恋人と両親
僕ときらりさんは僕の家の門まで来た。木造二階建ての一軒家。庭はもっふーと遊んでいたときと変わらず、芝生が敷かれている。お父さんが丁寧に手入れしているのだ。
きらりさんは緊張しているようだ。
僕も緊張している。
自分の家の前でこんなに緊張したのは初めてだ。
いつもならいきなり玄関を開け、「ただいま」と言って入るのだが、今日は恋人を連れている。
両親にはついさっきまでカノジョがいることも伝えていなかった。
お父さんとお母さんにも心の準備が必要だろう。
僕はドアフォンを鳴らした。
「カナタ、おかえり。恋人も一緒なのよね?」とお母さんが応答した。
「ただいま。そうだよ。入っていい?」
「いいわよ」
ドアフォンで話して母の了解を得てから、「じゃあ行こうか」ときらりさんに声をかけた。
「うん」
彼女は裁判所で判決を待つ被告のように顔をこわばらせている。
「リラックスして。僕の父は地方公務員で、母はパートで働いている図書館司書だよ。割と温厚な親だと思う」
「カナタくんのご両親に変な女だと思われたくないの」
「いつものきらりさんのままで大丈夫だよ。笑顔、笑顔」
「わかった」
きらりさんは幾分か不自然な笑みを浮かべた。
先刻義父に強姦されかけ、これから知らない家に入り、恋人の両親に初めて会うのだ。ごく自然な笑顔になるのはむずかしい。
だが、いつまでも玄関の前で立ち尽くしているわけにはいかない。
僕はドアノブを握り、玄関を開けた。
上がり框の先にお母さんが立っていた。
僕の横にはきらりさんがいる。
母は彼女と目を合わせて微笑み、それから巨乳に気づいて大きく目を見開いた。誰だってきらりさんのすいかのような胸には驚く。僕の母親も例外ではなかった。
「僕の恋人の綿丘きらりさん」
「こんばんは。初めまして、綿丘きらりです。突然押しかけてしまってすみません」
「カナタの母の小鹿聖子です。いらっしゃい。どうぞ中に入って」
「お邪魔します」
母、僕、きらりさんの順番で廊下を歩き、ふだん家族やすみれがくつろいでいるリビングへ行った。
テーブルには夕食の用意があり、椅子にお父さんが座っている。
父はおもむろに立ちあがった。
軽く頭を下げ、自然に訪問者を迎え入れようとしたが、やはりきらりさんの巨乳に目を奪われ、ちょっとうろたえてから視線を彼女の目に合わせた。
「恋人の綿丘きらりさん。高校のクラスメイトなんだ」
「初めまして、綿丘です」
「こ、小鹿直樹です。よく来てくれたね」
お父さんはどもった。
父は46歳だが、20代にしか見えない童顔で、小柄だ。要するに僕は父親似なのだ。
「晩ごはんは済ませているの?」とお母さんは訊いた。
テーブルの上にはクリームシチュー、サラダの他にお寿司まであった。
お寿司は明らかに急いで買ってきた歓待用だ。
きらりさんは食欲がないと言っていた。
「お父さん、お母さん、ごめん。まだ食べてないけれど、きらりさんはいま大変なことになっているんだ。その話を済ませてからでないと、落ち着いて食事はできないと思う」
「わかったわ。お話を聞きましょう」
母が言った。我が家の実権はどちらかと言うと母親が握っている。父は黙って聞く姿勢になった。
「きらりさん、僕から説明しようか?」
「いいえ、わたしに話させて」
彼女はまだ緊張していたが、家の中に入って開き直ったようにも見える。
入学式の日にいきなり告白し、寿限無さんに東京湾に沈めてやると言い、義父の股間を蹴りあげた女の子。メンタル強めなのだ。
それでも現在はかなりのピンチで、表情は硬い。
「今日、わたしの母は交通事故で膝の骨を折り、入院しました。それだけなら誰に頼る必要もないんですが、自宅で義父に強姦されかけました。家にいられなくなり、やむを得ずカナタくんに助けを求めました」
きらりさんはずばりと説明した。
それを聞いて、母の目は点になり、父は「ご、強姦……?」とつぶやいた。
いち早く我に返ったのは母だった。
「えーっと、それで私たちは何をすればよいのかしら?」
「きらりさんは今夜家に帰れない。今夜だけでなくて、少なくとも彼女のお母さんが退院するまでは帰れないと思う。ホテルにでも泊まるしかないけれど、義理のお父さんから命からがら逃げ出してきたような状態で、スマホしか持ち出せなかった。お金をまったく持ってないんだ」
