王子様の掌の上で
ヴィクトリアという令嬢は、例えばある日レオンが真っ赤な薔薇の花束を贈れば美しく微笑んで受け取り、次に会った時にはお返しにと黄色いカーネーションの花束を渡してくるような女だ。
黄色いカーネーションの花言葉は“拒絶”“拒否”“あなたには失望しました”
さて、どのようなつもりでこれを渡してきたのか。
レオンの美しい金の髪のようだと微笑みながら手渡してくる、見返した彼女の目は笑っていない。
「ありがとうヴィクトリア。ところで、黄色のカーネーションの花言葉を知っているかい?」
「ふふ、どうかしら」
確信犯だ。
けれど、にこやかにレオンは頷いた。
「黄色のカーネーションの花言葉は、嫉妬だね。もしかしてこの間のパーティーで他の女性と何度か踊ったことを気にしてた?気づかなくてすまない」
「はい?」
実は黄色のカーネーションには、嫉妬という意味もある。あえてそちらを選んだレオンが訳知り顔で口を開く。
「でも嬉しいよ、君がやきもちを焼いてくれるなんて。心配しないで、僕の愛する婚約者はヴィクトリア、君だけだ」
「な………」
呆然としていたヴィクトリアの顔が、みるみるうちに熟れたリンゴのように真っ赤に染まって行く。やがて唇を噛み締め、涙目で心底悔しげにレオンを見上げるのだ。
「それは、光栄ですわ」
ブルブルと悔しさで唇を震わせながら、彼女は引きつった笑顔を浮かべた。
これが二人の日常、攻防戦である。
ヴィクトリアはプライドが高い。元より令嬢というものは、そういうものなのだろう。
けれど彼女は普通の令嬢の何倍もプライドが高い。というのも、彼女自身が幼い頃から優しい両親に蝶よ花よと甘やかされてわがまま放題に育てられてきたことに起因しているのだろう。
何でもかんでも思い通りにしてきた彼女にとって、レオンとは初めて自分の思い通りにいかなかった腹立たしい存在だ。
と言っても、あながち先ほどのレオンの言葉は間違いでもない。
とあるパーティーでファーストダンスをヴィクトリアと終えた後、何度か付き合いで他の令嬢の手を取ることもある。不意に視線を感じて横目でその方向を見れば、不機嫌そうな顔で扇を口に当ててこちらを見つめているヴィクトリアの姿がある。わざと分かりやすくヴィクトリアの方をレオンが振り返れば、彼女は令嬢らしくコロリと微笑む。再びレオンが視線を外して横目で彼女を盗み見れば、また目を釣り上げてムカムカと腹立たしそうに扇を握りしめているのだ。
レオンとしては、笑いを堪えるのに必死だ。
ヴィクトリアは彼女自身気づいていないようだが、レオンのことを好いている。だからよく無自覚で嫉妬しては、ギリギリと訳のわからぬ怒りに心を波立たせている。
本当に面倒な令嬢だ。彼女は素直じゃない。
そこが可愛らしいとも思うが、時折ひどく腹立たしく思うこともある。
レオンのことが好きなら素直にこの手を取ればいいものを、何とかしてこの婚約を無かったことにしようと足掻いている。決してヴィクトリアは心からこの婚約を嫌悪しているわけではない、ただ彼女の空よりも高いプライドが許さないのだ。
初めて会った時から彼女は気位が高く、彼女より身分の高いレオンを敵視している。
彼女は何人もの婚約者候補の中から品定めされ、否応なく自身が商品のように選ばれたことに屈辱を感じている。
だから何としてでもレオンにギャフンと言わせてやりたい、その一心で婚約破棄を画策しているのだ。
実際にそうなってみないと彼女は自分の気持ちがわからないのだろう。本当に婚約破棄をして、傷つくのは彼女なのに。
つくづく面倒でわがままで負けず嫌いで、自分の気持ちに鈍い少女にレオンは時々ため息をつきたくなる。
そして───最近、ヴィクトリアの様子がおかしい。
「れ、レオン殿下」
「何だい?」
「このクッキーとても美味しいわ、殿下もお召し上がりになって」
細い指が香ばしいクッキーをレオンの口元に運ぶ。じっと青い瞳で見返せば、ひくと引き攣りかけた彼女の唇が無理やり笑みを形取る。その目はうっとりと言うよりも、必死の形相でレオンにさっさと食えと圧をかけている。
「……ヴィクトリア、自分で食べられるよ?」
わざとレオンがそう言って困ったように目を細めれば、彼女もまたわざとらしく悲しげな表情を作る。
「まあ……殿下は私の手から召し上がるのは嫌ですのね…」
彼女の紫の瞳がちらりとレオンを横目で見つめた。流石に長い付き合いだ、彼女の考えていることが手に取るようにわかる。爛々と光るその目が、うざいだろう?うざいだろう?うざいと言え!と念を送っている。
「…わかったよ、はい」
「あら…!はい、あーん」
参ったなとばかりに大人しくレオンが口を開けば、パッと嬉しそうな表情を作ったが、その目は落胆していた。
おそらくこれは鬱陶しがって辟易して欲しいのだろうと、レオンはわざと眉間にシワを寄せて面倒がっているフリをしながら、また何か訳のわからぬことを始めたな、と冷静に観察してはいた。
近頃、不可解なほどに学園でヴィクトリアがレオンにひっつき回り、今までであれば考えられないくらいアピールをしてくるのだ。
そしてことあるごとに男爵令嬢のクリスティーナと鉢合わせる機会が増え、不自然なほどにヴィクトリアがクリスティーナに突っかかるシーンを見せられる。
今までにない、小賢しいパターンだ。
どう対処したものかな、とレオンが思案していたある日のこと。
彼女がどうもあのクリスティーナの入れ知恵により妙なことを計画しているらしいと使用人を通じて連絡があった。
使用人の告げ口によれば、現在彼女たちは計画が上手くいっていると無邪気に喜んでいるという。レオンは着実にヴィクトリアに対して鬱陶しがり、嫌そうにしているというのだ。それがレオンの演技であるとも知らずに。
「さて、どうしようかな」
青い瞳を細めて、レオンは窓の外を眺めた。
いっそのこと本当に婚約を解消してみようか。
きっと最初は上手くいったと高笑いをして自由だと喜ぶことだろうが、レオンにエスコートされることもなくなり、ダンスも誘われなくなって、徐々に彼女は自分の気持ちを自覚するだろう。
切なそうに涙を溜めて、ホールの壁でレオンを見つめるヴィクトリアを想像してレオンは僅かに顔をしかめた。彼女の怒る顔や悔しがる顔は好きだが、これはあまり好みではない。
そのまま暴走して修道院に行かれても困る。
……やはりこれは、最後の最後の手段にしよう。
自分の気持ちを自覚して素直になった彼女を見てみたいと思うが、まだまだ素直になれない天邪鬼で負けず嫌いな彼女を愛でていたい。
人が聞けば趣味が悪いと言うだろうが、彼女の悔しげな顔は見ていてとても愉快で、愛らしいのだ。
そうだ、彼女の計画に乗ってやろうじゃないか。ヴィクトリアとクリスティーナの考えた生ぬるい姦計を、更に素晴らしいものにしてしまおう。
そうと考えれば共犯者が必要だ、早々に根回しをしなければとレオンは口元に隠しきれない笑みを浮かべて立ち上がった。
さあ、今度はどんな風に悔しがってくれるだろう。
王子視点、遅くなりました。最後までありがとうございました!




