第327話 絶対包囲
「体温は平熱、脈も正常。あとは意識さえ戻ればねぇ……」
ウィルブロード皇国の皇都から数時間、馬車で走ったところにあるベアトリスの街。
街で一番大きな国立病院の一室で、ティアはリンドウの呟きを聞いている。
目の前では、真っ白いシーツの敷かれたベッドで眠り続けるレオナがいた。
フガクと別れてから約1ヶ月。
溜まりに溜まった巫女代理としての仕事を片付ける傍ら、ティアはこうして毎日レオナのお見舞いに訪れている。
「ミルデュラの解毒薬の在り処は分かった?」
ティアはリンドウに尋ねる。
彼女はティアが旅に出てから新たに軍医となったネレイドという男から、レオナの世話を全面的に任されている。
治療方針や治療法まで共有されており、現在ティアもその方法を探っているところだった。
レオナの昏睡状態の原因は、ミルデュラという毒草だと分かっている。
貴重な植物のようで、解毒薬の入手も困難だと聞かされていた。
「そっちはあたしの領分じゃないからな。また先生から詳しい説明があると思うけど、在処はシゼルの姐さんが探ってくれてるんだろ?」
「それがなかなか難航してるみたいでね」
ティアはため息をついてかぶりを振った。
このままレオナを放っておいても、自然に目が覚める可能性は低いらしい。
彼女は自分達にとっても重要な戦力だし、大切な仲間だ。
何とか早めに目を覚ませるよう、ティアは自ら解毒薬を見つけにいくつもりでいる。
「ま、焦ったって仕方ないさ」
「……そうね、シグも各国に調査員を回してくれているし、待つしかないわね」
ティアはレオナの髪をサラリと撫で、「早く起きなさいよ」と声をかける。
騒がしい彼女が眠りについてから、もう1ヶ月以上だ。
いい加減彼女の声を聞きたくなってきたと、ティアは苦笑する。
「ティア、レオナ嬢ちゃんのことはあたしに任せて、あんたはやるべきことをやりな。フガクもひょっこり戻ってくるころじゃないか?」
「ありがと、そうするわ。ゼフィドもそろそろギブスが外れるって言ってたし、また皇都にも行ってみようかな」
肩をポンと叩いて激励してくれたリンドウに笑みを返し、ティアは病室を出る。
そこでは胡蝶蘭が待機しており、歩き出したティアに続く。
ちなみにゼフィドは負傷した腕の療養中だ。
両腕にギブスを撒かれており、一応指先は動かせるようだが不便そうだった。
胡蝶蘭の刀を未だ打ち直してやれないことを申し訳なさそうにしていたが、とにかく治療に専念してと言ってある。
さて、現在時刻は正午過ぎ。
ティアたちは入院中の患者や医師、看護師などが行き交う病棟を抜け、病院の入り口から外に出る。
「レオナさんはいかがでしたか?」
「変わりなく。ま、分かってたけど。ごめんね蘭さん毎日付き合わせて」
「いえいえ、拙はティアさんとベアトリスの街を歩くのは好きですよ」
短い芝生が植えられた、緑が広がる敷地の中を歩きながら、ティアは胡蝶蘭に微笑みかける。
胡蝶蘭も優しく笑みを返した。
「順当にいけば、フガクさんたちはそろそろ戻られる頃なんですよね?」
「うーん……まあ旅程だけを考えれば、ちょっと遅いくらい」
ティアは半月ほど前、フガクに渡した三体の精霊の気配が全て消えたことに気付いた。
彼が切り札である『神罰の雷霆』を3発まで撃てるように、ホーリーフィールドの力を宿した精霊を渡したのだ。
その気配が消えたということは、フガクが『雷霆』を撃ったということ。
そこから約2週間、普通に考えればシェオルからこのベアトリスまで戻ってきていてもおかしくはない頃だった。
「少し心配ですね……」
胡蝶蘭も眉をひそめる。
あまり考えたくはないが、たとえばフェルヴァルムに敗北してそのまま帰らぬ可能性が頭をチラついた。
「別にしてないよ。フガクは約束を守るから」
そう自分に言い聞かせる。
楽観的に考えるならば、ミユキとのハネムーン気取りでゆっくり戻ってきているか、路銀を落としたか何かで馬を借りられず徒歩で戻ってきている。
