第34話 白い塔を這う影
用意された個室で、作戦書を提出した将校の顔が青ざめた。
三日三晩、寝ずに書き上げたというその書類は、部屋の主であるヨルカの前で、無残に却下された。
作戦部で練られた計画は、これまで通り上層部に直接上がることはなくなっていた。すべて彼女を通すことになった結果、作戦の成功率は劇的に上がった。
だが、同時に男たちの胃は日に日に痛みを増していった。
「しかし……リスクも十分に検討されていますし、成功の可能性もかなり高いと……」
男はまだ諦めきれず、食い下がる。
ヨルカは表情一つ変えずに、静かに言った。
「いいえ? ダメです」
その一言で、男の顔がさらに白くなった。
この後一時間にわたり、彼女は淡々と、しかし容赦なく「何故ダメか」を突きつけていった。数字と論理と、わずかな人間心理の隙を、冷たくも的確に抉り出す。
「……僕が、ダメでした」
部屋を出る頃には、将校は肩を落とし、ふらふらと廊下を去っていった。まるで生きていく自信そのものを、根こそぎ持っていかれたかのように。
◇
トラの旅行から戻って3か月。
ヨルカは王都の作戦本部で働いていた。毎日、『家』に帰ることができる生活は、彼女に自信と活力を与えている。
ヨルカは軍作戦本部の中枢で、短期間のうちに確固たる地位を築いていた。
階級も上がった。戦場では少佐まで昇進し、今は少将の肩書きを持つ。
彼女が手にできる情報も、比例して増え続けていた。
業務の合間を縫って、彼女は静かに軍の機密に目を落とす。
タウラス国はすでに降伏し、軍部の仕事はほぼ終わりに近づいていた。あとは政治家の仕事だ。自分もいずれ除隊になるはず。
その前に、必要なものをすべて集めておこう――そう考えていた。
あるファイルを開いた瞬間、ヨルカの瞳がわずかに細くなる。それは、ユウトを今回の戦争に利用しようとした提議書だった。
「ルチアーノ中将……」
彼女は加担した作戦本部内の人間を、静かにリストアップしていく。
だが、明確にユウトを狙う者には、別の制裁が必要かもしれない。……なるべく痛くて、精神的にも重いもの。
そんな考えが頭をよぎったが、ヨルカはすぐに小さく息を吐いた。
(……どうでもいいことだ。今は、そんなことに時間を使っている場合じゃない)
彼女は本当に、しなければならないことを思い出す。
「今日、帰ったら、お弁当辛すぎだよって、アマンに言わなくちゃ」
王都の軍本部には「家」から通勤している。
お弁当は、お兄ちゃんかアマンが作ってくれる。でも最近、アマンは辛いものばかり作るようになっていた。
(弟が心配になるよ……)
アマンにそう言うと、必ず追いかけてくるのが楽しくて、最近はわざと「弟扱い」して遊んでいた。そんなささやかな日常を思い浮かべただけで、ヨルカの唇に、ふっと柔らかな微笑みが浮かんだ。
その笑みだけが、場違いに温かかった。
ひどく愛おしそうで。
ヨルカは、すべてが可能だと確信している。
つい最近、そう確信できるようになった。エヴェラとの個人授業のおかげだ、と考えていた。
言語を介さない高速通信。ヨルカの原始的な問いに対し、先進的で洗練された回答をする。エヴェラは彼女の成長速度に合わせて、応答速度を上げ続けていた。
その結果、あるいは生来の素養なのか。ヨルカの思考は常人には理解できないほど速くなっていた。
ある時、将校が前線の携行食の変更を提案した。ヨルカは、「少し情報が足りない」と言って、その場で、補給経路の修正はおろか、生産ラインから雇用計画を追記した。
『家』に戻ってから再開された、毎日のエヴェラとの個人授業で、ヨルカはさらに多くの魔法を修得していた。
それに伴ってか、魔力も増えていった。
彼女に鑑定魔法を使った者は皆、言葉を失う。そして、黙って魔法をかけたことがバレないように祈った。
「途方もない数の魔法……MPが1000万超えているぞ……」
「あいつが……魔王になるんじゃないか」
そう思う者もいたが、その言葉を口に出した者は、1人ずつ消えていった。
まるで身体の中に何かを入れられたように、苦しんで死んだ。
うんざりした彼女は「ステータスを隠す魔法」の研究も、エヴェラと共に進めていた。今朝もその話をしていたところだ。
ふと、ルチアーノ中将の処理方法が思いつく。
(んー……じっくりロースト、かな)
