きらりさんとすみれ
きらりさんは危ない義父の手から逃れ、僕の家に避難することになった。
彼女はとてもほっとしたようで、食欲を取り戻し、我が家のクリームシチューを食べた。鶏肉とジャガイモ、ニンジン、タマネギが入っている。市販のルーでつくった普通のシチューだが、「美味しいです」と言って目を潤ませていた。
お母さんとお父さんは母性本能と父性本能をくすぐられたみたいで、「おかわりしていいのよ」「食後のケーキも買ってあるよ」などと言って歓待していた。
だが、その日はまだいろんなトラブルが残っていた。
ケーキを食べているとき、きらりさんに入院中のお母さんからメッセージが届いた。彼女は緊迫した面持ちでスマホに目を落とした。
顔を上げ、僕たちに説明する。
「義父が母に『娘が帰ってこない』と伝えました。わたしを襲ったことは伏せているようです。母が心配して『どこにいるの』と訊いてきました」
「そういう展開になったのね。あなたの義理の父親が何を考えているかわからないわ。娘に暴行しようとしたことがすぐにバレる。入院したばかりの妻が不安になる」
「義父は荒っぽいけど小心な人なので、わたしが家出したことを黙っていられなくなったんだと思います」
「お母さんにはどう答えるつもり?」
「今夜のところは『友達の家に泊めてもらっている』と返事しておきます。でも母は勘のいい人なので、いつまでも誤魔化してはいられません。正直にすべてを伝えた方が問題解決に近づくと思います。明日、カナタくんの家にお世話になっていると母に伝えていいですか?」
「いいわよ」
お母さんがきっぱりと答えた。繰り返すが、我が家の決定権は母が握っている。母がいいと言ったら、父や僕がなんと言ってもくつがえらないのだ。もちろん僕はその決定を喜んだ。
「カナタ、明日は学校を休んで、きらりちゃんと一緒に行動しなさい」
お母さんからそう言われて、「うん」と僕は答えた。母の指示に従うことがきらりさんを救うことにつながるのは明白だった。
「わたしは自分の家の鍵も持ってない。明日はまず病院に行って、お母さんに事情を包み隠さず話すね」
きらりさんは病院名を言った。このあたりではいちばん大きな総合病院だ。
「それから家に帰って、母の入院に必要なものとわたしの財布とか教科書、着替えとかを持ち出す。平日だから義父は会社に出勤していると思うけれど、あの家に入るのは怖い。カナタくんがついてきてくれると心強い」
「わかった。明日はずっと一緒にいるよ」
「ありがとう。母にカナタくんのことを紹介していいかな? 彼氏だって」
「いいよ」と答えたが、彼女のお母さんの前で吃音が出たりして、みっともない男だと思われないか僕は少し心配だった。
「カナタ、しっかりしなさいよ」と母が言う。
「わかってるよ。ちゃんとやる」と僕は答えた。きらりさんを救うためだ。こんな男には娘を任せられないと彼女のお母さんに思われないようにしなければならない。
「それからもう一度病院に行って、お母さんに必要なものを届けなきゃならない。面倒くさくてごめんね」
僕は首を横に振った。なんとしてでもきらりさんを助ける。面倒くさくなんてない。
きらりさんには2階の空き部屋で寝てもらうことになった。
半ば物置のようになっている四畳半の和室で、僕は急いでそこをざっと整理し、布団を敷けるだけのスペースをつくった。
その直後、すみれからメッセージが届いた。
『綿丘さんの家出ってどうなったの? あたしの相談にはもう乗ってもらえないの? カナタに会いたい。カナタと話をしないと獅子谷くんになんて答えるか決められない。あたし、どうすればいいの?』
すみれはかなり情緒不安定になっているみたいだ。
きらりさんを泊めることになったと伝えたら、それに関するいろんなことを説明しなくてはならなくなるだろう。それによって、すみれはさらに不安になるかもしれない。
それにいま彼女に時間を割いて会いに行ったりしたら、今度はきらりさんを心配させることになる。
すみれには悪いけれど、後回しにするしかない。
『ごめん。取り込み中なんだ。時間ができたらじっくり相談に乗るよ』
『あたしも急いでるの。獅子谷くんに返事しないといけないの。ねえあの巨乳とどうなってるの? あの子が家出したってどうしてなの? 何が起こってるの?』
すみれが可哀想だ。
彼女の力になってやりたい。
もしからだがふたつあったら、すみれの家に走っていきたい。
だけど、僕はひとりなのだ。
困っている女の子ふたりを同時に助けることはできない。
『本当にごめん。今日明日は手が離せないんだ。込み入った問題だから説明すると長くなる。いまは無理だ』
『カナタに会いたい。会ってよ』
『ごめん』
チャットで断ると、電話がかかってきた。すみれからだ。
僕は断腸の思いでスマホの電源を切った。
すみれが泣いているかもしれないと思うとつらかった。
僕はスマホを握り締めてうつむいた。
背後にきらりさんが立っているのに気づいた。
「草原さん?」ときらりさんは言った。母は勘がいいと話していたけれど、彼女自身も勘が鋭い。
「うん……」
「いろいろと迷惑をかけてごめんなさい」
「気にしなくていい。きみだけはなんとしてでも助けると言ったでしょう?」
「本当にありがとう」
僕はきらりさんを助ける。すみれはたぶん救えない。
大切な幼馴染を助けられないのはものすごく苦しい。