あるいは道に迷っているなどの線もある。
ティアは口では心配していないと言いつつも、聖庁の門をあの白黒頭がくぐってこないかつい見てしまう。
無事戻ってきても、多少お説教をしなくては気が済まないと思っていた。
そんなことを考えていると、病院の敷地を出たところでゼフィドが走ってくるのが見える。
大柄の青髪は遠くからでもよく目立つ。
しかも両手に白いギブスをはめており、なおさらすぐに分かったが、それ以上に気になったのは彼の表情だ。
いつも冷静な彼にしては珍しく、やや焦ったような顔をしている。
「どうしたのゼフィド。病院今日だっけ?」
ティアは訝しんで首を傾げる。
ゼフィドは目の前で立ち止まり、ジッとこちらを見つめて来た。
「ティア! まずいことになった」
「……まずいこと?」
不穏な気配を感じる。
胡蝶蘭もそう感じたのか、彼女の持つ刀がチキッと鳴った。
「とにかく聖庁へ来てくれ。歩きながら話す。王子やシゼルが呼んでいた」
ティアは胡蝶蘭と顔を見合わせ、早足で聖庁へと向かう。
街の中心にある、白い石造りの大神殿『聖庁オラトリウム・マグナ』。
静謐な空気が流れ、水路と緑が対称的に配置された、聖域のような空間が広がっている。
多くのディヴィナリア教徒の総本山として、連日多くの巡礼者が訪れる場所だった。
また、戦神として勇者も祀られておりゲンを担ぐ冒険者たちが訪れることも多い。
そこはティアが少女時代から今に至るまで、ずっと故郷として過ごした帰るべき場所でもある。
そんな聖庁に急ぎ足で戻って来たティアは、3階にある巫女の執務室へと飛び込んだ。
「シゼルさん! シグ! 魔獣に包囲されているって本当!?」
ティアは扉を開け放つなり開口一番そう言った。
アリギエリ宮殿のシグフリードの執務室よりは幾分か整頓され、過去の文献や教会に関するさまざまな資料が収められる場所でもある。
部屋の真ん中に鎮座する応接用のソファに座るシグフリードが、余裕の表情を崩さずに頷いた。
「ああ。その目で見てみるといい」
シグフリードは、ティアに双眼鏡を渡した。
ここに来る途中、ゼフィドから聞かされた緊急事態。
それはこのベアトリスの周囲に多くの魔獣が突如出現し、しかも街へ向かっていると言うことだ。
大きな両開きの窓からテラスに出ると、そこにはシゼルが遥か遠くの地平を眺めている。
「ティア様、おかえりなさい」
「ええ……それで、首尾は?」
シゼルの態度も落ち着いている。
ベアトリス周辺は緑豊かな平原が広がり、街の裏には大きな湖もあった。
ウェルギリウスを水源とする河が流れ、地下水道でもある魔力導管が街の生活用水を引き込み、別で下水道なども賄っている。
ティアはシゼルに尋ねながら、双眼鏡で南の平原を見る。
普段は雄大な大平原の向こうには、確かに青白い姿をした数多の魔獣たちがひしめいていた。
「接触まではまだしばらくかかるでしょうか。東方からこちらに魔獣が向かっています。皇都にも救援要請を出しておりますので、我々はここで迎え撃つのが得策かと」
シゼルの説明は淡々としている。
ベアトリスの街は皇都のような巨大な堀は無く、申し訳程度の城壁に囲まれている。
また、気休め程度だが聖女の威光とも呼ぶべきホーリーフィールドが絶えず張られており、聖域化されていた。
聖女無き今も、その効力はずっと続いており、この地に眠る聖女の遺体と祈りが街を守っていると言われている。
つまり。
「籠城して救援を待つってこと?」
「そうなりますね。数が多すぎます。聖庁の騎士団だけでは相手ができません」
シゼルは持っていた愛用の羽扇で口元を隠す。
魔獣たちはホーリーフィールドの影響により街の中には入りにくいはずだが、街道が封鎖されれば人も物資も出入りが困難だ。
「あれは多分聖獣だ。しかも数が尋常じゃない」
地平線の向こうを埋め尽くすような大群。
その群れは波のように地平を覆い、青白い体毛が陽光を反射して揺れていた。