朝、アマンが炭火で肉の焼き加減にこだわっていた姿を思い出したせいかもしれない。……あれも、少し辛かった。
(司祭アーデスとフンド将軍。こいつらもなんとかしないとな)
この二人は、影響力が少し大きい。
今後もユウトを利用しようとする気があるのか、まずはそれを確かめなければならない。
それから……「消す」か、「使わせないように仕込む」か、考えよう。
◇
その夜。
ヨルカは影に溶け込み、ルチアーノ中将の寝室に忍び込んだ。
防音結界を貼る。————1時間後、部屋には黒い塊だけが残っていた。
彼の悲鳴は、戦場で聞いたものと比べて、ひどく安っぽいと思った。
息絶えていく、命の光を見つめながら『家』での光景を思い出す。
(影潜りは、サリー姉ちゃんが教えてくれた。あんな子供が、ぼくを助けてくれた……)
記憶の中で、サリーが影潜りを見せてくれる。
ユウトとともにヨルカも手を叩いて褒めたたえた。日に照らされる彼女の笑顔。
自分もやってみたいと言ったが、「これは影の一族の技なの」とサリーが漏らす。自分でも、どうやっているのか、わからないという。
エヴェラの解析で闇魔法の一つであることが分かった。「この魔法は息を止める必要は無い」とエヴェラが伝えるとサリーは驚いていた。
MPが枯渇すると出られなくなる。サリーの両親は幼い彼女のために嘘をついていたのだ。
みんなが嬉しくなっていた。
ヨルカは幼い自分を守ってくれた家族を尊敬している。彼らは、いつも自分の温もりを分け与えてくれる。
ヨルカはみんなが好きだった。
————賢く、あたたかい、エヴェラのことも。
自分と同じ速度で話せるのは、世界にエヴェラしかいない。今では、そう考えていた。
もっとエヴェラと話していたい。
でも、そのための通信は、ユウトの寿命をさらに減らす行為。
そんなのは、ダメだ。
どうしたら、たどり着けるか。
みんなが、うまくいく方法。
「兄さんの魔力を回復させる」
これが、自分がしなければいけないことだ。
自分の増え続ける魔力のほんの少し。
———ほんの少しでも、わけることができたら。
これもエヴェラと相談しながら研究をすすめているところ。だけど、彼女からの今の宿題は、これ。
『軍部を自分が統括するか、自分が司祭になるか、見極めよう』
宿題の意図はなんだろう?
黒く焼け焦げた塊をじっと見つめ、ヨルカは脳内で小さく呟いた。
(わからないな……)
調べた限り、司祭は信仰に篤く、節制し、すべての時間を国のために捧げている。野心など微塵もなく、ただ命いっぱい、信じた道に生きている人間だった。
ヨルカは、そういう人間が嫌いではなかった。
でも、ユウトに危害を加える可能性があるのなら――
◇
黒い影が、白い尖塔を這う。
彼女は穏やかに眠る老人を見ていた。
(顔を見てもわからない。殺しておくか……)
その時、アーデスがゆっくりと目を開け、つぶやいた。
「死神にしては……美しいな」
その言葉に、ヨルカは殺気を霧散させ、小さく首を傾げた。
「わからないことは、聞いてみよう」
――そして、ヨルカは静かに家路についた。
◇
王都の夜風が、少し冷たい。
ユウトを守るために戦うのは、軍の仕事だけじゃない。家族として、守るべきものがある。
(早く帰って、兄さんの隣で寝よう)
そう思うと、自然と足が速くなる。
服に変な匂いがついていないか確かめた。
レナからもらった香水をふる。
オレンジの光が見えた。
みんなが待つ食堂。
アマンが、むくれた顔で
追いかけてくるかもしれないあの家。
ヨルカは、軍服の胸元をそっと押さえた。
そこには、確かに「帰る場所」があった。
温かく、優しく、彼女を包み込む場所が。
◇
――ヴゥン――――――――――――――――――
[Internal Log - Memory Slot 744]
対象事象:Subject Yの独自行動について再評価。
有効な防衛サブルーチンとして再分類する。
診断 :Subject Yの思考速度が測定上限を超過。比較対象なし。
単独での作戦遂行能力を最高評価とする。
行動基準はUser防衛に限定されており、現時点で逸脱なし。
新規log :Subject YへUserへの一部非開示指示→受諾を確認。
User生存ルート継続率:92% → 93%(Improving)
次期提案優先度:Subject Yの情動ケア及び、宿題支援を継続。




