第1話 錬金術師は、巣立つ時が来た。
「違う……これも違うな……うーん……」
様々な革を眺めては、違うと木箱に入れる。
時折、黒髪をガリガリとかきながら、少年はそんなことを繰り返していた。
「……うまくいかないなぁ」
テーブルの上に並べられていた革は全て木箱に入った。
革はどれもこれも光沢を思わせる輝きがあり、『高品質』であることは間違いない。
ただ、少年はそれを眺めては『違う』と繰り返す。
何かの研究を行って、その結果が芳しくない。と言うことだろう。
「……ふあぁ。何か食べてくるか」
あくびをしながら作業場の扉の鍵をかけると、後にする。
そのまま、食堂に向かった。
広々とした席と、その奥である程度の仕込みを済ませた料理人たちがいて、席にはそこそこの人数が座っている。
席の中にはかなり豪華な椅子とテーブルも用意されており、場所も占有率も高い『特別』なものもあって、既にそこは使われていた。
ただ、少年はそんなことは気にせずに、トレイとトングを手に、パンが並んでいるコーナーに向かった。
特に具材が入っていない白パンを三つ取って、そのまま空いている席を使う。
そのまま黙々と食べ始めた。
「おいおい、錬金術師もどきが呑気なものだな!」
豪華な席に座っている人間の中で、一人が騒いだ。
席から立ち上がって、こちらに歩いてくる。
茶髪を切りそろえて、これまた豪華な装飾のある服を着ている男だ。
「リクナ・プルート。素材しか作らない似非錬金術師の貴様が、こんなところで何をしている」
「……飯を食べてる」
「タメ口を効くな! 第一王子であるこの俺、オルト・アーガリアに向かって無礼だぞ!」
「宮廷錬金術師……しかも陛下直属部隊に入ってる俺は、第一王子であるお前より偉いぞ。法律にそう書いてる」
「似非錬金術師が偉そうにするな!」
キレているオルトだが、リクナが言ったことは事実。
宮廷に仕える。というだけなら、王家に対して非礼なことはできない。
ただ、『国王の直属部隊』に選ばれるほどの実力者というのは、誰も彼もが王家に忠誠を誓うわけではない。
他国にわたらせるくらいなら抱えておいた方がいい。という理由で入れられている者もいる。
そういうものは権限をある程度持っているもので、そうして幅を利かせた者が過去に多くなった結果、王子よりも立場が上。というモノになった。
もちろん、宮廷錬金術師であるリクナに『政治的な議決権』はない。あくまでも、錬金術師といて行動する上で国王以外からは邪魔されず、王子が相手でも多少の無礼はお咎めなし。と言う程度。
最も、王子であるオルト視点だと、『舐められている』気がするのは事実だろう。
「宮廷に使えるものは、いずれも多大な功績を出している。貴様のように、ただ素材ばかりを作っているわけではない。多額の予算を使いこんでいるという話も聞いているぞ。そんなことは俺が許さん! 俺が王になったら、お前はこの城から叩き出してやるからな!」
そんなことを言って、オルトは食堂を出ていった。
彼が座っていた席には取り巻きであろう人たちも座っていたが、彼が出ていったのを見て慌てて付いていく。
まだ料理も残っており一切片付けていないが、料理人たちも不満気ではあるものの慣れた目をしている。
「……多額の予算? ……まあいいか」
オルトが言ったこと。
その一部に対して首を傾げたが、直ぐにどうでもいいと判断したのか、リクナは再びパンを食べ始めた。
★
「リクナ。待っていたぞ。すまないが、これから陛下のところに来てほしい」
リクナが使っている作業場。
その前では、簡易的な鉄製鎧を身に包んだ男性が立っていた。
年齢は三十代半ばでよく鍛えられた肉体を持ち、灰色の髪を切りそろえた彫りの深い顔立ちをしている。
「アスベル将軍が直々に……一体どういう用事なのか……」
