第218話 翠眼の死神①
レオナの投げたナイフを、ドラクロワは持っていたティーカップで受けた。
陶器のカップは無残に砕け、残り少なかったコーヒーがテーブルの上に零れる。
「あーあ、もったいない」
ドラクロワは取っ手だけになってしまったカップを見て、残念そうな顔をする。
レオナは続いて2撃目のナイフを、今度は彼の脳天目掛けて投げつけた。
「やれやれ、お転婆だなあ」
ドラクロワはそのナイフをかわすと、ゆらりと椅子から立ち上がってレオナと対峙した。
「"ドラクロワ"、聞いたことあるよ。あんたアサシンだろ」
レオナは腰のナイフに手を添えたまま告げる。
彼は、暗殺者としてはかなり有名な人物だった。
長年同業者として活動していたレオナも、聞いたことがある。
『翠眼の死神』。
暗殺者ギルドの中でも良い噂を聞かない残虐な殺し屋だ。
依頼とあらば大量殺戮も厭わない人物だと。
「えー、ボクのこと知ってるんだね。ま、君同業みたいだしそりゃ知ってるか」
男か女かもわからず、噂だけが一人歩きしている人物だ。
分かっていることは、翡翠色に輝く瞳を持ち、周囲に死を振り撒くまさに死神のような存在だということだけ。
だが、レオナがその姿を見て合点がいった。
180を超えるミユキよりも大きな長身に、スラリとした女性のような見た目。
男か女か分からないのではなく、男にも女にも見えるというのが正解のようだ。
「あんたがこの村の連中を眠らせたの?」
レオナの問いに、ドラクロワは飄々とした笑みを浮かべながら頷く。
「そうだよ。あんまり目立つのはよくないから。ねえねえ、どうやってやったか知りたいかい?」
「……へえ、教えてくれんの?」
「これを使ったんだ……よ!」
ドラクロワは、ポケットから小さなガラス瓶を投げつけてくる。
レオナはそれに向かってナイフを投げようとするが、中に液体のようなものが入っているのを見つけて慌てて飛びのく。
瓶は地面に落ちて割れ、中の液体が一気に気化して辺りを謎の気体で包み込む。
「ッ……!」
吸い込めば自分も同じように意識を奪われるかもしれないと、レオナは咄嗟にカフェを飛び出て少しでも開けた場所へと移る。
口元を袖口で押さえながら、レオナはドラクロワにナイフを投げつけた。
「いい判断だね。でも……!」
ドラクロワはそのナイフをかわし、自らも腰から細身の短剣を引き抜いた。
レオナへと肉薄してそれを振るう。
「ちっ!!」
レオナもダガーを抜き放ち、ドラクロワの一撃を受ける。
ギンッ!という高い音が静かな村の一角に木霊し、二人の視線が交錯する。
「村の連中は死んだの?」
「ううん、数時間もすれば目を覚ますと思うよ。君らを待ってただけだから」
「そりゃ嬉しいね……!」
身軽な体で、レオナはバック宙をしながらドラクロワの顎を蹴りつける。
その靴紐にはナイフが挟みこまれており、彼の顎先を切り裂いていく。
「うっわ! すごいね君!」
ドラクロワはのけ反りながらそれをかわし、感心したように軽口を叩いた。
そのまま倒れ込むようにしてドラクロワは、レオナに足払いを仕掛ける。
かわしきれず、地面へと倒れ込む。
「ぐっ……!」
「ほらほら避けないと死んじゃうよー」
倒れ込んだレオナに、バランスを崩したまま短剣を突き刺そうとしてくるドラクロワ。
横に転がり避けようとするが、彼の長い脚がレオナの手首を拘束するように踏みつけた。
「くっそ……!!」
レオナは胸を目掛けて振り下ろされた短剣をかわせないことを悟り、心臓で受けるわけにはいかないと足を差し出した。
「あグッ……!!」
ふくらはぎにズブリと短剣が突き刺さっていくのを感じながら、レオナは苦悶の表情を浮かべた。
筋線維がブチリと切れていく音を聞きながらも、視線は逸らせない。
ドラクロワの体術は並じゃない。
かなりいやらしく先回りをして逃げ道を塞いでくる攻撃に、レオナは戦慄した。
「ほんとすごいよ君。普通今ので死んでる」
幼い子を褒めるようにそう言うドラクロワは、笑いながら二本目のガラス瓶を取り出し地面に叩きつけた。
「!!」
レオナの眼前でそれは割れ、咄嗟に息を止めた瞬間。
