第233話 破滅の足音②
セラフィオンを出て10時間ほど経過し、ティアは街道脇に設置された水場で夜を明かすことにした。
主要な街道のためか比較的人も多く、周りには同じように夜を明かそうとする旅人や冒険者の馬車が見える。
遠くに川が流れる街道脇の水場は、昼間の喧騒が嘘のように静かだった。
焚き火の灯が点々と並び、遠くで馬の嘶きだけが響いている。
ただこの前の雨の影響か、川の流れはかなり早く、水の音が聞こえている。
ここなら安全とまではいかないが、少し安心感はある。
本来はフガクと交代で見張りなどをするが、彼の疲労もピークだろう。
できるだけ寝かせてあげたいので、多少リスクはあるが二人で寝よう。
ティアは寝息を立てるフガクの隣で横になった。
その向こうではレオナも目を閉じたまま眠り続けている。
「おやすみ、フガク……」
ティアはポツリと囁き、彼の寝顔を見つめる。
熟睡しているようで、彼の胸が静かに上下していた。
(……さて、ここからどうするか)
眠った方がいいのは分かっているが、眠れないのだ。
ティアも今日は一日中御者台に座っていたので、多少の疲労感がある。
だが、全身を削られているフガクに比べればなんてことないと思っていた。
ここに来て3人の刺客から襲われている現実は楽観視できない。
しかもウィルブロード入国から2日でだ。
レオナの引き渡し場所であるプロスペリタスまで行けば、皇都の騎士団からの援護も受けられるだろう。
つまりあと数日、メルカディアを越えるまでの辛抱ではある。
ただ、”持つ”だろうか?
(……護衛を雇ったほうがいいかもしれない)
ティアは現実的に、フガクとの二人旅はやや無理があると思い始めていた。
二人だけならまだしも、昏睡状態のレオナを抱えている。
彼女も健康状態が心配だし、次の街ではまた医者に見せておきたい。
少なくとも、プロスペリタスで引き渡すまでのあと数日間は予断を許さない状態だ。
これ以上戦闘が発生しないならともかく、今朝の刺客はほぼ間違いなく自分たちを追ってくる。
ティアはギルド経由で、実力ある冒険者などを雇うことも視野に入れ始めていた。
(でも……)
このタイミングで知らない相手をパーティに入れて大丈夫かという懸念もあった。
基本的には良いことだとは感じているが、ティアはこの数日間でフガクとの距離がぐっと縮まったと思っている。
それは二人きりになり、彼と二人で何事も決断する必要が出たからだ。
もちろん、元々自分たちの間には深い信頼関係があった。
だが、もはや戦友や相棒を通り越した魂の伴奏者のような関係性になりつつある。
ここに新しいメンバーを入れて、彼の気力を折ったり、かえって負荷を増やすようなことにならないかが心配だった。
(少なくとも、レオナクラスの力は最低限必要ね……)
中途半端な実力の者を入れたら、フガクが守る対象を増やすことになる。
戦力として確実に当てにできる人選が不可欠だろう。
(それに……)
こんなこと絶対フガクには言えないが、二人の旅は正直居心地は良かった。
彼と四六時中話しているわけではないが、その声を聴いていると心が落ち着く。
思考はクリアになり、気分良く色々なことを考えられた。
命をかけてくれている彼にこんなことを思うのは本当によくないことだとは思う。
だが、ティアはフガクと二人きりの空間が好きだったのだ。
(ごめんミユキさん……思うだけだから……許して)
ミユキへの罪悪感は日増しに強くなる。
自分は、フガクのことが好きになっている。
それはアストラルとの戦いの中、死の間際に救われた瞬間から顕著になった。
駄目だと分かっているのに、どうしても彼から視線を外せない。
想いを消せない。
彼の隣にいるだけで、心臓の鼓動は早鐘を告げて、自分の気持ちが嫌になるほど分かった。
今もこうして横に並び、彼の吐息や温度が感じられるほど近くにいることに、身体が熱くなってくる。
閉じられた同じ空間にいることが、幸せなことであるように思えてしまう。
(フガク……綺麗な顔……)
彼の顔を、こんなに間近で長々と見続けることはそうは無い。
穏やかな寝顔を見せる彼に、このまま口づけたらどうなるだろうと思った。
自分は復讐に人生を捧げたはずだ。
