これじゃまずいって思ったからひたすら練習してるんですけど、吹けば吹くほど音は外れていくんです。前は、そんなことなかった。ちょっと調子悪いなって思った時は、たくさん練習すればするほどましになっていきました。……でも、今度は違うみたいなんです。どうしたらいいと思いますか」
疲れた声で、メグが問いかけた。
「どれ、今吹いてごらん」
マエストロに言われて、メグはトランペットを構えた。大きく息を吸い、いちばん苦手な音を、16分音符で4拍間スタッカート、その後全音符のロングトーンで吹いた。音の頭は無難だったが、その後のタンギングで音がみるみる崩れていく。
メグは顔をしかめ、もう一度同じように吹いた。出だしの音が外れ、その後の音は減衰していった。もう一度。おそるおそる吹いたためか外れはしなかったが、貧弱な音になってしまったし、ロングトーンの最中で音が変わってしまった。
「アンブシュア(唇の形)が、音を切るたびに崩れているよ。一音一音吹き直すんじゃなくて、長いロングトーンを均等に切り分けて。もう一回」
メグは、楽器に吹き込む息を長く伸ばした。
「……それじゃあテヌートだな。もう少し音と音の間を開けられる? はい、どうぞ」
メグは、舌で勢いよく音を切った。音はもつれ、ベルから無残に転がり落ちていく。
「少しインターバルする?」
「いいえ!」
メグは悔しそうに断った。
「まだつかめてないのに、休むわけにはいきません!」
「休まないと唇がバテるよ」
「大丈夫です」
じんじんとしびれる唇を動かしながら、メグは反論した。
「きっと、今うまくいかないのは、自分の体がまだトランペットに完全に慣れていないせいだと思うんです。先輩たちは、何時間吹いても全然音外さないし。吹いて吹いて吹き続ければ、きっとあたしも……」
マエストロは少し呆れてメグを見た。また楽器を構えようとしたので手を挙げてとどめ、こう言った。
「メグ。君のすべきことがわかった。休息だ。今日から一週間、楽器は一切禁止。マッピのみの練習もね」
「えーっ!!」
メグは驚いて抗議する。
「一週間も休んだら、本番まで残り三日になっちゃうじゃないですか!!」
「そうだね」
「それじゃ困ります! 本番までにスランプを脱しないと……!」
「駄目。指揮者命令です。本当のことを言えば、一ヶ月でもいいくらいだ」
「そんな……!」
「メグ、努力と練習は裏切らないって言葉があるし、君はそういうのが大好きなんだろうけどね」
マエストロは珍しく厳しい声音で言った。
「間違った練習は君を裏切るどころか、宿敵だ。今日を限りに縁を切りなさい」
メグはトランペットを下ろし、しぶしぶうなずいた。
「一週間練習を休むなんて、初めてでしょ。おいしいものを食べたり、のんびり散歩したりして、好きに過ごしなよ。パートリーダーには自分から言っておくから」
「……いえ、祭りの準備を手伝います」
楽団員は演奏の練習時、祭りの準備を免除されているのだ。
マエストロが口を開きかけた時、練習室の扉がバタンと大きく開いた。
「マエストロ!」
聞き覚えのある低い声に、マエストロはゆっくりと振り向いた。
背の高い髭面の軍人が、険しい顔でマエストロを睨みつけている。驚いたメグはその場に固まったが、マエストロは微笑んで手を振った。
「やあ、テオ」
テオ__テオドール・ラズリー元帥は、つかつかとマエストロたちに近づいた。
「あなたをさんざん探した」
「それはそれは、お疲れ様です」
ぺこりとマエストロが会釈した。テオはそれを慇懃無礼ととったらしい。彼の眉間に皺が寄る。
「西部にいくなら行くで、何故私に一言いわない!」
怒鳴られ、マエストロは抗議した。
「だってさ、あの成人お祝いの後、テオはすごく忙しそうで、会う暇もなかったじゃない。一応リゴには声かけたんだよ。西部に行くけどいい? って」
「……返事は?」
「快く送り出してくれたよ。行かっしゃい行かっしゃい、って」
テオはむすっと黙り込んだ。
「挨拶なしで出発したのは悪かったけどさ、こうして会えたからいいじゃないか」
テオの返事はない。きっと『会えたのはこっちが探し回ったからだろ!』と思っているに違いない__とメグは想像した。
テオは諦めたように首を振り、空気中から一巻きの紙と、透き通った赤い石のブレスレットを取り出した。
「……これを」
「はい、ありがとう」
マエストロは紙を広げた。あちこちに×印がついた地図だ。
「印がついているところが『薄く』なっている。あなたの力を借りたい」
「もちろん。火祭りが終わったらすぐに行くよ。それでいい?」
「ああ」
もう一つ、赤い石が連なったブレスレットをつまみ、マエストロは眉をひそめた。
「これは?」
「なくしたと聞いたので、新しく用意した」
簡単な説明だが、マエストロには分かったようだ。あまり気乗りしていない顔でブレスレットを右の手首にはめた。
テオが釘を刺す。
「もうなくさないように」
「努力しますよ」
「前回『わざと』なくしたのか、そうでないのかは聞かない。これをつけるのは、あなた自身の安全のためだと分かってもらいたい」
「分かってます、それは」
メグが質問したそうな顔をしていたので、マエストロは「俺の居場所を常に把握するための魔法具だよ」と説明した。
テオがまだじっと自分を見つめていたので、マエストロは「どうしたの?」とやや苛立ったように尋ねた。
「マエストロ……あなたは、自分の行きたい場所どこにでも行くのだろうが」
「そうだね」
「……可能ならば、オルバルドにはいかないでもらいたい」
「それは約束できませーん。俺は皆のマエストロだから」
テオはまた顔をしかめたが、マエストロにはもう何も言わなかった。その時はじめてメグに気がついたように顔を向ける。
「……大事な話の途中に、邪魔をしてすまない」
「あ、いいえ!」
メグは慌てて首を振った。
「むしろ、あたしの方こそ、こんなお偉いさんたちの大事な話を聴いちゃってすみませんというか……」
「大丈夫だよ。秘密は守れるよね、メグ」
マエストロが笑いかけた。テオは首を傾げる。
「何か相談していたのか?」
メグはうなずいた。トランペットを上手く吹けないこと、一週間の練習禁止を命じられたこと、でも自分はそれに不満であること……多分もう二度と会うことはないであろう相手だからこそ、友達に対してよりも気楽に話すことができた。
テオは少し考えてから、メグに言った。
「……その一週間、軍の訓練に加わってはどうだ?」
「えっ?」
この提案には、メグもマエストロも驚いた。
「ちょっとテオ、どういうつもり……」
「訓練って、魔法無しでも混ざれるんですか?」
テオはこの部屋に入ってきてはじめて、微笑んだ。
「魔法無しの訓練生もいる。彼らには彼らの強みがあり、訓練次第で魔法使いをしのぐ強者になることもできる」
「やります!」
メグはマエストロのしかめっつらを無視して、片手を高く上げた。
「一週間だけでいいんですよね? 頑張ります! よろしくお願いします!」
「よろしく」
テオが右手を差し出した。その手を握ると、石のように固かった。




