好きなタイプは王子様みたいな人
「王子様みたいな人と結婚したい」
そんな夢見がちな彼女が幸せになることだけを祈っていた。
アップルビー伯爵家の末娘ロイズ・アップルビーが学園の卒業パーティーから帰宅したのは日付も変わるくらい夜が更けた頃だった。18歳の未婚の娘がこんな時間に帰ってくるなんて普通なら許されない所だが、卒業パーティー中にとんでもない問題が起きたのだ。ロイズ様を含めた4人の令嬢が男爵令嬢に陰湿な嫌がらせをしたことを理由に婚約を破棄された。その4人の中には第1王子も含まれていたそうで事態の収拾がなかなかつかず、こんな時間になってしまったということだ。
帰宅したロイズ様は父であるアップルビー伯爵の書斎で少々言葉を交わすと自室へと戻っていった。その姿を他の者と遠くから見守るだけだった俺は、不躾とは思いつつも彼女の部屋を訪れていた。
「お嬢様、まだ起きていらっしゃるでしょうか?」
「……ええ、起きているわ。入って」
寝ているのならば起こしては悪い、そう思いながらドアの外から密やかに声をかけると、いつもと同じ調子の返事が返ってきた。恐る恐るドアを開けると、卒業パーティーのために着飾ったままの姿のロイズ様が窓際の椅子に腰かけていた。
フリルがふんだんに使われた菫色のドレスを身に着け、銀色の髪はプラチナとパールの髪飾りで結い上げられている。静かに座っていると精巧に作られた人形のようで、その美しさは温度を感じさせない。
「あら、哀しそうね。どうしたの、夕飯でも食べ損ねてしまった?」
「茶化さないでください、お嬢様」
「ふふふ、ごめんなさいね。私よりも辛そうな顔をしているんだもの」
くすくすと笑う彼女は今さっき婚約破棄をされたとは思えない。
だが、膝の上で組んでいる手は小さく震えていた。彼女の前に跪きその手に触れると、俺の手を握り返した後ぎゅっと眉を顰める。
「……私、ニーナさんのことをいじめてなんかいないよ」
「えぇ、そうでしょうとも。お嬢様がそんなことをしないことは、護衛騎士の俺が一番よく分かっています」
「でも、いじめたかいじめてないかなんて問題じゃないってお父様に言われたの。本当のことはどうでもよくて、ただ私がクラーク様に婚約破棄をされたのが問題なんだって」
ロイズ様の婚約者、いや元婚約者クラーク・モンティスは、この国の宰相を務めるモンティス公爵の長男である。この婚約は野心家であるアップルビー伯爵が他の貴族を蹴落としてロイズ様が幼い頃に結んだものであった。その婚約が破棄された、しかも真相はなんであれ対外的に非がこちらにあると思われているのであればアップルビー伯爵は怒り心頭だろう。
そして、ロイズ様も傷ついているに違いない。彼女は幼い頃から「王子様のような人と結婚したい」と言っていた。クラーク様は王子ではないが、金髪碧眼に優し気な微笑みを湛えるその姿は絵本の中の王子様そのものだ。そんな婚約者に他の令嬢に嫌がらせをするような卑しい女であると思われて、婚約破棄された彼女の悲しみとは如何ほどのものであろうか。
「嫌になるよね。私は勉強するより本を読んでいたかったし、公爵家に恥じないマナーを身に付けるより街で遊びたかったのに、全部我慢して頑張った結果がこれって、笑っちゃう。クラーク様に微塵も信じてもらえないなんて。好かれていたなんて自惚れてはなかったけど、ここまで私を嫌っていたとも思わなかった」
「お嬢様……」
「ま、もういいけどね。それでも、嫁ぎ先はあるみたいだし」
儚げな外見とは裏腹に、ロイズ様は好奇心が旺盛な方だ。初めて会ったのだって、まだ10歳だった彼女がこっそり屋敷を抜け出して街へ降りてきたときだった。両親を亡くし孤児院にいた俺は下町に並ぶ屋台に瞳を輝かせる彼女を見て、こんなにも美しい人間がいるのかと驚いた。変装していても高貴な身の上だと一目瞭然の彼女を一人にしておけず、街の案内を買って出れば嬉しそうにその顔を綻ばせた。この身を犠牲にしてでもその笑顔を守りたいと思ったはずなのに、最近ではとんと見ることもなくなっていた。
「ウッドマン伯爵が後妻を探しているんだって」
「ウッドマン伯爵……って、前妻もその前の妻も心を病んで亡くなられている方じゃないですか!?それに年も30は上でしょう!?」