あんなもの、明らかに人為的だ。
まだ小さくてよく見えないが、貌の無い青白い獣たちはこれまでにも会敵した聖獣で間違いない。
あれだけの数の聖獣を差し向けられる相手など、ティアは一人しか知らなかった。
「ティア様の妹君、ユリナさんですね」
ティアは頷く。
ユリナ=フランシスカ。
『災厄の三姉妹』の一人にして、ガウディスが生み出した聖女の怪物。
彼女は強大な力を持っており、そのうちの一つが”無限に聖獣を召喚する”スキルだ。
本来はティアの精霊召喚と同質のものだが、調整の結果その出力が極端に強い。
コントロールできているのかは定かではないが、少なくともこの現象を引き起こしている張本人なのは間違いなかった。
「……そうか、ドラクロワって奴が呼び寄せたのかもね」
ティアたちが皇都に帰還するのを幾度となく妨害し、レオナの意識を奪った張本人。
フガクは『エレナ=ドラクロワ』という女のような男だと言っていた。
恐らく、こちらを脅威だと認定して聖獣を呼び寄せ、自分を殺そうとしているのだとティアは思った。
「……ティア様、現状湖側は敵の姿は見えません。ティア様と王子は逃げられた方がいいかもしれませんね」
「いえ、残るわ」
ティアは即答した。
部屋の中からはシグフリードの視線も感じる。
「まあ、ティア様を狙ってきているなら、それがよいでしょうね」
シゼルは自分を試してきたなと思った。
ティアはジト目で彼女を見ながら、部屋の中のシグフリードに向き直る。
「シグ! さっさと逃げて。最悪私とあなたが二人とも死ぬことになるよ」
「冗談だろう。可愛い君を置いて逃げるなんて」
シグフリードは優雅にお茶を飲みながら、くつくつと笑った。
「言うと思ったよ……」
この二人はこんな緊急時だと言うのにまったく慌てる様子が無い。
まあ頼りにはなるが。
「ティアさん、いざとなれば拙が出撃します」
「ああ、俺も盾くらいは持てるぞ」
後ろに控えていた胡蝶蘭とゼフィドが言った。
ティアは二人に視線を向け、静かに笑う。
「ありがとう。いざってときはお願いするよ。シゼルさん、策は?」
「無論ございます。これからご説明差し上げますが、ティア様も随分楽しそうですね」
シゼルは、ティアに向けてメガネの奥の目を優しく細めた。
気が付くと、自分の頬が緩んでいることに気付く。
自分はそこまで楽観的な方ではないが、笑みが零れることの理由は分かっている。
「……ふふ。そりゃそうでしょ。だって、向こうからやってきてくれるなんて手間が省けるじゃない」
そう。
ユリナ=フランシスカがいるということは、つまりガウディスの尖兵たちがそこにいるということだ。
敵はなりふり構わず、自分を殺しに来ている。
奴らの事情など知る由も無いが、少なくともガウディスとイオに繋がる手がかりがそこにある。
手間が省けて結構なことだと、ティアは愉快な気持ちになっていた。
それに。
「……それに、こういう時に来てくれるんだよね」
ティアはフッと力を抜き、シグフリードとシゼルへ交互に視線を移す。
「あら、どなたがですか?」
「シゼルさん、貴女にしては愚問だね」
首を傾げるシゼルと、楽しげに笑うシグフリード。
ゼフィドと胡蝶蘭も笑みを滲ませ、その答えが分かっていると言いたげだ。
「決まってるでしょ」
最大のピンチにこそ、あの二人は駆けつけてくれる。
彼らはきっと、自分を助けてくれる。
ティアはそのことに一片の疑いも持たず、同時にワクワクした気持ちが溢れてくるのを感じた。
辺りを覆う聖獣の大群の中を、あの二人はきっと帰ってくるだろう。
その帰還の時まで持ちこたえる。
それが、今の自分の成すべきことだ。
「"二人"はそろそろ、帰ってくるよ」
フガクとミユキ。
双剣は、必ず自分の元に帰還する。
ティアは遥か地平の向こう、ウェルギリウスの山の影を見ながら、彼らとの再会に想いを馳せた。
その時こそ、ガウディス達との決戦の開幕だと笑みを浮かべた。
―紅華喜璃子編 了―




