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「次はこの道の先にある店へ行きましょう、ブランカ」
「お待ちください、アリーゼお嬢様。きちんと馬車に乗って大通りを……」
「あら。この道を通るとすぐに着くと知っていますのよ?」
とある昼下がり。わたくし、アリーゼ・ド・アングルヴァンは、侍女のブランカを連れてお買い物を楽しんでおりました。
買い物がわたくしの数少ない趣味であり、退屈な日常に風穴を開けてくれる特別なもののような気がしたからです。
「うふふ。今日はたくさん買い物をする予定ですもの。のんびりしている時間はありませんわ。早く行かないと店が閉まってしまいます」
わたくしはそう言って、ブランカを急かしました。
急ぎの用があるわけではありません。ただ早くお店に並ぶ商品を眺めたかっただけです。
「アリーゼお嬢様ったら……って、キャーーッ!!」
突然、後ろからついて来ていたブランカが叫び声を上げました。
何事かと後ろを振り返ろうとしましたが、振り返る必要はありませんでした。わたくしの横を猛スピードで走り抜ける男がいたからです。その男は、手にブランカが持っていたはずのバッグを持っています。
その男を、ブランカが必死で追いかけています。
「泥棒ですわー! 誰かその人を捕まえてくださいませー!」
ひったくりを追いかけることに必死なブランカに代わり、状況を把握したわたくしが声を張り上げました。
貴族令嬢が声を張り上げることはみっともないとされていますが、緊急事態なのです。
正直なところ、わたくしはこの緊急事態を面白がっておりました。緊急事態のおかげで普段はすることの叶わない「叫び声を上げる」という行為をすることが出来ましたので。
ですがこのまま、あのひったくりが捕まらずにバッグが返ってこなかった場合、ブランカが叱られてしまいます。それはわたくしの望むところではありません。
どうしたものかとわたくしが頭を悩ませていると、ひったくりが向かう先に、一人の人間が寝転んでおりました。男は三十代後半から四十代前半くらいでしょうか。無精ひげを生やし、くたびれた服を着用しています。
その無精ひげの男は、ひったくりが彼の横を通り過ぎようとするタイミングに合わせて、寝返りを打って足を大きく伸ばしました。
「よっ、っと」
「うおっ!?」
いきなり伸びてきた男の足に、ひったくりは引っ掛かって派手に転びました。
無精ひげの男は転んだひったくりの手からバッグを掴み取ると、立ち上がってバッグをしげしげと眺めました。
「盗んだのはこれかー? 女物のバッグだもんな」
「返せ! それは俺のだ!」
「お前のじゃないだろ。それともお前は、この女物のバッグを片手に化粧品を買うのが趣味なのか?」
「なんだと!?」
「なーんてな。お前、この辺で暮らしてるやつじゃないだろ。今起こったことは、ここにいる仲間たちがちゃーーんと目撃してるからな。ここに住むやつらは仲間以外がこの地を荒らすことが嫌いなんだ。とばっちりで警備隊に自分が冤罪をかけられるかもしれないからな」
無精ひげの男の言葉を聞いて辺りを見渡すと、男のように路上で寝ている人たちが何人もいました。彼らは皆、二人のやりとりを眺めています。
「何が言いたい」
「早く逃げないと、みんなにボコボコにされるぞ、お前」
「うるせえな! それは俺の物だって言ってるだろ!」
「待ってください、そのバッグは私のものです!」
無精ひげの男とひったくりの男が言い争っている間に、彼らに追いついたブランカが息を切らせながらバッグの所有権を主張しました。
無精ひげの男はブランカの言葉を聞いて微笑むと、バッグをブランカの手に渡しました。
それを見たひったくりの男は、悪態を吐きながら去って行きました。
「ありがとうございます!」
「おう。これからは気を付けてくれや。この辺はあんまり治安の良い場所じゃないからな」
一連の騒動を後ろから見守りつつ二人の元へ早足で歩いていたわたくしは、ようやく二人に追いつきました。
なぜすぐに向かわなかったのかと申しますと、わたくしは走ることに慣れていなかったからです。