「それでも、領地は貴重な鉱石が採れるからとても裕福なの」
「旦那様はお嬢様を金で売るというのですか!!」
「だって、婚約破棄された私が役に立つにはそれくらいしか道がないから」
そう言って笑おうとしたロイズ様は口元を不格好に歪めることしかできなかった。ヴァイオレットの瞳にじわりじわりと水の膜が張る。
「……お嬢様、お嬢様はそれでいいんですか」
「良くなかったら、どうすればいいの」
ついに堪えきれなくなった涙が溢れ出した。ロイズ様が泣くのを見るのは二度目だ。
初めてロイズ様が泣くのを見たのは、屋敷を抜け出した彼女の何度目かの街の探検に付き合っていた時。彼女が伯爵令嬢だと知って跡を付けてきた無法者たちがいたのだ。身代金目当てに彼女を誘拐しようとした無法者たち相手に、彼女を守るために俺は向かっていった。武器を持った大人たち相手に、いくら子どもの中では腕っぷしが強くとも素手で敵うわけもない。殴られ蹴られ大ぶりのナイフで切り裂かれても、それでも俺は食らいた。
もはや立っているのか倒れているのかすら定かではなくなった頃に、ロイズ様の不在に気づいて探していた家臣たちが騒ぎを聞きつけて助けに来てくれた。
目が覚めた時、俺は今まで寝たこともない上等なベッドの上にいて、横には泣きじゃくるロイズ様がいた。
「ザカリー!!」
「ロイズ……?」
「そう、私よ、ロイズよ!あぁ、良かった、もう目が覚めないかと思った」
「ロイズは?怪我はない?」
「ない、傷一つないよ。ザカリーが守ってくれたおかげ。ありがとう」
「そうか、良かった」
そっと包帯の巻かれた頭を撫でられる。
彼女が傷つかなくて良かった。だけど、俺が強ければ彼女を泣かせる必要もなかったのに。こんなの全然守れたなどと言えない。自分の無力さが憎かった。
けれど、伯爵はそんな俺を命がけで娘を守ってくれたと称して、ロイズ様の護衛にと俺を引き取ってくださった。今にして思えば、平民、しかも孤児であってもその能力を評価するという、良き領主としてのパフォーマンスだったのかもしれないが、それでも、彼女の傍にいられることが嬉しかった。
だから、もう二度と泣かせるようなことはしないと誓った。それなのに、今、ロイズ様は愛していた人に裏切られ、ろくでもない男の元に送られそうになって泣いている。
「ロイズ様、逃げましょう」
俺の言葉にロイズ様は目を見開いて固まる。驚きで涙は止まったようだった。
「貴族としての豊かな暮らしを送れるような金はありません。けれど、何からでも貴女を守れるくらい強くなりました。貴女に不幸を齎す全てを退けることを誓いましょう」
「そんな、ザカリー……そんなことできない。私の護衛を止めれば、騎士団にだって入れる。ううん、貴方ほど強ければ入れるだけじゃなくて騎士団長だって夢じゃないよ。伯爵家に仕えていたいっていうなら、お父様の護衛にだってなれる。それなのに、私と一緒に逃げたら全て捨てることになるんだよ」
「地位も名誉も必要ありません、ただ貴女に笑っていてほしいのです」
彼女の手を離して、少し躊躇ってから頬に触れる。剣を握って硬くなったこの手が彼女を傷つけないように気を付けて、親指で涙の跡をそっと拭う。
「俺は剣以外に能がありません。見た目だって王子様からかけ離れています。こんな男に言われても困るでしょう。けれど、初めて貴女に会った時からずっとお慕い申しております。
気持ちに答えていただきたいだなんて大それたことは元より考えておりません。ただ、貴女のためならばこの身が惜しくないと知ってほしかった」
懇願するように言えばロイズ様は息を呑んだ。そして、止まったはずの涙がまたはらはらと流れ出す。
「ああ、申し訳ありません。困らせたかったわけではないのです」
「違う、違うの。困ってなんかない」
流れる涙はそのままに笑みを浮かべる。綻ぶような笑顔だ。そして頬に触れる俺の手の上に彼女の手が重なる。
「嬉しいの、本当に。私の王子様は、私を守ってくれたあの時からザカリーだけだったから」
「俺、が。それって……」
「私も、ずっと貴方が好きだった。……ねぇ、私を連れ去って」
耐え切れずに彼女を抱きしめると、縋るように彼女からも抱き返される。
「必ず、幸せにします」
「うん、お願いね、私だけの王子様」