師との別れ
結局のところ、僕は彼女のことをわかっているようで何もわかっていなかった。
数年後、僕は彼女の元を離れた。
彼女が僕から離れていったわけではない。
旅をしながら彼女と過ごしていく中で、僕は自分自身の感情に気づいてしまった。
それは許されざる淡い恋心。
何も難しい問題ではない。
恩がある彼女に抱いてはいけない感情であるのと同時に、今の僕では彼女に釣り合わないことは明白だった。
ちょっとした悪戯心もあって別れを告げてみたが、彼女の反応は至っていつも通りだった。
劇場でみた熟練した演者のような落ち着きがあり、それがかえって僕を困惑させた。
僕の感情に気づいていたのか、それとも元々こう行き着くことを予見していたのか。
目隠しが無ければどんな目で僕を見ていたのだろうか。
この時ばかりは目隠しに救われたような気がした。
別れの際に彼女は僕に『オルレアン』という名前を授けた。
彼女の祖国の英雄と呼ばれた名前は不思議と僕に馴染んだ。
最後まで多くを語らない人だったが、僕の出立を喜んだ。
僕と話すのはこれで最後になるような、そんな雰囲気が彼女にはあった。
「さいごに何でも質問に答えてあげる」
僕の問いに彼女はいいよ、と微笑んだが翌朝彼女は煙のように姿をくらました。
あたかも初めから存在しなかったように。
♦
師と離れて数年後、人種を二分した人獣大戦が勃発した。
きっかけは些細なことだった。
人口比的にも希少で人間よりも身体能力に優れる獣人を対象とした奴隷狩りが世界各国で横行したためである。
獣人は結束して人間に対抗し、また他の亜人も獣人側につき溝が深まった。
そしてその混乱に乗じて魔界に住む魔族もこの戦いに参戦し、人獣もろとも抹殺。
魔族は人獣共通の敵であったが、この混乱により戦地は敵と味方が倒錯した混沌と化した。
魔族が唱えた、魔法を消滅させる対魔法結界と共に。
「ハァ…… ハァ…… ハァ……」
逃げ迷うように、崩れ落ちる瓦礫の中を狂ったように走り、走る。
仲間は皆死んでいった。生き残りは地下シェルターに逃げた老人や女子供と、今も戦っている一部の勇士のみ。
後ろから追ってくるのは数えきれないほどの魔物の暴走状態。
自作の対魔物用道具も使い切り、いよいよ命の危険を感じてきた。
ここ3日仲間と共に寝ずに戦い、敗走し、生き長らえてきた。
魔法はもう使えないが、自分の助けを必要としてくれている人は必ずいるはずだった。
それに、戦士した友人から直前にお願いされた大事な任務がある。
ちょうど建物が崩れ去った土煙に乗じて身を隠し、魔物が過ぎ去ったことを確認すると、僕はある場所へ急いで移動する。
この国最大の時計塔。
又の名を『原初の塔』。
古代に原初の魔法使いの1人がここの塔を建てたとされる塔。
その魔法使いの魔力が込められているので、簡単には壊れたりはしない。
避難場所としては最適だが、それとは別に原初の塔を目指す理由はもう1つあった。
「ハァ…… ハァ…… あ、あった……」
荒廃した廃墟のような場所に時計塔がポツンと1つ静かに針を進めていた。
その周囲に下竜種であるワイバーンや牛のような形をしたベヒモスなどの魔物が密集して時計塔を崩れ倒そうと攻撃していた。
時計塔は既に半壊しかけて、ガラガラと音を立てて上層のレンガが崩れ落ちてゆく。
彼らに見つからないように、急いで人ひとり入れる時計塔の入り口へ駆け込んだ。
迷うことなく、階段を駆け上がる。
原初の魔法使いが住んでいたとされるこの塔には町内に魔物が入ってきたときのための最後の手段が隠されていた。
最終対魔物装置。
この原初の塔の本来の存在意義は時間を知らせる為ではない。
大量の魔力をその鐘に注ぎその鐘を鳴らすことで、鐘の音を聞いた近くの生物の精神を破壊する極大魔法が発動する。
原初の魔法使いの1人が創造した原初の塔。その存在は本当だったのである。
師の言ったことは全て真実であった。
時計塔を建てる魔法使いがいることも。
原初の魔法使いと友人であることも。
時々放たれる非現実的な嘘の数々も。
即ちそういうことである。
鐘による極大魔法は魔族だけではなく、近くの全ての生物の精神を破壊する。
人間も例外ではない。
この役目を終えて僕もこの世界から解放されるだろう。
そんなことを考えながら永遠とも思える時間の間、階段を上り続けた。
「着いた……」
頂上から見える景色は地獄そのものだった。
辺り一帯が燃えていて、建物は崩壊、王宮や宮殿があった場所も更地になっている。
激戦区での被害は更に甚大だろう。
大きくこの塔も揺れ、危うく外に飛び出されそうになる。
この塔もじき崩れる。
仮に極大魔法が完成しなくても、地上への帰還は絶望的だろう。
死ぬことには抵抗は無かった。むしろ何も為せずに死ぬ方が怖い。
全ての人は皆、自分の責務を果たすために生まれてきたのだという。
師のおかげでそれを見つけることができた。
目の前にある大きな鐘に触れ、自分の全ての魔力を注入する。
鐘に刻印されている八彗星の紋章は準備ができたとばかりに煌々と光り輝く。
後悔は無かった。
ゆっくりと鐘をトンと押すと規則正しい振り子運動と共に、後から身体中にゆっくりと浸透していく。
それは、今まで聞いたことのない心地よい鐘の音。
言葉では表せない、全てを終わらせる終曲。
心も身体も軽くなってふわりと身体が宙に浮いた。
それと同時に時計塔はガラガラと音を立てて崩壊した。
身体は宙に放りだされた。
何も考えることはない。
このまま下まで落ちて果てるまで。
精神の崩壊なんてそんなものはどうでも良かった。
楽しかった思い出が脳裏に蘇る。
思い出の数々にはいつも師がいた。
とにかく師に会いたかった。
何度も忘れようとしたが無理だった。
死ぬ前に会って想いを伝えたかった。
それ以外何も望まなかった。
「——お呼びかしら?」
幻覚を見ているのだろう。
地へ落ちてゆく僕の目の前にその方はいた。
落ちていく風の勢いで彼女の目隠しが飛んでゆき、アメジストの瞳が僕を見抜く。
いつものように師は静かに笑った。
ゆっくりと手を伸ばし、僕は師の腕の中へ吸い込まれる。
最後に伝えることがあります。
脳内に直接声が響き渡る。
あなたが最期に尋ねた私の名前。
でもその前にこの魔法をあなたに授けます。
今まで数々の魔法を伝授してもらったが、最後の魔法は僕の全身を直接駆け巡る。
それは決して僕では扱えない創世魔法。
入力のキャパオーバーに耐えきれず、僕の意識は強制的にそこで途絶えた。
それから長い長い眠りにつくことになる。
——愛する愛弟子、オルレアンよ。
あなたに最後の魔法をかけました。
ですが同時にそれは最悪な呪いでもあります。
どうかそれを断ち切って。
あなたが見る未来に幸あらんことを——
師が僕の顔を寄せて静かに名前を告げる。
しかし意識が途切れる僕の耳に、師の名前が届くことは無かった。