「綿丘さん、お母さんはどのくらい入院する見込みなの?」
「約2週間と聞いています」
「そう……」
お母さんは考え込んだ。お父さんは口を半開きにして、まったく発言しなかった。
「カナタ、少しふたりで話をさせて。ごめんなさいね、綿丘さん」
きらりさんはうなずき、母は僕を1階にある両親の寝室に連れていった。
「カナタ、率直に訊くけど、カナタはすみれちゃんより綿丘さんが好きなのね?」
「そうだよ」
「私はカナタとすみれちゃんがお似合いだと思ってた。なにしろ長いつきあいだし、その間大きなけんかをすることもなく、仲よくやってきたんだもの。あの子は可愛いし、気立てもいい。ふたりが恋人同士になればいいと私は思ってたの。でもカナタは綿丘さんを選んだのね?」
僕は首を縦に振った。
「胸の大きさが理由じゃないわよね?」
我が母ながら質問が率直すぎる。
「そんなんじゃない! 僕はきらりさんのすべてが好きなんだ」
わかったわ、とお母さんは言った。
僕たちはリビングに戻った。
「綿丘さん、カナタのどこが好きなの?」
母の率直さはきらりさんに対しても発揮された。
「最初は顔が好きになりました。わたしは童顔が好きなんです。いまは彼の内面も大好きです」
きらりさんもめちゃくちゃ率直に答えて、僕はひやひやした。
「うん。童顔っていいわよね」
お母さんは顔をほころばせた。初めて母親の男性の好みを知ってしまった。まあお父さんと結婚したんだから、予想はできたことだ。
「それからあなたと義理のお父さんのことも聞いておきたいわね。言いにくいかもしれないけれど……」
「わたしの本当の両親は、わたしが小4のときに離婚したんです。中1のとき、母は再婚しました。義父はわたしにとっては嫌な人でした。母が見ていないときに痴漢みたいなことをするんです。そして今日、お母さんが入院して、確実に家に帰ってこないとわかっている日に義父はわたしを襲ったんです。必死で逃げ出しました」
「そう。可哀想に……」
母は表情をくもらせ、両手を握り締めた。心からきらりさんに同情しているようだった。
「事情はわかったよ。ホテルの宿泊代を貸してあげよう」とお父さんは言った。
母が鋭い目付きで父を見た。
「お父さん、カナタの恋人が困っているのよ。それも母親が入院した日に義父に襲われるっていうとんでもない目に遭って。傷ついているってわかってあげられないの? この子をひとり淋しくホテルに泊めさせるなんてできないわ!」
「いや、じゃあ、どうするつもりなんだ?」
「うちに泊めてあげましょうよ」
「待てよ。いきなりよその家のお嬢さんを泊めるわけにはいかないだろう?」
「単なるよそのお嬢さんじゃないわ。カナタの恋人なのよ!」
母が強く出ると、父は黙り込んだ。
「ねえきらりちゃん、このことはあなたのお母さんに言っておく必要はある?」
母はきらりちゃんと呼び出した。きらりさんはうれしそうに口角をあげた。
「近いうちに話さなくてはならないですが、今日は入院したばかりです。カナタくんの家に泊めてもらうと言うと、理由として義父に強姦されそうになったことも言わなくてはなりません。ショッキングな話なので、折を見て伝えたいと思います」
「そうね。重傷を負って入院した日に話すことじゃないわね」
お母さんは僕ときらりさんを交互に見た。
「きらりちゃんは当分の間、うちに泊まってもらいます。それでいいかしら?」
「ありがとう、お母さん」
僕は母に向かって頭を下げた。
きらりさんは目に涙を浮かべていた。
「ありがとうございます……」
「いいのよ、きらりちゃん。ここを自分の家だと思ってくつろいで頂戴。シチューを温め直すわ。みんなでごはんを食べましょう」
「お手伝いします!」
女ふたりはキッチンへ行った。
「カナタ……」とお父さんはつぶやいた。「男は尻に敷かれてるくらいでちょうどいいんだ……」
「そうかもね」と僕は答えた。もし僕がきらりさんと結婚したら、両親と同じくらいの力関係になるのかもしれない。
こうして、僕ときらりさんはひとつ屋根の下で暮らすことになった。少なくとも当分の間は……。




