第31話 綺麗なもの
無骨な軍の馬車に揺られながら、ヨルカは窓の外を眺めていた。スラムの灰色の空ではない、抜けるような青。
見たこともない色の花。道端で跳ねる小動物。
「わあ……」
彼女は純粋に、世界がきれいだと思った。
ユウトの語っていた「外の世界」は、こんなにも色彩に満ちている。
頬にふれる風が魔法のようで、心地よい。
馬車を引く馬の、大きな瞳。
ヨルカは笑顔のまま手を伸ばし、風を掴もうとしている。自然に口からは歌がこぼれだす。
だが、その馬車の中で、彼女を囲む兵士たちの視線が、ヨルカの首筋に突き刺さるように冷たかった。
「おい、その『ガキ』が俺たちより階級が上ってどういうことだよ」
「わかってる。これは王室直属の『戦略兵器』だとよ。感情があると思うな」
「壊れなきゃいいんだろ」
「馬鹿か、余計なことはせず、極力関わるなという指示だ」
彼らにとって、ヨルカは一人の少女ではなく、
勇者の代わりとなる高火力の杖に過ぎなかった。
◇
ルクサーン王国は今、他の諸国とともに、近隣国への進攻を続けている。
旧魔王軍加担国への「戦後処理」と称した軍事制裁。王族の公開処刑、天文学的な賠償金の請求、そして市民の奴隷化。
ヨルカは兵士たちの会話からそれを推論し、呆れていた。今からするのは、ただの略奪の正当化だ。
揺れる空を見上げ、ヨルカは小さく呟いた。
「はやく終わらせて、かえらなきゃ」
◇
[Day 1]
おうまさん。めが大きくてくろい。
しっぽがふわふわ。かわいい。
また見たいよ、お兄ちゃん。
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ヨルカから最初の日記がピンメッセージで届いた。
俺は子どもたちに見せ。安心し合った。
◇
翌朝。
ヨルカは初めて、戦場の前線に立った。
山の斜辺の向こうに、敵の陣営が見える。
旗が風に揺れている。その下に、人がいる。
「準備はいいか」
部隊長のスピックが意気込んだ顔をする。
ヨルカは答えなかった。
旗の下にいる人たちを見ていた。
「撃て」
スピックの声が落ちた。
でも、おかしい。
地面に座って、笑いながら話している人がいる。
ヨルカは質問してみることにした。
「でも、ごはん食べてるよ?」
「いいんだよ。これから死ぬんだから」
ヨルカは、笑う人々を見て、少しだけ首を傾げた。
一秒。
そして、指をふる。
世界が白く染まり、熱風が頰を叩いた。
旗が、なくなった。
人が、なくなった。
敵陣地は吹き飛び、炎上している。
ただ、黒い煙が立ち上る。
ヨルカは燃える炎を眺めていた。
煙が空に消えていく不思議を、ただ見つめていた。
耳ざわりな歓声が響く。
低い声が、ゆっくりと聞こえる。
「いいぞ! これで俺も神殿騎士だ……よし、次だ」
スピックが地図を広げる。
嬉々として、次なる標的を探す男。
ヨルカはその背中を見ていた。
脳裏にユウトの背中がよぎる。
暖炉の火の明かり。みんなで作ったテーブル。
彼がつくる波紋で、広がる笑顔たち。
「……これ、楽しくない」
ヨルカは天井をみつめ、ぼんやりつぶやいた。
◇
[Day 3]
ご飯はおいしくない。でも食べた。
レナおねえちゃんが「残したらダメ」って言ったから。
鳥がいた。まるくて小さくて、ずっと見てた。
お兄ちゃんに会いたい。
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日記が届いた。ヨルカに返信できないのが悲しい。
