第十二話 鳥になれ
オルバルド__ラポール、シグナス、クロスランドの三国と国境を接する強大な帝国。軍人上がりの皇帝イザーク一世の下、峻厳な規律と他を圧倒する軍事技術で鍛え上げられたオルバルドの兵士たちは、この世の何よりも恐ろしいと、近隣国の人々から恐れられていた。
半世紀前には、オルバルドの領土は現在の半分程度しかなかった。それが、平均的な人間が生まれて死ぬまでよりも短い時間で、小国・大国を次々とのみこみ、大陸で最も広大な国土を持つようになった。
帝国の輝かしい歴史に、魔法は勿論不可欠だ。英雄王の元に集う騎士たちはこぞって決闘の魔法を磨いた。野望を抱く平民たちが、料理を作り洗濯をする日常の魔法を、むしろ他人の物を奪うための魔法に昇華させた。将校のクーデターを支えた学者たちは、旧体制の目を盗み魔法の研究を発展させた。
全ては、勝利のために。ひいていえば、我が身を守り、何者にも脅かされない生活を保障するために。今の生活に足りないものを、よそ者から奪うために。イザーク帝はそう臣下を鼓舞した。皇帝の言葉は、その地位にふさわしく、常に正しい。進歩のない国に幸福はない。誰もがそう理解していた。
けれど、そんな国にもやはり__ 魔法無しは存在した。
ラポールとの国境付近に建つ軍事施設の一室で、とある人物の入国審査が行われていた。
「名前は」
「ユリシーズ」
「年齢は?」
「四十七です」
「職業」
「指揮者です」
胸を張り、にこやかに答える眼鏡をかけた男__マエストロを、オルバルドの軍人がじっと見つめた。傍らに立つ部下が、彼のパスポートを精読し、出国許可や移動履歴に嘘がないか調べている。
「では、オルバルドに滞在する目的は?」
「演奏旅行ですかねぇ」
マエストロは目を細めた。
「他にも、友達に会ったり、おいしいものを食べたりするつもりだけど」
笑いかけられても、軍人たちはにこりともしなかった。
「魔法無しだな」
「ええ、そうです」
マエストロは照れも恥じもせずまっすぐに答えた。
「何か問題でも?」
「我が国では、外国人の魔法無しは、オルバルド人で魔法使いの保証人が二人いないと、入国を認められない」
「あれ、そうなんですか? 前はそうじゃなかったよね?」
「昨年規則が変わった」
マエストロは腰を浮かせ、苦笑いする。
「しばらく行ってなかった罰が当たったな」
それから、目の前の軍人たちの視線が尖ったことを察し、慌てて言った。
「陸軍大佐のダミアン君、オルバルド国立大学学長のリーンハルト。これでどうかな。自分は、彼らに呼ばれたからこの国に来たんだよ」
軍人たちは顔を見合わせた。部下が部屋を出て、確認しに行った。
ほんの数分後、彼は走って部屋に戻り、報告した。
「大佐どのがまもなく来られます」
マエストロが頬を緩めた。
「ああ、よかった」
もう一人の軍人が、パスポートをマエストロに返却した。
「よろしい。では次に、鞄の中身を調べさせていただく」
「鞄の中身?」
マエストロは思わず、床に置いた黒い鞄を引き寄せた。
「大した物は入ってないよ。楽譜と指揮棒、あとは財布だけ。これも前には何も言われなかったけど?」
「規則が__」
「ああ、去年変わったんだったね」
マエストロはひそかに冷や汗をかいた。クロスランドで回収した『禁じられた楽譜』が、そのまま鞄に入っている。もし見つかったら?
