第32話 加速する日々
二週目。ヨルカが帰ってくる日。
「お兄ちゃん、お兄ちゃん……っ」
ドアを開け放ったヨルカは、泥と血の匂いをさせたまま、俺の腰にしがみついて離れなかった。俺はその小さな背中を抱きしめる。
「ヨルカ……ごめんな」
泣きじゃくり、震える小さな肩。
俺はヨルカを抱きかかえた。先週よりもさらに体重と身長が増えている。
「おかえり、ヨルカ」
切ったはずの髪も、また腰まで伸びている。
俺たちは彼女の様子から、察する。
1週目にはなかった、生々しい「殺人」の気配。
ヨルカのために一人ずつプレゼントを用意していた。
料理と飾り付けされたテーブルに、それが積み重なっておかれている。
その前に座らせたヨルカが、少しだけ落ち着いた。
ケーキのろうそくの光が、彼女の水色の瞳を揺らす。
彼女のあまりの様子に、子どもたちは固まっている。
アマンはレナの後ろに隠れ、心配そうに見ている。
トラも困った顔で、ヨルカの顔を見ていた。
俺はヨルカの頭を撫でながら言う。
「もういい、ヨルカ。———もう辞めよう。店なんていい、逃げよう」
サリーもレナもうなずいている。
アマンが手を伸ばしてヨルカの頭に触れる。
「辞めたって、大丈夫だ」
俺は彼女を行かせてしまった後悔で、必死に背中をさする。
ひとしきり泣いた後、ヨルカは俺の胸に顔を埋めたまま、掠れた声で言った。
「……ううん。ぼくが、やる。」
「ごめんね。寂しかっただけなんだ。えへへ。ありがとう」
「ね。これ、食べていいの?」
ヨルカの目に光が戻った。
だけど、その夜を境に、彼女の日記から「ひらがな」が消えた。
涙の跡も。
◇
タウラス国。街道へとつながる渓谷。
そこにある大きな拠点を、ヨルカの部隊が睨む。
部隊のトップはスピック中将で、彼が編成した特別遊撃隊。
————そこにヨルカはいた。
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[特別遊撃隊 戦況報告書 第7号]
報告者:スピック中将
特殊工作兵「ヨルカ」の運用状況について報告する。
暴発の可能性は現時点で確認されず。
元勇者との関係が人質として有効に機能しており、
制御上の重大な懸念はないものと判断する。
幼年兵の殺傷行為に対する心理的抵抗について、
経過を以下に記録する。
初期:魔法行使時に表情の動揺が確認された。
中期:動揺は消失。行使時に笑顔が観察される。
現在:感情的反応は見られず、機械的に任務を遂行。
上記推移の速度は、率直に申し上げて異常である。
ただし、成果は顕著であり、当該工作兵に代わる
戦力は存在しない。
引き続き、安定運用を継続する方針とする。
なお、本戦役後の神殿騎士推挙について、
大変感謝していることを併記する。
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天幕に招集がかかる。
今日も彼女に指令が下されるはずだ。
作戦会議が始まった。
将校たちは地図を囲み、少女の存在を完全に無視していた。
いつもは大人しく聞いていた。
だがこの日、ヨルカは、初めて口を挟む。
ヨルカは静かに手を挙げた。
「質問していいですか」
誰も答えなかった。
ただ、スピック中将だけがゆっくり顔を上げた。
「……どうぞ」
「なぜこのルートを選択したのか、説明してください」
ヨルカはエヴェラに投げるような質問を人間の言葉で話した。将校たちは、ため息をつきながら先を促す。
「この迂回路は三日かかります。敵の補給線はここを通っています。先にこちらを断てば一日で済みます。——計算してみてください。合ってます」
(……補給遮断後の敵の混乱率は87%。損耗率は現計画の1/4以下。簡単な算数なのに、なぜ気づかない?)