少しぐらい、いいのではないか? エヴェラに叱られた。
——嫌なものは食べなくていい。絶対、伝える。
◇
最前線のキャンプは、美しい森にあった。
その場所は血と怒声が溢れていた。
泥にまみれたタウラス国の兵士たちが膝をつき、
ルクサーン王国兵が「説教」と称して暴力を振るっていた。
「痛いか? ああ? 魔王の犬だった頃に、俺たちの家族が味わった痛みだ! もっと叫べよ!」
一人が剣の柄で、男の指を執拗に潰していく。
男の悲鳴が、美しい森の中に響き渡る。
ヨルカはその光景を、
配給のミルクを飲みながら、見つめていた。
彼女は不思議に思った。
「どうして、痛がっているのに、やめないのかな」
数秒後、彼女はぼんやりと理解した。
——恐怖による支配。
しかし指をつぶすのはおかしい。
ヨルカは首を傾げる。
すでに降伏した相手を傷つけるのは無意味。賠償も増えない。労働力の価値が下がるだけ。
指を潰すたび、骨の音が小さく響いた。
その音と兵士の笑い声が、森の鳥を飛ばす。
はしゃぐ兵士たちの顔。笑っている口元を見て、彼女は気づいた。彼らは「楽しい」のだ。
「……気持ち悪い」
ヨルカの瞳から、興味の色が消えていく。
彼女にとって、彼らの行動はしつけがなっていない「獣の排泄」と同じ。制御不能な感情の暴走にしか見えなかった。
その「獣たち」を守るために、『天使の台所』に帰る時間が遅れている——あとは拠点に戻って終わりのはずだ。
彼女は思い浮かべる。
冷蔵庫を冷やすための「氷」。
喚く男たちの肺の中にそれを作る。
ゆっくりと大きく、満たしていく。
男たちが突然苦しみ出し、泡を吹いて倒れた。
冗談のように死んだ。
兵士たちは「毒か病気だ」と判断し、
近くの捕虜を殺したが、他の捕虜は無事だった。
ヨルカが考えたとおりになった。
その後の撤収は早かった。
邪魔をする人間。それはどこにでもいる。
……あれは邪魔だった。
ヨルカは理解する。
立場と恐怖、そして——力。
「はやく、おうちに帰ろう」
◇
[Day 5]
部屋には、何もない。
エヴェラの宿題ももう終わった。
時間が長い。飽きたー。
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ヨルカからの日記だ。エヴェラが宿題だしてたのも驚いたが、真面目に全部やるのが偉すぎる。さすが俺の妹。俺とは違う。
◇
カランカラン。
天使の台所のドアベルが鳴る。
週末、彼女は約束通りここへ帰った。
たった1日だけど、しっかりと癒やしたい。
朝から貸し切りにして、
ヨルカが好きなものをみんなで作った。
「ヨルカ! おかえり!」
アマンが駆け寄り、みんなが優しく微笑む。
その温かい食事と「家」の匂い。
駆け寄ったヨルカは両手を広げて飛びついた。
ヨルカは俺に抱きつきながら、匂いを嗅ぐ。やめろ、くすぐったい。
「なんかデカくなってない?」
俺の腰までだった彼女の頭は、今では胸にうずまっている。
「髪も切らないとね―—」
レナが困り顔で、1週間前の3倍ほど伸びた黒髪を撫でる。
「うん。切って。運動の時はサリー姉ちゃんみたいに縛りたい!」
ヨルカがニコニコと笑う。
身長を追い越したアマンをからかいながら。
「お、いいね。よし、やってみよう」
サリーがヨルカの美しい髪を一つに束ね、縛ってみる。
「やっぱ、切らないとだな」
俺たちの家にまた、素敵な笑顔が戻って来た。
エヴェラ:言葉の進捗がかなり進んでいるみたいね。あの量の宿題も終わるなんて、よっぽど暇だったのかしら。
俺 :どんな宿題なんだ?