なのに、この気持ちは何なのだろう。
傷ついた彼を癒してあげたい、ミユキの代わりをしてあげたいなんて、そんな欲が出ている自分を心底軽蔑する。
(ほんと……なんで私女なんだろう)
自分が男だったら、フガクがその顔みたく女だったら、こんな気持ちにならなくても済んだのだろうか。
どこまでも”女”としてフガクを意識してしまう自分の気持ちが、正直面倒くさいなと思った。
(”約束”もしちゃったしね……)
昨晩、彼と約束を結んだ。
復讐が終わったら、4人で楽しい旅をしようと。
しかも裸まで見られて、昨日の夜はあまり眠れなかった。
そんな出来事に内心舞い上がっている自分も、ちょっと嫌だった。
(とにかく、今はフガクの身体を何とかしないと……)
いずれにせよ、フガクはもう限界をとっくに超えている。
早急に対策を考えなくては、彼を失うことになるだろう。
それだけは避けなければならない。
彼の命のことは当然として、自分の精神的支柱になりつつあることも含めてだ。
(駄目だ、今考えてもロクなこと思い浮かばなさそう。寝よ……)
夜は考えごとをするには向かない。
きっと、答えは出ないと思った。
瞳を閉じ、さっさと寝てしまうことにする。
護衛を増やすか、フガクの負担をどう軽減するか、とりあえず明日考えよう。
そう思ったときだった。
バギッ!グシャッ!!
「……?」
外から、何かが壊れるような音がした。
距離は少しあるような気がする。
だが、紛れもない破壊音だ。
ティアは身体を起こし、傍らの剣を手に外の様子を見に行こうとする。
すると。
「何の音?」
すぐ隣でフガクが目を開けていた。
熟睡していたはずなのに、身体を横にしたままこちらを見上げる彼に、ティアはドキリとなった。
彼の精神はきっと、一寸たりとも休んでいない。
戦いの中に在る研ぎ澄まされた戦士の境地だ。
休むことすら許されない状態に、ティアは胸の痛みを感じた。
「分からないけど、見てくる。フガクは横になってて」
ティアは薄く笑いかけ、荷台の上で立ち上がる。
だが彼は起き上がり、自分と一緒に閉められた幌の入口へと向かった。
「うわぁ!!」
「ギャァァァア!!」
遅れて悲鳴が聞こえてくる。
――ああ、まただ。
ティアの頬を汗が流れていった。
お願いだから誰か、フガクを休ませてやってほしい。
ティアはかぶりを振ってため息をつき、入口に張られた布を少しずらして外を見る。
「なんだ……あれ」
「嘘でしょ……こんなとこに?」
青白い肌をした一人の少女だった。
背中に4枚の羽根を生やし、頭からは真っ白な角が2本生えている。
均整のとれた女性的な肉体で、周囲の冒険者を殴りつけている。
長い髪を夜風に靡かせ、前髪でその瞳は見えない。
焚火の灯りに照らされたその姿は、神秘的ですらある。
うっすらと筋肉の覗く腕で人間を吹っ飛ばしながら、ゆっくりとこちらに歩いてくる。
「ミューズ……」
フガクの呟きに、ティアは頷く。
二足歩行、人型、いや鬼型のミューズの襲撃だ。
骨が砕ける乾いた音が夜気を裂き、地面を血が染めていく。
「ミューズがこんな何でもない街道に出てくるなんて……」
「理由なんて、もう分かってるだろ」
隣で、フガクが銀鈴を握り幌を開く。
ティアは唇を噛んだ。
……また彼を止められない。また、傷つく戦場へ送り出すのだ。
だが、ティアはもう止めなかった。
何を言ったって、彼はきっと行く。
それを心から尊敬するし、感謝もする。
ティアはフガクの服の裾をそっと摘んでジッと見つめた。
「死なないで」
「もちろん」
そして閃光と共に、彼は疾走した。
天使の姿をした化け物の元へ、その満身創痍の身体を引きずって。
ティアはフガクの身体にホーリーフィールドをかけながら、すぐにこの場を離れられるよう準備を始める。
もうやめてと願う相手もいない。
ティアは聖女だが、神には祈らない。
食事の前の祈りも、ミューズになった少女たちへの葬送の祈りも、全部自分の心に向けて願うだけ。
現実に立ち向かうのはいつだって自分だ。
でももし神様なんてものがいるのなら、自分はいいからフガクだけは救っておいてと悪態をついた。
破滅の足音は、もうすぐそこまで迫っていた。




