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悪者  作者: P4rn0s


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8/8

悪者

最初のうちは、静かすぎるこの部屋が好きだった。

冬の夕方みたいに、余計なものが削ぎ落とされて、ただ空気が透明に沈んでいくのを眺める時間。

君がコートを脱いで、マグカップをふたつ用意して、テレビをつけるか迷って、結局つけない日。

そういう日が好きだった。


だけど、最近は、静かすぎるこの部屋がこわい。

なにかを話さなきゃって思ってるのに、なにを話せばいいかわからない。

もうとっくに話すべきことは話しつくして、あとは残った沈黙に火をつけるか、そっと蓋をするかのどちらかだ。


「夕飯どうする?」

「……なんでもいい」


この「なんでもいい」も、前は優しさだったんだと思う。

でも今は、投げ出すような響きがある。

そうじゃないってわかってる。わかってるけど、そう聞こえてしまう。

だから、「じゃあ、うどんでも茹でる?」なんて返したりする。

うどん。

間違いのない選択肢。お互いが気まずくならず、あたたかくはあるけれど、特別ではない。

もう何度目だろう、うどんなんて。


食器を片付けてるとき、ふと、君が言った。


「俺さ、別に別れたいわけじゃないんだよ」


言葉が宙に浮いた。落ちる場所を探してるみたいに、テーブルの端っこにしがみついていた。


「うん」


私はうなずくしかなかった。

私だってそうだ。

別れたいわけじゃない。

でも、うまくやっていきたいとも思えなくなってきている。

未来の話をするたびに、なんだか嘘をついている気がしてしまう。

春には旅行に行こうとか、来年は引っ越そうかとか。

そういう話が、ただの慰めのようにしか聞こえなくなっていた。


「たぶん俺たち、疲れてるんだと思う」


「うん」


「でも、疲れたって言い出したら、それを癒す相手が……さ、自分たちじゃないってことになっちゃうじゃん」


「……そうだね」


その通りだった。

私は君を癒す自信がなくなっていた。

そして、君もきっとそうだった。

どちらかが立ち上がって、「大丈夫、なんとかしよう」って言ってくれたら、きっと少しは違ったんだと思う。

でも、もうお互い、自分の足元を支えるだけで精一杯になってしまってる。

優しくしようとすると、心が軋む。

笑おうとすると、頬が痛い。


「責めたいわけじゃないの、ほんとに」


「俺もだよ。別に、何かが嫌いになったわけじゃないし」


君はそう言って、テーブルに置いたスマホをいじった。

その仕草に意味はない。

だけど、意味があるように見えてしまう。

私はスマホを持っていない。

だから、視線をどこに置いたらいいかわからなくなる。


この部屋はきっと、君と私の間にできた、最後の避難所だったんだ。

何も言わなくてもいい、沈黙すらお互いの居場所になった時期もあった。

でも今は、沈黙が壁になっている。

そして、それを壊すには、どちらかがきっと、悪者にならなくてはならない。


「じゃあ、どうする?」


君がそう言った。

目は合わない。

でも、声はまっすぐだった。


「……まだ、わからない」


私は正直に答えるしかなかった。

別れたいとも思っていない。

でも、このままでいたいとも思っていない。


君はうなずいた。少しだけ、安心した顔をしていた。

答えを出さなかったことで、なにかが救われたように見えた。


「時間、ちょっと置こうか」


「うん」


それは別れのようで、まだ別れじゃなかった。

保留。

延命。

それでも、それが今の私たちにできる唯一の選択肢だった。


玄関で靴を履く君の背中を、私は見送る。

「気をつけて」と言いたかったけど、声が出なかった。

君がドアを開ける音がした。

外の空気が、少しだけこの部屋に入ってきて、それでわかった。

ああ、やっぱりこの部屋は、もう誰かの避難所じゃないんだって。

ただの、静かな箱になってしまったんだって。


でもきっと、どちらかが悪者になるよりは、マシだった。

そう思いたかった。

ずっと、思い続けたかった。

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