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天気色観覧車  作者: 目々
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 気付けば家を飛び出していた。下らない毎日を下らないと思いながら過ごす自分が誰より下らなくて、でもそんな自分になったのは周りの誰かのせいだって、言い聞かせて。必死に必死に抑え込んで。どこまでも我慢して抱え込んで。悪いのは私じゃない。私だけは悪くない。そうやって言い聞かせて。

 どうせ同じ平凡なら、平和なやつにしてくれよ。ありふれた話なら、ありふれた平和にしてくれよ。神様なんてものがいたとして、まぁどうせこんな私の台詞なんか聞いちゃあくれないんだろうけど。

 特別変わったところなんてない。自分を保つのに必要な言葉が他の人よりちょっと多かっただけ。

 そんな日のこと。

 夏は夕暮れ、世に情けなし。


 ***


 大した決意もないまま、着の身着のままわがままに飛び出したもんだから、お腹がすいた。夕飯食べてからにすればよかったな。これと言ってこだわりもない安物の財布を開いて、今後のことを考える。


「家出なう」


 いつもなら携帯の中でやっていた呟きも、こうして口に出してみるとひどく滑稽に思えた。


「ばかばかしい」


 あんなものを弄っていた日常も捨ててみると案外なんともない。ただの惰性だったんだろうな。惰性でできた友達に、惰性でやってた変なアプリ、惰性で読んでたバカ話なんて、一度も私を笑わせてはくれなかった。

 私の惰性でできた十数年は、簡単に捨てられるようなものだった。その程度の価値。ゴミと同程度の無価値。ゴミみたいな携帯なんて置いてきて正解だった。


「これからどうしようかな……」


 こんな時、行くあてのある映画のあの子たちが羨ましい。もしくはゲームの中の彼らか。どちらにしろ今の私より惨めじゃないだけ羨ましい。辛い逃げたい言っててもお前にゃ親友いるんじゃん、とか。今にも死にそう助けてくれよ、なんて言いながら秘密基地に駆け込むじゃん、とか。馬鹿げてるよね。羨んでしまう私も私だけれど。

 物語ならハッピーエンドに向かうための布石としての不幸を散りばめているだけだけれど、私にとってこれは現実。紛いもない現実で。友達もいない、居場所もない、どこに向かうかもわからない泥舟なわけですよ。

 ……。

 なんてね。

 言ってりゃ何かがどうにかなるかもって期待がどっかにあったのは認めざるを得ませんよ。でもさ、これってひどくない? なんというか、この仕打ち。ゴミ捨て場に酔っ払い、みたいに当たり前のように堂々と開き直られるといっそ清々しくもあって危うく謝罪さえしてしまいかねないんだけど、




 西陽を避けるように視線を向けた先に、ひどく痩せた女の子が座っていた。




 鉄骨剥き出しでがらんどうな廃ビルに、チープなパイプ椅子が恐ろしく映える光景だった。

 私の絶望なんて鼻で笑ったね。何故かって? そりゃあ君さあ、あの子が私よりも幸せそうに見えるかって話だよ。 無機質で灰色の瞳に光なんて微塵も無いし、元の柄すらわからないほど汚れたワンピースを着てる。着てるっていうか、ただ付けてるだけ。雑木林を駆け抜けて転がり周ったって、あんなズタボロにゃなりはしない。

 その光景を前にして「今にも死にそう」だった私は、「この子を助けなきゃ」な私に変わった。ダメだね自分、情けない。こんなに早くこんなに簡単に捻じ曲がってしまう自分なんてダメダメだ。人の世話なんて焼いてる場合か? 冗談じゃない。自分のことで手一杯だ。他のことを考える余裕なんてないはずだ。それでも私はこの子を助けなきゃならなかった。だって私は、彼女を、この光景を、美しいと思ってしまったのだから。


 ***


 自分より下の人間を見つけて喜ぶバカというのは、どうやら私のことだったらしい。さっきから変わり映えなく沈黙を保ったままの彼女を見ていると、紛れもない優越感にも似たおぞましい感情が湧いてくる。「エグいな」なんて考えながらも、見続けることをやめられない。視線を逸らすことができない。むしろ一歩も動けない。

