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第6話 窮屈な国の、窮屈なドレス

「背筋を伸ばしてください、アンジェ様」


「伸びてます……」


「まだです」


「これ以上は折れます……」


アンジェは半泣きだった。

王室舞踏会まで、あと二週間。

リンデン伯爵家へ滞在するようになってから、彼女の日常は激変していた。


歩き方。

扇の開き方。

礼の角度。

ダンス。

食事作法。

さらには“イーゼルト貴族らしい会話”。


「会話にまで作法あるの!?」


「あります」


家庭教師が即答した。

恐ろしい国だ。

ミゼルカなら「楽しそうに喋れ」で終わる。

だがイーゼルトは違う。

言葉選び。

声量。

視線。

全部に“格式”がある。


「貴族って大変……」


アンジェは机に突っ伏した。


「だから皆あんな静かなのね……疲れるから……」


「アンジェ様」


「すみません」


即座に姿勢を戻す。

さらに追い討ちをかけるように、午後はドレスの仮縫いだった。


「苦しい」


「まだ締めます」


「えっ」


「王室舞踏会ですので」


「なんで!?」


イーゼルト式のドレスは、ミゼルカと違って構築的だった。

細い腰。

高い位置の姿勢。

広がるスカート。

優雅ではある。

だが。


「息ができない……」


「慣れます」


「人類って慣れちゃいけないことあると思う」


侍女たちが笑いを堪えている。

アンジェは鏡の前でぐったりした。

たしかに綺麗だ。

深い藍色のドレスは自分でも驚くほど似合っている。

けれど。


(窮屈!!)


物理的にも精神的にも、イーゼルトは全体的に窮屈だ。

ようやく解放された頃には、アンジェは完全に疲れ切っていた。


「……外出してきます」


「アンジェ様?」


「空気吸いたい……」


半分逃亡だった。

冬の王都は冷たい。

だが外の空気のほうが、屋敷の中よりずっと楽だった。

アンジェは外套を羽織り、街を歩く。

石畳。

灰色の建物。

静かな通り。

けれど、少し裏路地へ入れば活気がある。

市場だ。


「へえ……」


アンジェの目が輝く。

やはり彼女は商人の娘だった。


香辛料。

織物。

保存食。


並ぶ品を見れば、つい値踏みしてしまう。

(あ、この茶葉ミゼルカ産だ)


しかも質が微妙だ。

輸送管理が悪い。

湿気ている。


「うわ、高っ」


思わず呟く。

ミゼルカ価格の三倍近い。

関税と流通の問題だろう。


(ここ改善したらかなり儲かるなぁ……)


自然とそんなことを考えてしまう。


「お嬢さん、見る目あるねえ」


店主に声をかけられ、アンジェはにっと笑った。


「商人の娘なので」


「なるほど!」


こんな時間が一番落ち着く。

誰がどこの貴族だとか。

礼の角度がどうとか。

そんなことを気にしなくていい。


だが。


「返してください!」


鋭い声が響いた。

アンジェが振り返る。


少し離れた場所で、若い女性が男に腕を掴まれていた。

外套は質素だ。

だが仕立てからして下働きではない。

どこかの使用人だろうか。

男は酒臭かった。


「だからこれは俺が預かるって言ってんだろ」


「それは奥様への届け物です!」


「うるせえな」


乱暴に腕を引かれ、女性がよろめく。

周囲の人間は見て見ぬふりだった。

イーゼルトでは珍しくないのかもしれない。

だが、アンジェはミゼルカ育ちである。


「ちょっと」


すたすた近寄る。

男が振り返った。


「あ?」


「嫌がってるじゃない」


「関係ねえだろ」


「あるわよ。大通りの真ん中だもの」


アンジェは女性を庇うように前へ立った。

男が舌打ちする。


「貴族のお嬢様か?」


「違うけど」


「なら引っ込んでろ」


その瞬間、

アンジェの商人魂が反応した。


「あーなるほど」


にっこり笑う。


「あなた、返す気ないわね?」


男の顔がわずかに強張る。


「何の話だ」


「その包み、高級店の印章付き。届け先も貴族街方面」


アンジェは男の持つ包みを見る。


「なのに“預かる”? 変ねえ」


周囲の空気が変わった。

野次馬が止まる。

男の目が険しくなる。


「……黙れ」


「しかも酒臭いし」


「っ」


「あと、その女性の服。リンデン家の使用人服よね?」


女性がはっと目を見開いた。

アンジェもそこで気づいた。

顔に見覚えがある。

外套の下は伯爵邸で見た侍女の制服だ。


「へえ」


アンジェは笑みを深めた。


「リンデン家に喧嘩売るんだ?」


男の顔色が変わった。

リンデン伯爵家。

王都でも古い名門。

酔っ払いでも、その名前の重さくらいは分かる。


「ちっ……!」


男は包みを放り投げるように返し、逃げ出した。

女性が慌てて受け止める。


「だ、大丈夫ですか!?」


「え、ええ……!」


女性は真っ青だった。

アンジェはほっと息を吐く。


……その瞬間だった。


「相変わらず、躊躇なく首を突っ込みますね」


聞き覚えのある声。

アンジェが振り返る。

そこには。


黒い外套姿のエドワードが立っていた。

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