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ヒトにはなれない異世界転生  作者: vastum


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40/46

第40話『声』

最初は、骨の音に混ざっていた。


からり。


巣の入口で、小さな骨が揺れた。


グレイはすぐに反応した。


外敵か。


骨喰い虫か。


黒鼠か。


それとも人間か。


巣の奥で身体を低くし、音を探る。


だが、入口には何もいなかった。


人間の心音も遠い。


小型魔物の足音もない。


骨を鳴らしたのは、幼生だった。


一体目。


傷を負った方の幼生だ。


グレイは、その小さな影を見た。


幼生は入口近くの骨へ前脚を乗せ、軽く押していた。


から。


骨が鳴る。


幼生は少し後退する。


そしてまた近づく。


からり。


また鳴る。


それを繰り返している。


遊びか。


訓練か。


意味は分からない。


だが、幼生は確かに骨の音を覚えようとしているようだった。


二体目も、その後ろでじっと見ている。


まだ一体目ほど動きは早くない。


だが、目のような点は骨の方へ向いている。


グレイは巣の奥から近づいた。


幼生たちはすぐに反応する。


きゅ。


きゅ。


近づいてくる。


グレイの脚へ寄る。


腹の下へ入ろうとする。


グレイは少しだけ身体を持ち上げた。


潰さないように。


それがもう、自然になり始めていることに、グレイは自分で気づいていた。


以前なら、邪魔なものは避けた。


それでも邪魔なら押し退けた。


今は違う。


幼生が来ると、踏まないように動く。


それは弱さか。


それとも、群れの動きなのか。


分からない。


一体目の幼生が、グレイの前脚に体を擦りつけた。


傷は塞がり始めている。


まだ跡は残っているが、外皮が黒く硬くなってきた。


骨喰い虫に叩きつけられた時、死ぬと思った。


だが、生きた。


食わせ、休ませ、守った。


その結果、今ここにいる。


きゅ。


幼生が鳴く。


二体目も鳴く。


きゅ、きゅ。


二つの音。


巣の中で重なる。


白鳴き種を食べてから、グレイには音が深く入る。


その小さな鳴き声も、ただの音ではない。


空腹。


安心。


不安。


近づきたい。


そういう曖昧なものが混ざっている。


グレイは、その感情に慣れ始めていた。


慣れたくはなかった。


他者の感情が自分に流れ込むことは、今も気味が悪い。


だが、完全には拒めない。


拒むと、幼生たちの不安が強くなる。


それも伝わる。


結果として、グレイ自身も落ち着かなくなる。


だから、近くにいる。


近くにいれば、幼生たちは静かになる。


幼生たちが静かになれば、グレイも少し落ち着く。


それは繋がりだった。


気持ち悪く、便利で、逃げられない繋がり。


グレイは、巣の入口の骨を確認した。


人間に読まれてから配置を変えている。


ただ並べるだけではなく、自然に見えるように散らした。


だが、踏めば鳴る。


小型魔物なら軽く。


人間なら重く。


大型なら砕ける。


巣の入口だけでなく、奥の裂け目、水場への分岐、幼生用の通路にも骨を置いた。


人間が見れば、また読まれるかもしれない。


だが、何もしないよりはいい。


グレイは奥へ戻ろうとした。


その時、一体目の幼生が、口を開いた。


「グ」


音がした。


グレイは止まった。


水音ではない。


骨でもない。


幼生の鳴き声でもない。


それは、言葉に近い音だった。


グレイはゆっくり振り返る。


一体目の幼生が、グレイを見上げている。


小さな口。


未発達の牙。


喉の奥が震えている。


「グ……」


もう一度。


グレイは動けなかった。


二体目の幼生も、同じように口を開いた。


「グ、レ……」


不完全な音。


歪んでいる。


湿っていて、幼い。


だが、確かにその音はグレイだった。


自分の名。


自分を繋ぎ止める音。


グレイ。


人間がつけたグレイラーヴァという仮称から、自分が削り出した音。


レオンの記憶に飲まれないために、何度も呼んだ音。


巣の中で自分を保つための音。