 私の方がまだマシだ。そうやって蔑んでしまう。

 彼女はこれからどうなるんだろう。そうやって哀れんでしまう。

 それでも彼女は美しい。そうやって羨んでしまう。

 そんな私はどうするんだろう。そうやって……。


「と」


 不意に動きがあったのでとりとめのない思考は中断された。かと言って別段大きな変化があったわけでもなく、彼女の首が右から左へ、傾げる方向を変えただけのことだ。とりあえず生きてはいるようだ。それも当然だけれど。廃ビルのパイプ椅子に座る女の子がもしも死体だったなら、私は絶対嫌悪していただろうから。

 自分でもよくわからないこの美的センスなら、長く伸びた彼女の影を一体どう捉えるんだろうか。我ながら他人事みたいで笑えない。

 一心不乱に見つめる私の視線にようやっと気がついたかのように、彼女の唇が微かに開いた。けれど言葉は出てこない。ただの小さな変化だろうか。彼女は行動というか挙動の一つひとつが小さすぎて、すっかり彼女に惹かれてしまっている私は見逃さないようそれを必死に目で追った。

「動きたい」どうやらそのように呟いたと見える。動きたいなら動けばいい、そう言ってやろうとしたが、それを躊躇わせるだけの何かが彼女から伝わってきた。彼女は、この光景はいわば一つの作品のようなもので、その作品に変化をもたらすためには人の手が必要だ。この場で喩えるなら私が作者になるほかない。ただの家出娘である私が一作品に手を加えることがどれだけ傲慢な行いであるかわからなかったわけではない。行動こそ子供っぽいそれであれ、私とてそれなりに年月を過ごしてきたのだ。しかし、当の作品である彼女自身がそれを望むのであれば、そして作者不在の現状を鑑みるならば、傲慢であれなんであれ、私が筆を取る他なかった。

 彼女をおぶって、私は彷徨うように歩き始めた。より良いカンバスを求めて。

 彼女の体は空気のようだった。


 ***


 夜も更け、あてもなく歩き続けることの無意味さを月が照らす。この足はどこへ向かっているのだろうか。私は今何をしているのだろうか。自分でもわからなくなるほど幻影的な世界に私はいた。自ら筆を取っておきながら勝手なものだと自嘲する。

 あれ以来彼女は一言も発さず、私の背中で静かに呼吸している。セイタカアワダチソウの暗い海を進んでいると、ぽっかりと開けた空間が現れた。雑草の生い茂る延長線に、柵と巨大な観覧車が見える。廃遊園地。月明かりに照らし出されたゴンドラが、今夜の私達の居場所であることを直感した。

 そのゴンドラは観覧車の一番下に降りていたので乗り込みやすかった。彼女を座席に降ろしてやると、すぐに寝息を立て始めた。月光に蒼白く浮かぶ彼女の頬を眺めながら、改めて美しいと感じた。その容姿はさることながら、全く主張することのない希薄な存在感そのものが輝きを放っているように見えるのだから不思議だ。

 場所を探しはしたものの、その必要は無かったぐらいに彼女はどこに置いても画になるようだ。女優みたいで少しずるい。

 私も歩き疲れたので、頼りないゴンドラの薄扉を閉めて横になることにした。座席は硬くて冷たかったが、これまでの短い生涯で一番の傑作に出会えた喜びに霞んで気にならなかった。

 あわよくば、このまま何かがどうにかなって、目覚めるとなんてことない日常を取り戻しているよう願いながら、眠りについた。


 ***


 陽射しは躊躇なくゴンドラをすり抜けて私の頬へと照りつける。目覚めて気付いたことだが、このゴンドラは透明なものだった。個室のどこをとっても透明で、陽射しを遮る場所なんてなかったからすぐに外へ飛び出す。もう一つ目覚めて気が付いたことは、私には元よりわざわざ取り戻すような日常なんて用意されていなかったという、ごく当たり前の事実だった。