「女の子にこんなことしたくないんだけど」
グシャッ。
「ぁっ……!!!」
レオナの薄い胸板を、ドラクロワのヒールブーツが踏み砕いた。
呼吸が止まる。
胸骨にヒビが入ったような音と共に、辺りに謎の毒ガスが充満していく。
「ぁ……うぁ……!」
レオナは口から血を吐きながら、どうにか地面を転がり身体を起こす。
だが、胸を踏まれた瞬間に大きく息を吸い込んでしまった。
毒ガスが立ち込め、視界が揺れる。
耳鳴りの中一瞬だが意識が消え、自分の荒い心音と、死神の笑みだけが鮮明に脳裏に刻まれる。
「あーあ、吸い込んじゃった」
眼鏡の奥の翠の瞳が、残酷に細められる。
口を引き裂き笑う死神は、タイムリミットを告げるかのようにゆったりとレオナと距離を取って手の中で短剣を弄んでいた。
「な……んだ……これ」
レオナは呼吸が苦しいのが毒ガスの所為なのか、胸を砕かれた所為なのか分からないまま、どうにか呼吸を抑える。
「すぐにわかるよ。ちなみにそれ、村の人たちに使ったものの300倍の濃度だから……まあ最悪死ぬね」
レオナは口を押さえ、息を吸い込まないようにするが、無理がある。
そもそも既にかなりの空気を吸い込んでしまった。
身体の力が抜け、膝をつく。
「色々聞きたいことある? セレスティアに何を贈り物するの?とか、何のために?とか」
口数の多いやつだと思いながら、レオナは無言でドラクロワを睨みつける。
まだ奥の手『閃紅鮮花』は撃てる。
最悪刺し違えてこいつを殺そうと、レオナは内心で思っていた。
できるだけ時間を稼げ。
レオナは体の小ささと息を殺して活動する術を体得している。
多少ガスを吸い込んでいるが、ここから無呼吸でも短時間なら戦える。
あるいは空気を吸っても大丈夫な場所まで動ければいい。
身体に力が戻るまでの十数秒間、ドラクロワにそこで喋らせる。
「ねえねえ気になる?」
「……っ」
レオナはコクリと頷いた。
「セレスティアは生きてても死んでてもどっちでもいいんだって。だからまあ、できるだけ苦しませておくのもいいかと思ってね」
にこやかに、世間話を語るようにドラクロワは話を進める。
アストラルも似たようなことを言っていた。
こいつはティアを"セレスティア"と呼んでいるから、ほぼ間違いなくアストラルの仲間だ。
レオナは身体の末端が動くようになってきたことを自覚する。
だが、このまま膝をつき動けない状態を装おうと思った。
こいつが話に夢中になっている隙を狙って、その脳天をナイフで貫くために。
だが。
「時間稼ぎはもういいかな?」
瞬間、ドラクロワはレオナの顔を覗きこむように眼前に立っていた。
翠の瞳が、狂気に輝き嗤っている。
「ちっ……!」
レオナはナイフを引き抜き投げつける。
「おっと!」
ドラクロワはそれをかわす体勢を見せた瞬間、すぐに背後に飛んだ。
屋外であれば、少し距離を開ければ、空気を吸い込んでも大丈夫だろう。
「ペチャクチャうるさいんだよオカマ野郎!! 死ね!」
体勢を崩したドラクロワに、さらにもう一本のナイフを投げつけると、彼の頬をかすめていった。
そのまま身体を捻ったドラクロワは、レオナの方へと駆けてくる。
足を斬られているので上手く動けないレオナだが、かろうじて横に飛んでかわした。
「ゼファーにもよく言われたよ!!」
わずかに肩を斬られたが、この程度なら問題ない。
その瞬間。
ゴッ!
レオナは片膝をついた。
先ほどドラクロワの短剣で貫かれた足の感覚がまるでなかった。
「……毒か」
「子どもなのにほんと大したもんだよ。冷静過ぎて怖いくらいだ」
ニコニコと笑顔を浮かべながら、ドラクロワが近づいてくる。
ゆっくりと、自らの死について考える時間を与えるかのように。
確かにこいつは”死神”の名前に相応しい。
レオナは歯噛みする。
だが暗殺者レオナもまた、屍山血河を越えてきた生還者だ。
死を体現する悪夢を前にしてなお、レオナの青い瞳はまるで生を諦めてはいなかった。
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