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第10話 商会の娘の提案

数日後。

エドワード・イーゼルト公爵は、貴族街の外れへ馬車を走らせていた。

目的地は――マルス商会イーゼルト支部。

王都港にもほど近い一角に建てられたその建物は、イーゼルト風の石造建築でありながら、どこか空気が違った。

窓が広い。

人の出入りが多い。

そして何より、慌ただしい。


「そこ三番倉庫優先!」

「南便の積荷確認終わりました!」

「帳簿こっち回して!」


建物へ入った瞬間、威勢の良い声が飛び交う。

使用人が静かに動く貴族屋敷とはまるで別世界だ。


エドワードはわずかに目を見開いた。


「……活気がありますね」


案内役のアンジェが得意げに胸を張る。


「でしょう?」


今日は舞踏会のような窮屈なドレスではない。

動きやすい商会仕様の服装だ。

そのせいか、妙に生き生きして見える。


「商会は人が動いてなんぼですから。止まったら終わりなんです」


「なるほど」


廊下を歩けば、従業員たちが忙しなく行き交う。

だが無秩序ではない。

誰もが自分の役割を理解して動いている。

そして、


「お嬢、お帰りなさい!」


「お疲れさまですアンジェ様!」


「例の契約まとまりました!」


皆、アンジェへ気軽に声をかけていた。

その距離感にエドワードは少し驚く。

貴族社会では考えられない。


「慕われているのですね」


「ふふん」


アンジェが得意げに鼻を鳴らした。


「うちの自慢の従業員たちです」


その顔は、少し子供っぽい。

だが同時に、誇りに満ちていた。

エドワードは静かに周囲を見回す。

誰か一人の権威で動くのではなく。

組織全体が機能している。

それはイーゼルト貴族社会とは全く違う強さだった。

やがて二人は応接室へ通される。

扉が閉まると、アンジェは早速机いっぱいに書類を広げた。


「さて、本題です」


切り替えが早い。

完全に商人の顔だった。


「公爵閣下はこの縁談、乗るつもりはないってことで間違い無いですね?」


「……はい」


「私も同じです。少なくとも周りに勝手に決められるのは嫌です。でも無闇に反発すれば社交界にいらない敵を作ってしまう」


 アンジェはエドワードの顔を見た。


「なので私も考えました。お互い穏便に済む方法」


アンジェは一枚の地図を広げる。

王都港と、その周辺流通路。

倉庫街。

街道。

税関。

細かな印がびっしり書き込まれていた。


「イーゼルトって、港は大きいのに流通が微妙なんですよ」


「微妙」


「貴族が縄張り意識強すぎるんです」


辛辣だった。

だが否定できない。


「港湾管理、倉庫、輸送、それぞれ別の貴族が握ってるせいで連携が悪い。許可も多いし手続きも煩雑。ミゼルカなら三日で済む荷が一週間止まることもあります」


エドワードは眉を上げた。

数字付きで説明されると説得力が違う。


「……そこまでですか」


「そこまでです」


アンジェは頷く。

 エドワードはアンジェと歩いた港の様子を思い浮かべて思案した。


「でも逆に言えば、改善できれば一気に伸びる市場なんです」


彼女の瞳がきらりと光った。

商機を見つけた商人の目だ。


「そしてミゼルカとの直通の新航路を作りましょう」


 エドワードは訝しげに言った。


「ミゼルカとは陸地で繋がっています。むしろ船では遠回りでは?」


 アンジェはうなずいた。


「たしかにミゼルカとイーゼルトの主な流通経路は陸路ですよね。しかし繋がっているのは山地で、平地は間に他の国をふたつ挟んでいるので、関税と時間が余計かかってます」


 アンジェは地図でミゼルカとイーゼルトの間を指で辿った。


「そこで海です。一見遠回りですが、陸路と比べて1度の輸送量が違います。何よりマルス商会の高速船を使えば陸路と同程度か少し早い時間で辿り着くことができるんです」


「高速船?最近開発されたと聞いています。マルス商会も所有しているのですか」


 エドワードは感心したように頷いた。


「イーゼルト側と業務提携できれば、マルス商会としてもイーゼルト進出の大きな足掛かりになります」


「王家としても利益が大きいですね」


「でしょう?」


 アンジェはふふんと満足げに鼻を鳴らした。


「しかしこれではますます婚約の後押しをしてしまうのでは?」



「ここからが重要です」


アンジェは机へ身を乗り出す。

嫌な予感がした。

舞踏会の時と同じ顔だ。


「この新航路の開拓と港の再整備、婚約を担保に見せかけて、公爵閣下主導って形にするんです」


「……私が?」


「はい」


アンジェはにやりと笑う。


「事故物件公爵じゃなく、“港湾改革を成功させた有能な公爵”に世論を書き換えるんです」


エドワードは思わず黙った。

アンジェはさらりと言葉を続ける。


「そもそも今回、公爵閣下に縁談相手がいないから、外国商人の娘の私に白羽の矢が立ったわけでしょう?」


痛いほど率直だった。

だが事実だ。

十年前の事件以降。

高位貴族はエドワードとの縁談を避け続けてきた。

家格が高ければ高いほど。


「でも公爵閣下の評判が良くなれば話は変わる」


アンジェは指先で机を叩く。


「こちらが“選ばれる側”じゃなく、“選ぶ側”になるんです」


エドワードは静かに目を瞬いた。


「選ぶ側……」


「そう。縁談って結局、立場と価値の話ですから」


アンジェは商人らしく言い切る。


「有能で実績もある公爵なら、縁談なんて勝手に増えます。別に商人の娘をわざわざあてがう必要もなくなるでしょう」


そこで彼女は少し笑った。


「そして選択肢が増えれば、“誰も選ばない”って選択肢も取れる」


エドワードは言葉を失った。

誰も選ばない。

結婚しない。

そんな発想を、彼は今までまともに考えたことがなかった。

周囲に迷惑をかけた以上、自分には義務がある。

そう思っていた。

王家のため。

家のため。

政治のため。

だから“適当な相手でも結婚しなければならない”と。


「公爵閣下」


アンジェは真っ直ぐ彼を見る。


「結婚って、罰ゲームじゃないでしょう?」


その言葉は。

思った以上に深く、エドワードの胸へ刺さった。

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