「大した物が入っていないのなら、我々に見せられるはずだ。よこしなさい」
「……嫌です」
「何故?」
「何故でも……」
マエストロは鞄を抱え、椅子の上で身を引いた。
「ラウレンツ曹長、第三の目を使っては?」
部下が進言した。ラウレンツはくるりと振り返り、部下を睨む。
「使う使わないは、私の自由だ!」
「失礼しました。もしお出来にならないのであれば、私が……」
「黙れ!」
ラウレンツが怒鳴りつけ、部下は口を閉ざした。だが、口元がわずかに意地悪く歪んでいることにマエストロは気がついた。立場が上であるはずのラウレンツの呼吸がやけに乱れている。
ラウレンツにまっすぐ向き直り、マエストロは言った。
「自分を他の外国人観光客と同じ扱いをしていいと、どなたが許可を出しましたか? ダミアン君に確認していただけますか」
「大佐閣下をそんな無礼な呼び方で……」
「繰り返しになりますが、自分は彼に“お願いされて”ここに来ました。お呼びでないなら今すぐにでも引き返したっていいんですよ」
その時、扉が開き、背の高い黒髪の男が入ってきた。右頬を大きく裂く傷跡と、ポニーテイルにした豊かな長髪が特徴的だ。
「マエストロ!」
彼にそう呼ばれ、マエストロはほっと安堵の息を吐いた。
「お久しぶりです、マエストロ。我が国に足をお運びくださり、大変うれしく思います」
ダミアンは微笑み、マエストロと握手をした。
「こちらこそ、ダミアン君。オルバルドに来れてうれしいよ」
ダミアンの手を握り返しながら、マエストロは気がついていた。相手の目がちっとも笑っていないことに。
「皆さんお元気ですか」
「おかげ様で。きっと、マエストロにお会いしたら喜ぶことでしょう。__ラウレンツ!」
階級がいくつも上のダミアンに急に呼ばれ、ラウレンツはぎょっと居住まいを正した。ダミアンは目を細め、くつくつと喉を鳴らした。
「君のことは、上官から報告を受けた。気の毒なことだ」
「……は」
ラウレンツの顔が、みるみる青ざめていく。反対に、部下がうれしさをこらえきれずに顔の筋肉を動かしていた。
マエストロの前で、ダミアンはラウレンツに通告した。
「ラウレンツ、国境警備の任を解く。後任はクルト、君が努めてくれたまえ」
「大佐閣下、そんな__」
ラウレンツは真っ青になり、後ろにまとめた自分の髷をつかんだ。ダミアンが口元を緩めた。
「ラウレンツ、君は幸運だった。君にはまだやってもらう仕事がある。……大切な客人、マエストロを案内したまえ。彼には行ってもらう場所が山とあるのでね」
マエストロは眉を上げ、ラウレンツに小さく手を振った。
「マエストロ、滞在費と謝礼の説明を部下がしますので、あちらへ」
退室を促され、マエストロはいそいそと立ち上がった。(鞄の中を見られなくて、本当によかった)クルトが後を追った。
マエストロとクルトが出ていってから、ダミアンはラウレンツにささやいた。
「マエストロの動向を常時見張り、毎日報告するのだ。それから、少しでも怪しい行動や思想があれば、直ちに拘束しろ。彼は魔法無しだ。反魔法組織といつ結びついてもおかしくない」
「はっ」
応えながら、ラウレンツは迷った。迷いを見透かしたように、ダミアンが尋ねた。
「そこまでの魔力がないか?」
はっと顔を強張らせたラウレンツの肩を、ダミアンは軽く叩いた。
「心配するな。マエストロとしばらく一緒にいれば、魔力はじきに戻る。だが、気を許すな。マエストロが異国人で、魔法無しであることを決して忘れるな」
ラウレンツは無言でうなずいた。
施設を出る時、見送るダミアンに、マエストロがふと尋ねた。
「そういえば、ベルント君は元気にしてるかな?」
「ベルント?」
「あれ、知らなかったかな。君と同期入隊だったと思うけどな。北部出身で、眼鏡をかけた……」
「ああ……」
ダミアンは口の端に笑みを浮かべた。
「元気らしいですよ」
「そっか。よかった。会いに行こうかな」
ラウレンツは思わず首を振った。
「マエストロ、お前……いや、あなたの行く先は」
「分かってますよ。さっき地図をもらったからね」
