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悪者  作者: P4rn0s


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5/8

綺麗事も今だけは

夕立の匂いがしていた。

アスファルトに落ちた雨がじゅうっと蒸気を上げ、遠くで雷が鳴っている。

雲の切れ間から少しだけ夕日が覗いて、それがベランダの金属手すりを赤く照らしていた。


風鈴が鳴る。

その音すら、今日は気に障った。


「……降るね」

そう言ったのは、どちらだったか。

もうそれすら曖昧になってしまうくらい、二人の会話はゆっくりと、慎重すぎるほど慎重に選ばれた言葉ばかりで埋め尽くされていた。


「うん」

「傘、持ってたっけ」

「……一本しかなかったはず」


そこから先が、どうしても続かない。

言葉の終わりが、次の言葉を呼ばない。

長く付き合ってきたはずなのに、もう相手の考えていることがわからない。

わかろうとして、でも、わかってしまいそうで怖い。

向こうも、同じことを考えている気がして、余計に口が重たくなった。


リビングの時計が18時を指している。

こんな時間に、こんな空気で、こんなふうに二人きりでいるのは、本当はもう最後だと、どちらも気づいている。

でも口にした瞬間に、何かが決定的に終わってしまう気がして、怖かった。


彼が口を開いた。

「……なんかさ、最近さ」

その言い方に、私は身構えた。

彼も、それに気づいたようで、苦笑した。


「別に、責めたいとかじゃないんだけど」

「うん」

「たぶん、俺たち、ちょっと無理してるよね」

「……うん」


風鈴がまた鳴った。

その音が、妙に切なく響いた。


「どうしても嫌とか、そういうのじゃないんだけどさ」

「わかるよ」

「なんか、こう、気を遣いすぎてる感じ、しない?」

「うん。最近ずっと、何を言っても怖くなってた」

「俺も」

「でも、それって、悪いことなのかな」

「わからない。でも、こんなふうに思ってるってことは、やっぱり、どこかおかしいんだと思う」


二人とも、どこか「自分が悪くない」と証明したくて、それでいて「相手を責めていると思われたくない」気持ちばかりが先に立っていた。

それが、より一層、関係の空気を重たくしていく。


「好きだったんだよ、本当に」

「私も。今も好きって、言ってもいいと思ってる」

「じゃあなんで、こんなことになるんだろうね」

「……好きって言葉、万能じゃないから」

「うん」


窓の外の雨は強くなっていた。

近くの団地の屋根を叩く雨音が、部屋の中まで響いてくる。

だけど、不思議と、その音にすら安心するほど、室内の沈黙が耐えがたかった。


「別れる、ってことなのかな」

「そうなる、のかな」


肯定でも否定でもない言葉の応酬が、またひとつ関係を薄くしていく。

まるで、自分から終わらせたくない子ども同士の言い争いみたいだった。


「ごめんね」

「ううん。ごめんね」


二人とも、何ひとつひどいことをしていないのに、こんなに苦しくて、こんなに謝って。

きっと、誰かが泣いて、誰かが怒ってくれたら、もっと楽に終われたのかもしれない。

でもそういう関係じゃなかったからこそ、こんなに長く続いたんだとも思う。


「最後に、なんか……楽しい話しようか」

「うん。……夏の花火大会、覚えてる?」

「もちろん。浴衣着て行って、金魚すくいして」

「私、あのときめちゃくちゃはしゃいでたよね」

「うん、可愛かった」

「ふふ」


過去の記憶に、最後の余白を埋めるように笑い合う。

まるで、それが今の涙の前払いのようだった。


「ちゃんと幸せになってね」

「君も。ちゃんと、自分を好きでいてね」

「……うん」


玄関のドアが開いて、閉まる音がした。

残された部屋には、雨の音と、風鈴の音だけが響いていた。


誰も悪くない。

だけど、どうしようもなく、二人とも少しずつ壊れていた。

それを、ちゃんと受け入れられた分だけ、大人になってしまったのかもしれない。


そして、そういうふうに終わる恋も、確かにあるのだと思う。

夏の空気が、少し涼しくなっていた。

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