第216話 絶望の足音②
ツェリナに到着した俺たちの前に現れたのは、そこかしこで眠るように倒れた住人や旅人たちの姿だった。
曇天の空は俺たちの心模様を現すかのように、不穏な気配を醸し出している。
不気味な静寂に包まれた村で、俺たちは馬車を屋根のある場所に停め、一旦馬車を降りてみる。
「何が起こっているんでしょう……」
「分からないけど、周囲の警戒は怠らないで。どう、レオナ?」
レオナは近くに倒れていた、屋台の販売員の女性の脈を取ったり胸に耳を当てたりして呼吸を確認している。
「……死んではいなさそう。心臓は動いてるね」
「集団で寝てるってことか? そっちの方がおかしいな」
俺も驚きながら呟いた。
魔獣や野盗なんかの襲撃を受けて、村ごと壊滅したと言う方がまだ現実味があると思った。
だが、実際は村の様子は前回来たときと変わらないし、倒れた人々にも外傷は無い。
村中の人や生き物が一斉に眠っているこの状況は異常としか言いようが無かった。
「おーいお姉ちゃーん。朝だよー、こんなとこで寝てたら風邪ひくよー」
レオナは倒れていた屋台の販売員を揺すってみている。
だが彼女は目を覚ますことはなく、かといって苦しむような表情をしているわけでもない。
本当に眠っているようだった。
「ダメだこりゃ」
「どうしますか? ティアちゃん」
「他にも誰かが村を訪れれば、王国軍への通報なんかはしてくれると思うけど……」
ティアは迷っているようだった。
原因が分からない以上、速やかにツェリナを出る方が安全だ。
だが、このまま放置というのも寝覚めが悪いし、何が起こったのかも気になる。
今後の道中の安全面も考慮すると、もう少し情報が欲しいところだった。
「少しだけ村を見て回ろうか。起きている人とか、私たちみたいに通りすがった人がいるかもしれないし」
「アタシがひとっ走りその辺見てくるよ」
「お願い。私たちは一旦この前の教会に行ってみよう」
馬車を放置するのも不安だったので、俺たちは一旦教会の敷地内に馬車を停めさせてもらうことにする。
レオナは軽やかな足取りで村の中心部の方へと駆けていった。
「私たちも行こう。何か嫌な予感する」
ティアの言う通り、俺の胸の中にも嫌なざわめきがあった。
静けさに満ちた村の中、曇り空は太陽を覆い隠し、まるでこれから起こる何かを俺達に知らせているようだ。
「あのシスターさん……カナリアさんはご無事でしょうか」
「どうだろう、この分だと他の人と同じように……」
俺達は急ぎ、馬車を村の中心部にある教会まで動かす。
途中途中馬ごと止まっている馬車が道を塞いでおり、幾分か回り道を余儀なくされた。
彼らはいつから眠っているのだろうか。
屋台の炭に火が点いていたことから、さほど時間は経っていないようには見受けられた。
しかし、この分では民家で火を使っていた家で火事が起こらないかも心配だ。
「ねえティア、ミユキさん。一旦あの大きいお風呂に寄ろうか」
「何こんなときに。さすがに……あ、そうか、溺れている人がいるかも」
「そうですね。全ての民家に立ち入るわけにはいきませんが、念のため辺りも見て回った方がいいかもしれません」
というわけで、俺たちは周囲の商店や民家などを覗き、意識のある人の確認ついでに、危険な状況に置かれている人がいないかを見て回った。
特に俺達が利用した公衆浴場なんかは、お湯に誰か沈んでやしないかと心配だったが、結果としては大丈夫だった。
まあ素っ裸で倒れていた人は風邪くらいひくかもしれないが、全員に服を着せてやることはできないので諦める。
「どうだった?」
俺は女湯の確認をしていたミユキとティアに声をかける。
「こっちも大丈夫。肌とかに傷つけられた後なんかも無かったし。ただ何か落としたのかガラスの破片とかは落ちてたけど」
「こっちも似たようなもんだったよ。どうやって眠らせたんだろうね」
「さあ? スキルか、もしくは薬か……」
「まさか、ミューズでしょうか?」
広範囲に渡って村の住人を眠らせるような能力を使えるとしたら、ミューズの可能性は確かにある。
何故この村を襲ったのかは分からないが、だとすれば戦闘になるかもしれない。
「教会を覗いたら、早くレオナと合流した方がいいかもね」
「うん、急ごう」
俺はこれまでの傾向から、不可思議な現象が起こるとミューズの可能性を真っ先に考えるようになっていた。
だが、今ティアが口にした”薬”という単語にもわずかな引っ掛かりを覚えた。
村の住人全員に睡眠薬を飲ませることは現実的ではない。
井戸に薬を入れたって、全員が飲むかというとそんなことはないだろう。
だが……。
「……例えば、ガスとか……」
広範囲に直ちに広がる強力なガスなんかを使えば、可能なのではないかと思った。
「ガス……ですか?」
「あ、ううん。何となく思っただけ」
一体何のために?
