永遠の眠りってなあに?
今日はブッポウについて話さなければならない。とても緊張するのである。なにしろボクにしてみれば、難しいテツガクなのだ。それでも一生懸命説明しなければならないのだ。お兄ちゃんに教わったテツガクをボクは話さなければいけないのである。どうぞ皆さん、耳をそばだてて聞いていてください。
なんでも大昔にいたブッダというヒトが説き表わしたジッセンテツガクだということらしい。ボクに関係があるのは、その中でもほんのわずかな部分だ。
例えば、好き嫌いという感情。これはブッポウでいうと、畜生の命なのだそうだ。好きな存在だけに優しくし、嫌いな存在には冷酷である。ボクの中にもあるそうした気分をさしていうらしいのだ。少し前に説明した、縄張り意識というものも、これに当たるらしい。
また、ボクが脂っこくて甘いものばかりを好む性質はブッポウでいうと、餓鬼の命なのだそうだ。行きたいところに行きたい、やりたいことしかしない。そうしたこともこれに当たるらしい。
それともうひとつ、地獄という命がボクの中にはあるらしいのだ。これは苦いものを食べてしまし得体の知れない恐怖に駆られたり、これまで感じたことのない生き物の気配を感じて恐れたり、高いところから落ちて、痛みを感じたり、焦ってエサを食べようとして喉につまって苦しくなったりしたときのことらしい。
まあボクの日常には当たり前にあることなので、そういわれても特別恐ろしいとも、なんとも思わないのである。
なんでも人間さんには、こうした地獄、餓鬼、畜生とは違ったキョウガイというものがあるらしい。
修羅、人、天、声聞、縁覚、菩薩、仏、がそれなのだそうだ。
ボクにしてみたらチンプンカンプンなのであって、とても理解できるものではなく、ボクの方が幸せなのか人間さんの方が幸せなのかはボクにはよくわからない。つまり、ボクからすれば、地獄、餓鬼、畜生というキョウガイを知っていれば充分なのである。もっとも、こうしたことはお兄ちゃんに出会わなければ一生知ることもなかったのだが、知ったからといって何かが変わったわけでもない。
ただ、なんとなく思うのは、ボクがある日体験したことで――ああ……これがお兄ちゃんのいっていたことなんだろうな、と気づいたような気づかなかったような、そんな気がするだけなのである。
それでは、その時のお話をしよう。
ある日、ボクはなんだか体に力が入りづらくなったり、きちんと歩いているつもりなのに、よろけるようになったのだ。
――あれえ? なんでだ? そんな気持ちはあったけれど、特別気にすることもなかった。そうした日が数日続いたあと、いつにも増しておつむが悪くなった気分を感じたのです。あれをしようと思っても思い通りに体が動かない。あんなに好きだったヒマワリの種もなんだか食べる気がしない。ただただ、眠いのである。
そんな風にして、うとうとと眠る時間ばかりが増えていったとき、突然前足や後ろ足がプルプルと勝手に動くことに気づいたのだ。体はとても怠く、おつむもぼんやりとしていて、少しばかり苦しかったのだが、足がプルプルと動くと、そうした苦しさが癒されるのに気づいた。だから、足が勝手に動くことは気になったのだけれど、そのままにしておいたのである。
それからしばらくすると、ボクはとてつもない眠さに襲われたのだ。その眠けはこれまで体験したこともない強い眠気だったせいもあって、とても起きていることなど出来なかったのだ。体が軽くなるようなほんわかとした幸せな気分と、これまでに感じたこともない満足な感情がじんわりと湧き上がってきたので、あえてそれに逆らおうとは思わなかったのだ。そうしてボクは深い深い眠りに落ちたのである。
そのあとボクは、もう自分の足をみたり、毛に覆われた自分の体や、あんなにモゾモゾしたおしっこをする部分を二度と見ることはなかったのだけれど、なんの不安も感じなかったのである。
お兄ちゃんは『それが死ぬということなのだ』と何度もボクに話してくれたような気はしたが、ボクにはよくわからなかったのだ。なんでもハムスターというのは、畜生界の生き物らしいので、ボクはこうしたなんの不安もない眠りに落ちたらしいのだが、人間さんがどうなのかということに関しては、ボクにはよくわからないのである。だけれども、ボクは思うのだ。できうれば多くの人間さんがボクと同じような眠りに出会って欲しいと……。
ボクは今、夢の中にいる。不思議なことだけれど、お兄ちゃんの顔は見えなくても、ニオイがしなくても、何故だか声だけは聞こえるのである。だから、『ねえチッチ、あのお話をしてよ』というお兄ちゃんからのお願いに応えたのだ。なんでもこうしたお喋りは菩薩行というらしいのだが、ボクにはよくわからない。でもなんだかとても眠いのだ。少し眠るとしよう。
それでは皆さん、またお逢いしましょう。さようなら。
チッチ
追伸。誰でも良いので、お兄ちゃんに伝えてください。
ボクが深い眠りに落ちたとき、どこも苦しくなかったし、どこも痛くなかったと。
お兄ちゃんは、随分長いこと、それを気にしているみたいなので。
二年と半年、楽しい時間をありがとう。そう伝えてください。
お兄ちゃんからの声は聞こえるのだけれど、ボクは上手に声を出せないのです。
とてもとても眠いせいなのかな?……
――完――