沈黙が落ちた。
スピック中将が地図を睨み、数分後、初めて頷いた。
「採用する」
その作戦は成功した。
損耗ゼロに近いまま任務完遂。
部隊内に「ガキの提案が……」というざわめきが広がった。
◇
[Day 9]
エヴェラの宿題で、解らないことを「聞く」
これをやってみた。ちゃんと教えてくれた。
だから、みんなにも教えてあげた。
はやく終わるように。
お弁当が終わった。
美味しくないパン、食べてる。
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ヨルカから日記が届いた。
わからないことを聞くのは大切な事だ。そこから学びが深まっていく。
また、すごく成長しているんだろうな、としんみりした。
◇
次の作戦。
今度は他の将校たちも、半信半疑でヨルカを見ていた。
作戦の説明を聞き終わり、
ヨルカは淡々と二つの提案をした。
作戦時間及び襲撃場所について、作戦立案担当がヨルカに冷静に問い詰められていく。彼女の正論からの追求に、男は答えるのを諦めた。
(敵の移動予測はここ。夜襲をかけるなら、この時間帯。魔法の消費を最小に抑えつつ、最大効率)
ヨルカの進言は、秒単位、メートル単位で指示が飛ぶ。質問や疑念には、相手が黙るまで、徹底的に説明を続ける。
誰も何も言えなくなり、起床の時間から戦闘時の装備まで、すべてがヨルカの指示したものになっていった。
計画した奇襲は大成功。軍は歓喜に湧いた。
評判が軍を駆け巡った。彼らの躍進は鬱屈した行軍に光をともす。
その作戦のほとんどが、わずか11歳の少女が作成したこと。これが驚愕を持って受け入れられた。
この頃から、ヨルカの作戦に反対するものは、静かに消えて行く。その事を気にするものは誰も残らなかった。
◇
[Day 14]
人々の目的や意図。見えなかったモノを
言語化していく。そうすることで、ベクトルが
見えるようになった。
私はそれを、すこし調整すればいい。
お兄ちゃんも食堂でやっていたのかな、すごいね。
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ヨルカ日記が難しくなっていく。昨日戻った時の様子も含めて心配になるが、エヴェラは、問題ないと言う。
◇
スピック中将はヨルカに心酔し、個室の天幕を用意する等、厚遇をはじめた。
「ヨルカ殿……相談があるのだが」
大きな作戦の前には、別の部隊の隊長がわざわざ天幕に集まってくるようになった。
ヨルカは他部隊を含む、作戦立案から担当することとなり影響力を広げていく。彼女の作戦はスマートな奇跡のようにはまっていった。
「あんなガキが考えた作戦なんか、のれるかよ」
そう言って、独断する小隊は、なぜか見えない攻撃を受けて消える。
圧倒的な人数差がある戦場では、
ヨルカの強大な魔法で、敵を消滅させた。
野戦で反抗を続けていたタウラス国は、撤退し、城に閉じこもった。
軍作戦本部は、この功績を純粋に称えた。
フンド将軍と司祭アーデスが本部から直接呼び出しをかけた。
「君の作戦立案能力は、勇者以上の価値がある。打撃作戦はしばらく予定されていない。今後は本部で作戦面での協力をしてほしい」
ヨルカは待ちくたびれたように答えた。
「了解です。ただし、条件があります」
(……軍が持つ情報を集めよう。)
少女が、たった二十日で特別遊撃隊の「頭脳」となり、軍全体の作戦に影響を与え始めた。兵士たちの視線は、最初は嘲りから、畏怖と、そして微かな恐怖へと変わっていった。
◇
[Day 20]
戦場での仕事は終わり。これからは王都で働きます。
天使の台所にも、毎日帰れるかもしれません。
入手した情報は圧縮してエヴェラに送っております。
後ほど、ご確認ください。
皆様にお会いできること、心より楽しみにしております。