野盗の仕業にしては荒らされた形跡も無さすぎる。
目的は何だ。
ミューズだとして、人間が死んでいないのも疑問が残る。
俺の胸の中の霞がかったモヤのような不安が、どんどん濃くなっていくのを感じた。
「教会、あれだね」
ティアはそう言って、教会の敷地内に馬車を入れた。
雨も降りそうなので屋根の下に停め、俺たちは入口の扉前に立つ。
鐘楼を見上げると、辺りの静寂も相まってか異常なほどの威容に感じられた。
「……なんだろう、この感じ」
俺は何故かはわからないが、心臓がバクバクと激しく脈動するのを感じた。
隣を見ると、ミユキも唇を引き結んでいる。
「ミユキさん? 大丈夫?」
俺だけでなく、彼女も何かを感じ取っているのだろうか。
声をかけると、ハッとなって安心させるように笑みを返してくれた。
「何でもありませんよ。ただちょっと……何か」
言いようの無い不安と、理由の分からない動悸。
俺はミユキの手にそっと触れ、無言で頷いた。
「二人とも、開けるよ。いい?」
「うん……」
「お願いします……」
ティアが、両開きの重たい木の扉を開いていく。
ギギギ……と音を立てながら、扉は内側に開いていった。
「―――っ」
俺は、呼吸が止まりそうなほどの衝撃を受けた。
そこには――
―――
レオナは軽い駆け足で、村の中をざっと見て回ったところだった。
村の端に設置されている監視台にも上ってみたが、村の中で動いているのはティアたちの乗る馬車だけだ。
どこかから今飛んできたばかりの鳥や虫などは動いているが、それ以外に動く生き物の気配は無い。
(……気味悪いな。何なんだ……)
レオナは人の悪意や殺意などには、これまでの経験から強い耐性がある。
が、”何も無い”ということには警戒心を抱いた。
こちらに敵意などがどこからも向けられていないのだ。
この状況になる元凶がもういないのかもしれない。
つまり、これは自分たちに向けて作られた状況ではないということだ。
あるいは、そもそも敵意も悪意もなく、こんなことをやってのける人間がいる可能性もある。
そんなことを思いつつ、レオナは特に目ぼしい情報も無いのでティアたちの元へ戻ろうと思った。
その矢先のこと。
「え……?」
レオナは思わずポツリと声を出す。
そいつは、村の中にある一軒のカフェのような飲食店にいた。
テーブルやカウンターに突っ伏した客や、床に倒れ込んだ店員の中。
一人の金髪の男が足を組んで座り、優雅にカップに口を付けている。
窓の外からそれを見たレオナは、思わずカフェの中に駆けこんだ。
バンッ!!と扉を開けると、一人コーヒーを飲んでいる男の、翠色の瞳がレオナの方に向けられた。
眼鏡をかけ、輝くような長い金髪を三つ編みにした、女のような男だった。
骨格からどうにか男だと判別できたが、実際のところはどうか分からない。
赤いシャツに黒いパンツ、ヒールのあるブーツを履いた中性的なその男は、穏やかな笑みを称えている。
「やあ、レオナ=メビウスちゃんかな」
友人にでも声をかけるように、男は気さくな声色でそう言った。
「何……あんた。ここで何してんの。っていうか、村の奴らが寝てるのはあんたの仕業?」
レオナは腰のナイフに手をかける。
こいつは自分の名前を呼んだ。
