気付かぬ足音に気づいた時
少しだけ曇っていた空を見上げながら、僕は歩く速度をほんの少しだけ遅くした。
彼女が隣を歩く音が、ほんの少しだけ僕より遅れて響いていることに気づいたのは、たぶん三歩目くらいだった。
僕たちは何も話していなかった。話さないことが自然で、けれどどこかに緊張感があった。何かを抱えながら、その輪郭を指先でなぞり合っているような空気。まるで、無音の会話をしているみたいだった。
駅までの帰り道。もう何度も歩いた道。今日は少しだけ違っていた。季節が変わりかけているのか、風が乾いていて、空気が尖っているようにも感じた。
「帰ったら、晩ご飯あるの?」
ようやく彼女が言葉を落とした。
「あると思う。」
僕はそれだけ答えた。質問の内容なんて、どうでもよかった。ただ、沈黙に耐えきれなくなっただけの会話だったから。
「そっか。」
それっきり、また静かになった。
でもたぶん、僕も彼女も、もうこの関係がどこかおかしくなっていることには気づいていた。
目を合わせて笑うことが、少なくなった。
話題が浮かばずに焦ることが増えた。
笑い合っていても、その裏側で探っている。これって、続けていい関係? 終わらせるべきタイミング? そんなことばかりを。
少し前までは、楽しかった。心から、安心していた。どこかにいてくれることが当たり前だと、そんなふうに思っていた。
だけど、今は違う。
たとえば、彼女が急にいなくなっても、僕はそれを「仕方ないこと」と思えるような気がしていた。
そして、彼女も同じように思っている気がしていた。
お互いがお互いを見ながら、どちらが先に「もうやめよう」と言うのかを、ただ黙って待っている。そんな空気。
嫌いじゃない。きっと、まだ。
でも、すれ違っている。確実に。
それを修復するには、あまりにも遅すぎたのかもしれなかった。
駅のホームが見えてきた。彼女が改札の方に向かおうとしたので、僕も同じように歩幅を合わせた。
「……ねぇ。」
彼女が声をかけてきた。僕は答えないまま立ち止まった。彼女も立ち止まる。
その時、僕は思った。この瞬間、どちらかが何かを言えば、きっと何かが変わる。
終わるか、続くか。
どちらにせよ、何かが、決まる。
でも、彼女は何も言わなかった。
僕も、何も言えなかった。
少しだけ視線が交わる。でも、そこにはもう、前みたいな安心はなかった。
「じゃあね。」
彼女が先に口を開いた。少しだけ口角を上げて、けれどそれは笑顔ではなかった。
僕は「うん」とだけ言った。
改札を抜けていく彼女の背中を見ながら、どこかで「終わったな」と思った。
でも、それを言葉にしなかったのは、僕もやっぱり、ずるかったからだ。
たぶん、彼女も。
あのまま、何もなかったようにまた会えるふりをして、明日も過ごせてしまうのかもしれない。
だけど、もう戻れない気がしていた。
あまりにも遠くに来てしまった。
静かな夕方のホームに、何もなかったような足音だけが響いていた。