特に用事の候補が思いつかないのか、将軍アスベルに付いていく。
まっすぐ向かった先は、王の執務室。
アスベルはノックをして、許可を得ると扉を開ける。
リクナも中に入った。
「おお、来たな。急にすまんな」
白髪が目立つ男性が書類に判を押していたが、アスベルとリクナが入ってきたのを見て表情をやわらげた。
シュライム・アーガリア。
『六大強国』の一角であるアーガリア王国の国王であり、もともと小国のこの国を、彼が国王になった十年前から大発展させたとされる男。
「何の用ですか? 陛下」
「ああ。そうだな。まず結論から言おう」
シュライムは数枚の紙を机に置いた。
「帝国首都の一等地を抑えた。宮廷錬金術師をやめて、ここで店を開け」
「……?」
首をかしげるリクナ。
「七歳のお前を拾って早十年。この国を拠点に、数多くの研究を進めてきただろう。それを発揮するときが来た。私はそう考えているのだ」
「俺が店を……」
「お前が一人で、独自に研究を進めてきたことは理解している。有名税を嫌うこともな。ただ、残念なことに、この国は、お前を抱えるのには力不足なのだ」
少し寂し気な目をするシュライムだが、直ぐに表情を戻す。
「お前の錬金術の実力を、世界中のトップ連中の一部は理解している。ただ、魔法開発の先駆者を掲げたい『教導国』のせいで、お前がどれほどの錬金術を見せたとしても、まがい物と非難されることも理解している。成り上がりのアーガリアに、お前を抱える実力はない」
穀物を作り、武器を作り、食と安全を確保できる。
国力と言うのはその実力に応じて高くなるものだが、『情報戦』は別だ。
もともと小国故に、暗部の規模も質も高いとは言えず、そもそも『アーガリア王国の建国以前から、優秀な諜報部隊を抱えている国』すら存在する。
そんな連中を相手に『情報戦』など、無謀だ。知識も経験も足りない。
シュライムは紙を見せてくる。
「だが、『最強の軍事国家』とされる帝国なら話は別だ。実力者に対して受け入れる姿勢もある。諜報部隊も優秀だ。ここなら、お前のやりたいことを、今まで以上にやれる。私はそれが、正しいことだと確信している」
「……」
リクナは机の傍に行って、その紙を受け取った。
その一等地の大まかな概要。そして、帝国通貨における値段が記されている。
正直、『破格』だ。
「……随分、安く買えましたね」
「帝国上層部もお前が欲しいということだ。店を経営するにあたって、大部分の税金免除と、資金援助の確約もな。巣立つ時が来たんだよ。リクナ」
期待。
しかし、どこか懇願が混じったようにも見える、シュライムの瞳。
それをみたリクナは頷いた。
「……わかりました。帝国に行きます」
「そうか」
「多分、ここで粘ると陛下の胃がもたないので」
「若造が年寄りの胃の心配をするんじゃない」
一国の王と、それに雇われている錬金術師というにはとても『対等』な会話。
十年と言う付き合いもそうだが、おそらくシュライム側に、まだ何かあるのだろう。
リクナはコートの裏側に手を入れると、宮廷錬金術師の証であるバッジを取り出す。
それを、シュライムの前に置いた。
「十年間、お世話になりました」
「頑張るんだぞ。何かあれば、いつでも迷惑をかけにくるのだ。わかったな?」
シュライムのセリフにリクナはフフッと微笑んで、頷いた。
そして彼に背を向ける。
「アスベル将軍にも、お世話になりました」
「君から貰った『宝具』のことは忘れん。何かあれば、力になろう」
将軍。という役職は、軍のトップ。
武力においてもっとも王の信頼を得た者だ。
そして当然、リクナとも付き合いは長くなった。
シュライムの横を通って、扉に向かう。
最後に一度、リクナは振り返った。
「では、また。帝国でも頑張ります」
「うむ。風邪をひかぬようにな」
シュライムの笑顔を見て、リクナは王の執務室を後にした。