 それでも彼女の芸術性といったら、些細な事象など吹き飛ばすほどの代物で、風になびくその背中に、私は吸い寄せられてしまう。「おはよう」昨日より幾分生気の込められた声に驚いて、なんて返事をしたらよいのか一瞬戸惑った。


「おはよう。今日は元気だね」


 顔色を伺った私の返答に黙ったまま頷く彼女。相変わらず無表情で感情を読み取ることは難しいが、なんとか会話は成立するようで安心した。彼女には聞きたいことが山ほどある。実際に聞いたものかは別として、とにかく会話が可能なことに救われた。


「私は夏菜、あなたは?」


 まずは何から聞き出したものか考えあぐねているうちに、彼女、夏菜に先を越されてしまった。そこで私は「き、きい子?」と自分の名前にも関わらず疑問系で返してしまう失態をやらかした。作者として筆を取った以上こちらが主導権を握れるだろうという浅はかな予測は大きく外れたようで、あやうくため息をついてしまいそうになる。彼女自身が自らを「作品」だと公言しているわけではないのだ。


「きい子ちゃん。可愛い名前だ」


 やや口角を上げる夏菜。笑っているようにも見える。魅力なんてものが私の中に存在するはずがない。可愛いという言葉は、風鈴が風になびく夏の情景を想わせる切ない声色をもった夏菜にこそ相応しいと思った。そのままを告げると「嘘ばっかり」などとかわして更に口角を上げる。たまったものじゃない。私は自分の「きい子」という名前を酷く嫌っていた。

 うちの親にはおよそこだわりというものが皆無らしく、あらゆる物に八つ当たりし、破壊し、むげに扱い、手放した。私もそんな「物」のうち。結婚前から遊び歩きの絶えない両親だったらしいから私を産んだあともその習慣に変化が生じるはずもなく、ゆえに私はやむなく鍵っ子として誰も帰りを待たない空っぽの家に帰宅するという生活を余儀無くされた。「key」ということである。我が両親ながらなかなかに洒落が効いている。産まれたときからただの鍵として私は育ったのだ。

 唐突に不快感と嫌悪感に襲われる。一時は忘れかけていた途方も無い現実に引き戻される。家を出たということは、食べるものも着る服も、何もかもを自分の力で調達しなければならないのだ。覚悟の足りなかった私はここで激しく後悔した。感情の赴くままに身勝手な行動をとってしまったことを恥じた。かと言って今更家に戻るつもりもなければ、両親に助けを乞うつもりもない。様々な感情に苛まれ、押し潰され、沈んでいく私に手を差し伸べるように、夏菜は声をかけてくれた。


「何か食べに行こうよ」


 夏菜にかけられた言葉の真意はわからなかったが、返答を待たずして進む彼女の迷いの無い足取りに背中を押されて、縋るようにしてついていく。いつまでも頭で悩んでいてはダメだ。何か行動を起こさなければいけないのはわかっている。何かがどうにかなるんじゃなくて、何かをどうにかしたいんだ。できるかどうかなんて、私は知らない。今はただ、彼女の後を追いかけるだけだった。


 ***


 廃遊園地からおよそ三十分ほど歩いたろうか。片側二車線の車道は交通量もいささか多く、点在する商店に足を運ぶ人達である程度の賑わいを見せていた。寂れた森の中に佇む廃遊園地と比べれば、これでもずいぶん立派な町に見える。それだけ文明は景観を変化させる力を持っているというのだろう。このカンバスに夏菜は似合わない。ゴンドラで眠る夏菜を思い返しながら文明の町を冷ややかに眺める。白い乗用車を見送ったのち、夏菜が車道に飛び出した。

「ーーっ!」そのあまりに突飛な行動に声なき声が漏れるのを堪えている間にも、夏菜はどんどん遠ざかる。けたたましいクラクションに動じることなく行き交う車の合間を縫って、あっという間に夏菜は向こう岸へと辿り着いてしまった。一度こちらを振り向いたかと思うとまたすぐに歩を進める。


