Case7 修学旅行③
【鉄平暗躍パート/鉄平視点】
旅館の廊下は、木の匂いが濃い。
畳の湿った感触。
風呂上がりの石鹸の匂い。
遠くで笑い声が響く。
修学旅行一日目の夜は、浮ついている。
一真が、真剣な顔で俺を見る。
「なるほど、一真。話はわかった」
こいつの目は本気だ。
あの金閣寺の時から、完全に落ちている。
「でもな。他校の女子部屋はハードル高すぎる」
冷静に言う。
「……俺が気を引く。その間に別の場所で連絡先交換できないか」
一真の喉がごくりと鳴る。
「…ありがとう、鉄平」
その声に、少しだけ震えが混ざっていた。
計画はシンプル。
就寝前の見回りは厳しい。
だから入浴後〜晩御飯前の隙間を突く。
タイミングは一瞬。
廊下を歩く音が近づく。
担任が点呼を取り始めた。
「あれ?一真はどうした?」
鼓動が一段上がる。
俺は自然に言う。
「すいません、観光中食べたものでお腹下したみたいで、トイレ行ってます」
間。
担任の視線が刺さる。
「……おいおい。一応俺もトイレの前に行くからな」
くる。
足音が近づく。
トイレの中では、仕込んだボイスレコーダーが流れている。
「……すいません……まだお腹いたいです……」
延々と、弱々しい声。
我ながら悪質だ。
(……これ、バレたら普通に停学案件だよな)
冷たい汗が背中を伝う。
SNSアカウント20個以来の、
完全に“ラインを越えた”感覚だった。
廊下の空気が張り詰める。
担任はしばらく扉の前で止まり、
…………
(……ここはスルーしてくれ!!)
やがて去っていった。
息を吐く。
一瞬の勝負だった。
⸻
♢
【一瞬の主人公/一真視点】
廊下の角。
「美波」
声が、少しだけ震える。
「一真くん?」
振り向いた瞬間、心臓が跳ねた。
「明日、自由行動?」
「うん、清水寺……」
距離はまだ遠い。
廊下の向こうから他校の生徒の声が聞こえる。
時間がない。
「また、その時会いたい。それだけ」
言い切った。
それだけ。
でも、それが今の精一杯だった。
美波は一瞬だけ目を伏せて、
小さく頷いた。
その頷きだけで、胸がいっぱいになる。
すぐに別れる。
足音が遠ざかる。
でも――
確かに、繋がった。
⸻
♢
【再び鉄平視点】
一真が戻ってくる。
顔が赤い。
目が真っ直ぐだ。
「気を引いている間に戻ってこれたよ、鉄平」
安堵が胸に広がる。
「我ながら無茶な作戦だったよ」
模倣犯?無理だ。
ほぼ奇跡。
だけど成功した。
一真の初日は、越えた。
修学旅行初日の夜は、ゆっくりと更けていく。
天井の木目を見ながら思う。
――あとは、明日だ。
⸻
♢
【主人公/一真視点】
翌朝。
清水寺。
山の空気は少しひんやりしている。
石段を上るたびに、胸が高鳴る。
「お、バスガイドさんの解説きたぞー!」
鉄平がわざとらしく声を上げる。
バスガイドさんの声が広がる。
「清水の舞台って釘一本使ってない懸造なのよ?山の斜面に巨大な木組みだけで立ってるの。“飛び降りる覚悟”の語源で、江戸時代は実際に飛んで生存率八割だったらしいわ」
すごい。
歴史の話は本当に面白い。
でも今は違う。
目は人混みを探している。
制服の色。
髪。
あの声。
「美波!」
振り向いた。
「一真!?」
やっと会えた。
胸が、痛いくらい跳ねる。
息が浅くなる。
言わなきゃ。
今しかない。
「あのさ……会ってから間もないんだけど」
喉が乾く。
「一目惚れです。僕と連絡先交換お願いします」
言ってしまった。
遠距離。
九州と関東。
現実的じゃない。
美波は少し黙る。
風が吹く。
清水の舞台の木の匂い。
「……うん。遠すぎるんよ」
胸が落ちる。
でも。
「……でも、これが私の連絡先」
差し出されたスマホ。
世界が明るくなる。
「……進学したら、そっちに行くかも」
言葉が追いつかない。
「!!……連絡する!!
一緒に勉強の悩みとか、進学のこととか、いっぱい話そう!!」
必死だ。
でも、止まらない。
「うん。また“会おう”」
その言葉で、未来ができた。
遠いけど、ある。
清水寺の風が頬を撫でる。
バスガイドさんの声がまた響く。
「清水寺ってね、“願う場所”なの。恋も、成功も、人生も。未来が見えないから人は神様に託すの。(……まあ、聞いてる側は結構プレッシャーなんだけど)」
空を見上げる。
青い。
高い。
願いは、きっと届く。
僕は、恋に落ちた。
遠距離でもいい。
この偶然を、偶然のままにしないために。
胸の鼓動が、まだ止まらない。