だが自分はこいつを知らない。
とはいえ、もう自分たちはそこそこ有名な冒険者になっている。
警戒を表情に出したレオナに、男は 柔和な微笑みを浮かべたまま言葉を返す。
「質問が多いね。とりあえず、今は見ての通りコーヒーを飲んでるよ。いやあありがたいよね、こんな小さな村でもちゃんと喫茶店があって退屈しない」
「一番どうでもいい質問に答えやがって……もう一度聞くけど、あんた誰?」
レオナは警戒を解かない。
この男は一見普通に座っているだけの細身の優男だが、その身のこなしには一切の隙が無い。
それどころか、この村に来て初めて強烈な”死の気配”を感じた。
間違いない。
こいつは、これまで何人もの人間を殺してきている。
「ああ、ボク?」
男はカチャリとカップをテーブルに置き、レオナを見据える。
顔からは余裕の笑みが消えず、レオナの神経が研ぎ澄まされていく。
「――ボクはエレナ=ドラクロワ。セレスティア=フランシスカに贈り物をしに来たよ」
ゾワリと、レオナの背中に悪寒が走った。
そう言って嗤ったドラクロワに、レオナはためらうことなくナイフを引き抜き投げつけた。
―――
ティアは、教会の重たい木の扉をゆっくりと開いていく。
正面に見えてくるステンドグラス。
ろうそくの灯りが照らす厳かな雰囲気の礼拝堂の中では、床に倒れ込んだシスターや、チャーチベンチに倒れるいくつかの人影があった。
だが。
俺の、そしておそらくミユキの視線はある一点に吸い寄せられる。
礼拝堂の最前列に腰掛ける白い影が、ステンドグラスを見上げている。
蝋燭の炎に照らされたシスター服は汚れひとつなく、清廉の化身のようだった。
細く長い白髪は肩から胸元へ流れ落ち、揺れる炎の明かりを反射して銀糸のように輝いている。
その横顔は静謐で、まるでこの世の俗世と切り離された女神像のように美しい。
「―――ああ、ようやく来た」
ドクンッと、俺の心臓が跳ね上がる。
ミユキは俺の腕にしがみつき、呼吸が浅くなるのが分かった。
俺は、先ほどまでの胸のざわめきと、不穏な気配の理由を理解する。
ゆっくりと、揺らめくように立ち上がる白い影。
髪の内側は血のように赤く、”彼女”の目元にも赤い文様が刻まれていた。
彼女は――
「フェルヴァルムッッッ……!!!」
俺は叫び、ミユキの前に立つ。
来た。
とうとうこの時が来てしまった。
きっと今日まで感じていた俺の予感は正しかった。
俺の心臓ははじけ飛びそうなほどの早鐘を告げ、額や背中には汗が止まらない。
それは俺の全身が、今すぐ逃げろと叫んでいるからに他ならないのだ。
だが、逃げるわけにはいかない。
「フガク、ミユキ――」
柔らかく唇を動かすフェルヴァルム。
静かなのに耳の奥を震わせる、不気味な残響を伴っていた
彼女は、俺とミユキが倒すべき宿敵にして、俺たちの運命の鍵を握る女。
"運命とは流星のようなもの"。
俺はメルの言葉を思い出していた。
それは唐突に、夜空を焼き尽くす星のように、俺達の前に現れるのだ。
俺たちはついに、彼女と相対する時を迎えたらしい。
「――さあ、貴方達の答えを見せて」
運命の審判を告げる神託のように。
フェルヴァルムは謡うような優しい声色でそう告げた。