とてもひったくりの男には追い付けず、ひったくりを追いかけるブランカにさえも追いつけなかったのです。
「バッグを取り戻してくださってありがとうございます。このご恩は忘れませんわ!」
やっと二人に追いついたわたくしも、バッグを取り返してくれた無精ひげの男に礼を述べました。
「気にしなさんな。寝返りを打ったら、あいつが勝手に転んだだけだから」
「ええと……大変申し上げづらいのですが……ここは地面であってベッドではありませんわ」
この場所には、地面をベッドと勘違いしている者がたくさんいるようです。
地面とベッドは別物だと、誰かが教えてあげなくてはなりません。
しかし真実を告げたわたくしを見て、男は一瞬固まってから、ゲラゲラと笑い始めました。
「この布がおじさん愛用のベッドなんだよ、お嬢様」
無精ひげの男は道端に落ちている粗末な布を拾い上げると、わたくしの目の前でひらひらとさせました。
彼が持っているのは本当にただの布で、マットレスですらありません。
「この布の上で寝るのは、身体が痛いのではありませんこと?」
「痛いけど、路上にベッドを置くわけにはいかないだろー?」
「ベッドはお家に置いたらいかがですの?」
「おじさんにはお家が無いのー」
なんということでしょう。
わたくしは、ようやく彼がこんなところで寝ていた理由に合点がいきました。
「それは大変ですわ。あなたは迷子ですのね。早くお家を探さないと」
しかし無精ひげの男はまたしてもわたくしの言葉に固まると、わたくしの目を覗き込みました。
「お嬢様って、もしかして天然?」
「どういうことですの……?」
「アリーゼお嬢様。この者は家を持たない浮浪者です。身体を洗っていないため臭いもします。関わっても良いことはありませんので、早く行きましょう」
無精ひげの男が発した言葉の意味が分からずわたくしが首を傾げていると、ブランカがそう告げました。
浮浪者。家を持たない者。聞いたことがあります。まさか彼がそうだとは思いませんでしたが。
言われてみると、確かに彼はしばらく身体を洗っていないように見えます。とはいえ、それを理由に礼を欠いてはいけません。
「それはいけませんわ、ブランカ。助けてもらったのですから、彼にお礼をしませんと」
この場を立ち去ることを提案するブランカに、わたくしはそう申しました。
助けてもらったのに適切な礼をしないなんて、アングルヴァンの名がすたります。
「いいって、いいってー。お礼はさっきの言葉で十分。それより、こんなところからはさっさと去った方が良いぞ。おじさんみたいな人間と絡むと損するからなー」
「まあ。謝礼が要らないなんて謙虚な方ですのね」
「謝礼も何も、おじさんは寝転んでただけだからねー」
先程のは、どう見ても寝転んでいただけではありませんでした。彼はひったくりが走ってくるタイミングに合わせて寝返りを打っていましたから。
考えてみると、ひったくりがつまづいたということは、彼はひったくりに足を蹴られているのです。
それなのに謝礼が要らないなんて、さらにひったくりを捕まえようとしたこと自体を偶然だったかのように仰るなんて、とてつもなくスマートな振る舞いです。
「無償で人を助けた上に恩を着せないなんて、なんと人間の出来た方なのでしょう!」
彼と比べて、自分が恥ずかしくなるほどです。
同じような状況に遭遇したとして、わたくしは彼のように振る舞うことが出来るでしょうか。
否、このようなスマートかつ紳士的な対応など出来るはずもありません。
「素晴らしいですわ。わたくし、惚れ惚れとしてしまいました!」
「侍女さん、このお嬢様を早く連れて行ってくれないかなー?」
無精ひげの男は、ポーッとしながら彼のことを眺めているわたくしではなく、ブランカに向けてそう言いました。
「この者もそう言っていることですし、行きましょう、アリーゼお嬢様」
ブランカは男の言葉に賛成らしく、わたくしをこの場から立ち去らせようとしてきました。
ですがそうはいきません。だって。
「わたくし決めましたわ!」
「決めたとは、何をですか」
「わたくし、この方をわたくし専属の護衛に任命いたしします!!」