「待って、行かないで!」


 私の声は環境音に押し潰されて届かない。彼女を見失うのだけはなんとしても避けないと。焦った私はろくに車の動向も見ずに車道へと躍り出た。瞬間、猛スピードで迫ってきた車にクラクションを連打される。その車はスピードを保ったまま車線を変更して私を迂回し去っていった。呆然とする私目掛けて第二、第三の車の波が押し寄せる。無我夢中で対岸まで走り抜けなだれ込むようにアスファルトに両手から着地した。

 思えば初めての経験だった。もう少し先まで進めば横断歩道もあったのに、あんな大きな道路を突っ切るなんて冒険心は私には無かったものだ。肩で息をする私をよそに、夏菜は近くの商店に入っていった。

 地方の商店だからあまり広くはないけれど、夏菜を見つけるのに苦労した。てきぱきと慣れた手つきでカートに食品類を詰め込みながら、陳列棚を忙しなく往復する。入店からものの五分も経たないうちに、カートは満杯になっていた。


「そんなに買えるほどお金もってないよ」


 家を飛び出すほどの行動力を見せたわりにその実小心者の私は夏菜に小声で話しかける。一応貯金はありったけ持って来てはいたがそれでも精々二万円とちょっとである。そんな豪快な買い方をしたらすぐに底をつくような額だ。まるで先を見据えた買い物ではない。すると夏菜は私の不安気な顔を見てまた少しだけ口角を上げ、例の風鈴のなびくような声で「じゃあ行くよ」とだけ小さく呟いた。

 その華奢すぎる脚のどこからそんなパワーが生じているのか、満杯のカートを押したままの夏菜はそのままレジに並ぶことなく入口に向かって駆け出した。理解が追いつかない。何が起こったのかわからない。しかしその場に所在無く立ち竦んでいるわけにもいかず、仕方なしに夏菜の後を追う。店がぐんぐん遠ざかる。

 私達は今日、犯罪者になった。


 ***


 すっかり新しい住処と化した廃遊園地に戻ってきた時には、身体中を流れ伝っていた冷たくて熱い汗もすっかり乾き、言いようの無いもどかしい感情だけが心の中で渦巻いていた。遊具の側に打ち棄てられた商店のカートに恨みがましい目で睨まれているような気がして思わず目を背ける。夏菜に急かされて大量の食品たちを観覧車の制御室に運び込んでいるうちに、ふっと感情が切り替わった。


「あはは! あはははは!」


 可笑しくってたまらない。ぶっ飛んだことを仕出かしてしまった。私の十数年の人生で一番ぶっ飛んでいる。万引きだ。あの量なら強盗とも言えるだろうか。とんでもないことをしたというのに、とにかくなぜだか可笑しくて二人で笑い転げた。


「あなたも共犯だからね」


 そう、共犯。私達は犯罪者になったんだ。もう今までの平和な世界にはいられない。もう二度と戻ることはできない。だがそれがどうした。平和な世界じゃ決して手に入ることのなかった感情を今の私は持っているぞ。清々しくて切なくて、悲しくって可笑しすぎて。複雑に絡んで解けないこの感情を、いったいどれだけの人間が手にするというのだろう。私達は特別だ。もう怖いものなど何も無い。生きるためには善も悪も関係ない。関係が、なくなってしまった。夏菜の世界に引き込まれ、おかしくなってしまった。

 疾走していく私達と動かない観覧車。

 失踪している私達と動き出すだろう警察機関。

 廻らない観覧車と共に廻り始める私達の運命の歯車。向かう先に何が待っていようと関係なかった。私達なら何でもできる。何にでもなれる。廃遊園地の紡ぎ出す夢と希望は、まだ終わってなんかいないんだ。文明に見放された廃墟は、世間に見放された私達を匿うように深い闇に溶け込んでいく。真っ黒いカンバスは全ての光を飲み込んでいく。私達の輪郭を際立たせるように。


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