紙の地図を振りながら、マエストロはいたずらっぽく笑った。
「でもさ、怖い人に詰められて、お腹が空いたんだよね。まずは何か食べに行こう」
「いや……」
その時ラウレンツは、ダミアンの口の動きに気づいた。好きにさせておけ。
「……分かりました。お供します」
「おやおや、ご丁寧にどうも。よろしくね、ラウレンツ君。美味しいお店を教えてね」
ラウレンツは、さっさと歩き出したマエストロの後を慌てて追った。
鳥になれ。翼を持て。滑らかな肌と強い腕を捨て、いざ自由に飛んで行け。
親友の言葉を、ベルントは目をつむって聴いた。目を開けても、自分の体は何も変わらない。二本ずつの手足、筋肉のついた体、かけた眼鏡も、無残に短く刈られた髪の毛も。
「……人間のままなのは、やっぱり、魔力を失えば魔法にもかかりにくくなるのだろうか」
そう呟くと、親友は首を振った。
「違うよ。そうじゃない。俺に迷いがあったからだ」
「迷い?」
「ベルントが鳥になったら悲しい」
「あのな__」
「分かってるよ」
鳥になりたいと望んだのは、ベルント自身だ。
一ヶ月ほど前、任務中に違和感を覚えた。二週間前には、魔法を以前のように使えなくなった。一週間前、軍医に魔力の消失を告げられ、四日前には軍隊を追い出された。髪の毛を刈り取られ、魔法無しの居住区に移動するよう命じられたのは昨日のことだ。
「頼む」
「ベルント__」
「魔法がなければ、人間として生きられない。俺たちさんざん見てきただろ」
そして、ベルントは友と約束をした。どちらかが魔力を失ったら、もう一方が相手を鳥に変えてやると。こんなことを誓い合えるのは、子供時代から一緒に過ごし、同じ年に入隊し、以来任務でも私生活でも助け合ってきた親友しかいない。
「ベルント、お前の魔法がもし戻れば」
「ない話をしてもしょうがないよ」
魔力を取り戻す薬も医療技術も、未だ確立されていない。方法があったとしても、払うべき対価が高すぎて、一士官のベルントにはどうしようもない。
ちらりと、何年か前に酒を交わした相手の顔が浮かんだ。自分のように眼鏡をかけて、今の自分のように短く刈り詰めた頭の男。外国人だが妙に親しみやすく、意気投合した。彼は魔法無しで、でも魔法を回復させる方法を知っていると言っていたっけ。
けれど、彼は今どこの国にいるのかすら分からない。魔法無しの移動の自由がないこの国では、彼を探して外国を旅することなど夢のまた夢だ。
「お願いだ、友よ」
「……わかった」
親友の声は、震えていた。それでも、ベルントの肩に手をかけ、魔法をかけた。
「鳥になれ! 翼を持て! 滑らかな肌と強い腕を捨て、いざ、自由に飛んでいけ!」
今度は成功、大成功だ。羽毛がわっと生える奇妙な感覚に耐え、ベルントは息を吐き出した。胸が膨らみ、足は萎えた。その代わり、翼が揃い、空へ逃亡する準備ができた。
さよなら、友よ。そう呼びかけたはずが、声にはならなかった。鳥の歌を歌いながら、ベルントは飛び立った。
「白鳥だ……」
親友は空を見上げ、純白の鳥が雲へ空へと飛んでいくのを眺めていた。
オルバルドのとある町で、ちょっとした騒動が持ち上がっていた。
人だかりの中心に立つのは、魔法の弾を込めた鉄砲を持つ少年だ。絶対に獲物に命中する鉄砲は、父親から誕生日に買ってもらったものだった。
その鉄砲で、彼は白鳥を撃った。
見事に命中し、純白の羽と肉が手に入るはずだった。
ところが、撃たれた白鳥は、地面に落下してくるころには、一人の男の遺体に変わっていた。
「とんでもないことだ!」
集まってきた大人たちが騒ぎ、少年は真っ青になった。けれど、一人の野次馬が指摘する。
「けど、こいつは魔法無しじゃないか。見ろ、髪が短い」
「本当だ!」
大人たちは、震えていた少年を優しく励ました。
「大丈夫だ、君は殺人罪に問われることはないぞ。ま、次からは気をつけるんだな」
「役人に報告して、死体を片付けてもらおう」
一緒に落ちてきた眼鏡を、誰かが踏み潰し、振り向きも見下ろしもせず去っていった。