それを、幼生が真似した。


グレイは、巣の奥で完全に固まった。


「グ……レ」


一体目がまた鳴く。


二体目も続く。


「グレ」


二つの声。


同時に。


弱く、歪で、だが確かにグレイを呼ぶ。


呼んでいるのか。


真似しているのか。


区別がつかない。


幼生たちは、グレイが何度も自分の名を呟くのを聞いていた。


巣の中で。


記憶酔いの時。


不安な時。


幼生たちを守った後。


グレイは自分を呼んだ。


グレイ。


その音を、幼生たちは覚えた。


そして今、返している。


グレイの外皮がざわついた。


嬉しい。


その感情がほんの一瞬浮かんだ。


呼ばれた。


自分の名を。


ニルが誰かに呼ばれていたように。


レオンが仲間に呼ばれていたように。


グレイも、呼ばれた。


だが、その感情の直後に、強烈な恐怖が来た。


真似された。


自分の音が、他者の口から出た。


自分だけのはずの杭が、複製された。


グレイをグレイに繋ぎ止めていた音が、幼生たちの中にも入っている。


それは、自分が増えたような感覚だった。


グレイは、一歩後退した。


幼生たちが近づく。


「グレ」


「グレ」


呼ぶ。


近づく。


嬉しそうに。


安心して。


その感情が流れてくる。


グレイだ。


近くにいる。


呼べる。


そんな単純な安心。


だが、グレイにはそれが怖かった。


この幼生たちは、自分の名を呼んでいる。


それとも、自分が自分を呼んでいた音を、ただ反射しているだけなのか。


もし、これから増え続けたら。


何体もの幼生が、自分の名を呼んだら。


巣全体がグレイという音で満ちたら。


その時、グレイは一体どれになる。


呼ばれる側か。


呼ぶ側か。


名を持つ個体か。


名を共有する群れか。


分からない。


グレイは口を開いた。


何かを返そうとした。


だが、声が出ない。


幼生たちはまた鳴く。


「グ、レ」


「グレ」


二体の小さな声が巣の黒岩に反響する。


白鳴き種の力が、その残響を広げる。


グレイ。


グレ。


グレ。


音が壁に当たり、奥の裂け目へ入り、骨に触れて戻る。


まるで巣そのものがグレイと呼んでいるようだった。


グレイは、頭を低くした。


やめろ。


そう思う。


だが、幼生たちはやめない。


呼べるようになったことが嬉しいのか。


グレイの反応を見ているのか。


分からない。


グレイは低く喉を震わせた。


「……グレイ」


自分で言った。


確認するように。


幼生たちは、一斉に反応した。


「グレ」


「グレイ」


二体目の方が、少し近い音を出した。


グレイはぞっとした。


学習が早い。


早すぎる。


自分の言葉を聞き、すぐに近づけている。


声帯も、人間のような喉もないはずなのに。


それでも、真似る。


自分の形に合わせて。


自分の未完成な器官で。


グレイが人間の言葉を真似たように。


幼生たちは、グレイを真似る。


《眷属幼体による音声模倣を確認》


《群体内情報伝達の初期反応》


《名称認識が共有されつつあります》


名称認識。


共有。


グレイは、その声を聞いてさらに不安になった。


共有。


それは危険な言葉だった。


匂い。


音。


空腹。


不安。


幼生たちの感情は、もう薄く伝わる。


そこへ名前まで混ざるのか。


グレイという音が、共有される。


グレイは自分を指す名だった。


だが、幼生たちにとっては何を指す。


グレイ本体か。


巣主か。


親か。


群れ全体か。


自分たちを守る大きな影か。


グレイは、そのどれでもあるようで、どれでもない。


幼生たちは、また近づいてくる。


「グレ」


「グレ」


グレイは、今度は逃げなかった。


逃げれば、幼生たちの不安が流れてくる。


それが分かっている。


だから、逃げない。


だが、恐怖は消えない。


呼ばれることが怖い。


呼ばれないことも、きっと怖くなる。


そう直感した。


厄介だった。


グレイは、幼生たちの前に身体を低くした。


一体目が前脚へ触れる。


二体目が腹の下へ入る。


小さい。


弱い。


守る対象。


同時に、自分の名を真似る存在。


グレイは、静かに目を閉じた。