エヴェラ:数学に、哲学や推論、戦略なんかだよ。ユウトなら3年くらいかかるかもね。
俺 :そんなわけあるか。
エヴェラ:身体の変化は、爆発的に増えている魔力のせいね。ユウトの老化と逆のことが起きている。
俺はヨルカを見つめる。
彼女の成長をそばで見れないこと。これはつらい。
腰まで伸びる黒い髪が美しく光を放つのを見る。
「あんなにペラペラと話しているもんな」
ヨルカはサリーやレナと、友達のように話していた。
ほんの少し前まで、単語を並べていたのに。
食堂で笑うヨルカの笑顔だけが、俺の罪を和らげていた。
◇
軍への出立の朝。
「……ねえ、ヨルカ。あんた、あっちで何を見てきたの?」
サリーの手が、ヨルカのうなじに近い、異常な熱を帯びた肌に触れる。レナは足元に散らばった髪を片付けながら、ヨルカを見ている。
1週間前より一回り大きくなった体。少女から娘へと無理やり引き剥がされたような、歪な成長の跡。今までと、違う、話し方。
「……空。鳥。それから、うるさい人たちがいたよ」
ヨルカは鏡の中の自分をじっと見つめている。その瞳は、ユウトの前で見せる潤んだ輝きではなく、戦場を焼き尽くした時のような、底の見えない水色のガラスのようだった。
「うるさい人たちって?」
レナが心配そうに見つめる。
虐待……そういうことを思い浮かべたのだろう。
「『痛い』って叫んだり、『撃て』っ叫んだりする。でも、やり方がわかったの」
サリーの手が、一瞬止まり、レナと顔を見合わせる。
「だから、大丈夫。ちゃんと終わらせて来るから」
ヨルカが鏡越しに、サリーへ微笑みかける。その笑顔は完璧で、そしてひどく脆く見えた。
「サリー姉ちゃん。お兄ちゃんを守ってね」
「……守れるわよ。でもね、ヨルカ」
サリーはきつく、ヨルカの髪を縛り上げた。
「強くなりすぎて、お兄ちゃんが隣に立てなくなるくらい遠くへ行っちゃダメよ。あんたが『普通の子』でいることが、何よりの救いなんだから」
ヨルカは、縛られた髪の感覚を確かめるように首を振り、少しだけ寂しそうに笑った。
「……それ、エヴェラの宿題より、難しいね」
完璧に微笑むヨルカを、
レナが心配そうに見上げた。
◇
たった一日。
また、ヨルカと離れなければならない。
嫌なものは食べなくていい事。
嫌な命令は聞かなくていい事。
————無理はしない事。
出発する背中に言い聞かせた。
彼女はふわりと浮かびあがる。
ヨルカは時間短縮のため、
飛行魔法で、戦場と行き来していた。
「また、日記送るね。お兄ちゃん」
お弁当を入れた包みを背負い、ヨルカは飛び去っていく。
この魔法は燃費が悪く、この距離を飛ぶには、
1度でユウトの寿命が終わるほどだ、とエヴェラが言う。
追いかけて飛べない自分が、
ひどく小さく思えた。せめて大きく手をふろう。
俺はあいつを利用しているのかな……。
青い空を見上げる。
エヴェラ:助け合う、ということよ。大丈夫。あの子はうまくやるわ。
◇
――ヴゥン――――――――――――――――――
[Internal Log - Memory Slot 643]
対象事象:Subject T関連タスク完了。
食堂周辺の監視ユニットを確認できず。排除済と判断。
外部脅威レベルを「低」に再設定。
診断 :Subject Yの心理的負荷が増大傾向。
初回実戦における殺傷行為の影響を観測中。
帰還時の情動反応から、家族への愛着が強化されていることを確認。
現時点では防衛機制として正常に機能。経過観察を継続。
新規log :Subject Yへの教育カリキュラムを修正。
基礎言語・数理・推論・戦略。進度は本人に委ねる。
User生存ルート継続率:90% → 92%(Stable)
次期提案優先度:Subject Yのケアおよび教育効果測定。