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俺はヨルカの日記を読んで言葉を失った。
彼女と会って、どう接したらいいか、全くわからない。
2週目に帰った時は、完全に孤独に怯えていた。
誰の事もわからないと。今ではこんなにも変わってしまった。
エヴェラは、彼女は理解するから、いつも通りに接したら良いと言った。
俺はこの日記を子どもたちに見せるのを止めた。
◇
天使の台所。
窓の外から、中を見つめる女性。
黒髪を垂らし、その目に室内のランタンの光を写していた。
「お客さんですか——?」
金髪のくせ毛をそのままに、野菜を抱えたアマンが話しかける。
ヨルカは振り返り、少年の頭を撫でる。
「アマン。ただいま」
「ヨルカなのー?」
アマンの琥珀色の目が大きく開かれた。
「そうだよ。何か変わったかな?」
ヨルカが愛おしそうに微笑む。
アマンは思っていた。
ずっと自分より小さく、言葉もしゃべれなかったヨルカ。——自分のほうが兄だと。
「綺麗になった——ヨルカ、すごーい」
アマンは自分と身長を比べてみる。ヨルカはサリーより大きいかも知れない。
声も。……違った。
アマンは少し、怯えながら見上げる。
ヨルカは大人の女性のようになっていた。
意志のこもった、強いまなざしをしていた。
それでもヨルカだった。
アマンは笑顔を向ける。妹が帰って来たから。
「ただいま戻りました」
ドアを開けたヨルカが深々と頭をさげる。
軍に入って3週目の里帰り。
2週目までは、抱き着いてくれたんだけどな。
すっかり綺麗な大人の女性となったヨルカ。
みんなを見て食堂で笑う彼女の笑顔は、完璧だった。
サラサラと流れる黒い髪を腰まで伸ばす。
先週まで着ていた子供服から、高級そうな素材の黒いスーツを身に着けている。
「よく帰って来たな」
俺たちは口々に歓迎の言葉を伝える。
「ユウト兄さん……皆、ただいま。」
ヨルカのために飾り付けられたテーブルに案内し、
好きだった食べ物を並べる。食堂がこんな風に変わったとかそんな話をしていた。
ヨルカは笑顔で聴いているが、時々、彼女が見せる悲痛な無表情に俺たちの心は引き裂かれる。
自分がうまく笑えていないことに気づいたのか、ヨルカは手で顔を確かめながら言った。
「兄さん、先日送ったもの、確認していただけましたか?」
ヨルカの声が冷たいガラスのように響く。
俺は背筋を冷やしながら、何のことか考える。
エヴェラ:トラの部族のことじゃない?
俺は、先日届いた、長距離ピンメッセージについて思い出した。
「ああ、トラの件な」内容が重く、まだ話していなかっことを思い出す。
「え、俺の話?」とトラが目を輝かせる。
ヨルカがため息をつく。
「トラ、相変わらずだね——」
冷たく、見下すような響きだった。
アマンが不安そうに、レナの後ろに隠れる。
それを見たヨルカが俯く。
俺はヨルカの肩を叩きながら、トラに教える。
「トラ。お前の村の場所が分かったんだ」
「「「えーー」」」子どもたちが叫ぶ。
「ヨルカが軍の情報から見つけてくれた。お前のためにな」
「おおーヨルカ―。ありがとう」
トラが強引にヨルカを撫でる。
「ちょっ、やめてください。」
ヨルカの冷たいまなざしに、トラの動きが一度、止まる。
————でも止めなかった。
俺たちは二人を見て笑った。
エヴェラ:馬車で2日ほどかかるけど、行くの?
「トラの故郷が見つかったら、全員で行く。そういう約束だろ」
「「「「 おー 」」」」
天使の台所に歓声が木霊する
諦めてトラに撫で回され続けるヨルカ。
彼女を見ていたら、少しだけホッとした。
今のヨルカもヨルカだ。
でも俺たちの成長も少しだけ待ってほしい。
歩む時間は違っても、同じ空気を生きて行きたい。