その時、巣の外で骨が鳴った。


からり。


幼生たちの声が止まる。


グレイは即座に反応した。


入口。


軽い音ではない。


少し重い。


黒鼠より重い。


人間ではない。


黒殻狩りの幼体か。


いや、音が二つ。


足音。


低い。


グレイは幼生たちを奥へ押し込んだ。


一体目は少し抵抗するように前へ出ようとした。


以前、骨喰い虫へ飛びついた時と同じ。


グレイは鋭く音を出した。


「グ」


短い制止。


自分でも意識せず出た。


幼生たちが止まる。


二体とも。


その反応に、グレイは一瞬驚いた。


声が通じた。


意味を持ったのか。


それとも、グレイの強い感情が伝わったのか。


分からない。


だが、幼生たちは奥へ下がった。


グレイは入口へ向かった。


外にいたのは、小型の甲殻魔物だった。


二匹。


巣の匂いに引かれたのか。


骨に触れたのか。


グレイは天井へ上がり、一匹目へ落ちた。


首の隙間。


噛む。


二匹目が逃げる。


追う。


巣の近くで逃がすと、匂いを覚えられる。


脚を切る。


首を裂く。


終わり。


短い戦闘。


グレイは死体を巣から離れた場所へ運ぼうとした。


だが、そこで考え直す。


幼生たちの餌になる。


小型甲殻魔物の肉は少し硬い。


だが、裂けば食べられる。


グレイは柔らかい部分だけを咥え、巣へ戻った。


幼生たちは奥で震えている。


グレイが戻ると、すぐに寄ってきた。


「グレ」


「グレ」


呼びながら。


グレイは、餌を置いた。


幼生たちが近づく。


食べる。


だが、食べながらも時々顔を上げる。


グレイを見る。


「グレ」


餌。


呼ぶ。


食べる。


呼ぶ。


その繰り返し。


グレイは、餌を裂きながら思った。


名前が、合図になっている。


安心。


餌。


戻った。


守られている。


そういう意味が、幼生たちの中でグレイという音に混ざっている。


自分の名が、自分のものではなくなっていく。


それが怖い。


だが、幼生たちがその音で落ち着くなら、利用できる。


そう思ってしまう自分もいる。


「グレ」


幼生が鳴く。


グレイは、少しだけ低い音で返した。


「グレイ」


二体が反応する。


安心。


喜びに似たもの。


その感情が流れてくる。


グレイは、それを受け取りながら、胸の奥が重くなるのを感じた。


人間は名前を呼ぶ。


ニル。


レオン。


ラグド。


ガラン。


アリア。


ハルク。


名前は、個体を指す音。


でも、ここでは違う。


グレイという音は、個体だけではなくなり始めている。


巣主。


守る影。


餌を裂くもの。


警戒するもの。


戻ってくるもの。


そして、群れの中心。


そうなりつつある。


グレイは、食べ終えた幼生たちを見た。


一体目は傷跡を残しながら、グレイの前脚へ体を寄せる。


二体目は、少し離れた位置で口を動かしている。


「グ……レイ」


二体目の発音が、また少し近づいた。


グレイは目を逸らした。


怖い。


でも、離れない。


その夜、巣の中は静かではなかった。


幼生たちは眠りながらも、小さく音を漏らす。


きゅ。


グ。


レ。


夢でも見ているのか。


声を練習しているのか。


グレイには分からない。


だが、そのたびに巣の黒岩が微かに震え、残響が戻る。


グレ。


グレ。


グレイ。


音が巣の中を回る。


グレイは眠れなかった。


自分の名前が、他者の寝息に混ざって繰り返される。


その異様さ。


その不気味さ。


そして、その奥にある奇妙な温かさ。


全部が混ざっていた。


グレイは、小さく口を開いた。


「グレイ」


自分で自分を呼ぶ。


まだ自分のものだと確かめるために。


すると、眠っていたはずの一体目が、半分眠ったまま返した。


「グレ」


グレイは、何も言えなかった。


名前は、もう巣の中に広がっていた。


自分だけの杭ではなく、幼生たちを繋ぐ音になり始めている。


グレイは、その残響の中でただじっとしていた。


一人ではない。


それはもう、疑いようがなかった。

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