表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ヒトにはなれない異世界転生  作者: vastum


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
1/50

第1話『飢餓』

暗い。


いや、暗いという認識すら曖昧だった。


上下も分からない。


音もない。


冷たい。


湿っている。


ただ、それだけがある。


――腹が減っている。


その感覚だけが、異様なほど鮮明だった。


喉が焼ける。


身体の内側が空洞になっていく。


何かを入れろと、本能が叫んでいる。


「……」


声を出そうとして、違和感を覚えた。


音が変だ。


いや、そもそも口の形がおかしい。


舌の感覚も奇妙だった。


ぬるりとした細長い何かが動いている感触。


自分のものなのに、自分のものではないような感覚。


身体を動かそうとする。


ぐちゃり。


湿った音。


次の瞬間、身体が転がった。


視界が回る。


そこでようやく、自分の視界がまともではないことに気づく。


ぼやけている。


輪郭が曖昧だ。


色もよく分からない。


ただ、近くにあるものの温度や匂いだけは、妙にはっきり分かった。


腐臭。


湿った岩。


土。


カビ。


そして。


肉。


その瞬間、身体が勝手に動いた。


飢え。


それだけだった。


腹が減っている。


喰わなければならない。


理由もなく、確信していた。


ぬるりと身体を引きずる。


岩肌を擦る感触。


柔らかい身体。


妙に多い脚。


その感覚に、一瞬だけ嫌悪が走る。


気持ち悪い。


自分が。


だが、それ以上に空腹が強かった。


進む。


暗闇の先。


そこに“肉”がある。


腐っている。


死んでいる。


それでも、肉だ。


近づくにつれ、臭いが強くなる。


鼻が曲がりそうなほど酷い臭気。


なのに。


美味そうだ、と感じてしまった。


「……っ」


身体が止まる。


何だ、この感覚は。


おかしい。


腐っているんだぞ。


こんなものを食べたいと思うなんて。


だが。


腹が減っている。


身体の奥底から、喰えと命令される。


そこで初めて、自分の“手”を見た。


手ではなかった。


白い。


半透明。


細い脚。


先端が鉤爪のように尖っている。


ぶるりと身体が震えた。


なんだこれ。


なんなんだ、自分は。


記憶を探る。


名前。


顔。


場所。


何もない。


真っ白だ。


ただ、不思議と“知識”だけはあった。


岩。


肉。


腐敗。


痛み。


死。


そういう言葉だけが頭に浮かぶ。


なのに、自分が誰だったのかは分からない。


そもそも。


本当に“誰か”だったのかすら。


「……ぁ」


また変な声が漏れる。


喉がおかしい。


というより、人間の喉じゃない。


そこでようやく、自分が人間ではないことを理解した。


理解した瞬間、得体の知れない恐怖が込み上げる。


逃げたい。


でも、どこへ。


何から。


分からない。


腹が減っている。


それだけが現実だった。


腐肉へ近づく。


そこに転がっていたのは、小型の魔物だった。


犬にも似ている。


だが牙が異様に長い。


腹が裂け、内臓が飛び出している。


死んでから時間が経っているのだろう。


肉が黒ずんでいた。


普通なら吐き気を催す光景。


なのに。


美味そうだ。


喉が鳴る。


いや、喉ではない。


身体全体が飢えている。


「……やめろ」


自分に言い聞かせる。


何を?


分からない。


だが、これは駄目だと思った。


こんなものを食べてはいけない。


なぜ?


分からない。


なのに、そう感じた。


その時。


ぐうぅぅ、と腹が鳴った。


瞬間。


理性みたいなものが吹き飛ぶ。


身体が勝手に動いた。


牙が肉へ食い込む。


ぶちり、と腐った皮膚が裂ける。


鼻を刺す臭気。


ぬめった肉。


腐敗した液体。


最悪だった。


なのに。


美味い。


「……ぁ……」


夢中で喰らっていた。


肉を裂く。


飲み込む。


骨を噛み砕く。


腹へ流し込む。


空腹が満たされていく。


それが、とてつもなく気持ち良かった。


そこでようやく、主人公は気づく。


自分が“食っている”ことに。


「……っ!?」


慌てて離れる。


身体が震える。


口の周りに黒い血が付いていた。


吐きそうになる。


だが、吐けない。


むしろ。


もっと欲しい。


その欲求に、自分でゾッとした。


理解できない。


なぜこんなものを。


なぜ美味いと感じる。


だが、身体は正直だった。


空腹が消えている。


満たされている。


幸福感すらある。


その事実が恐ろしかった。


その時だった。


頭の奥で、何かが響く。


《腐敗耐性を獲得しました》


「……?」


何だ、今の。


機械的な声。


感情のない音。


だが、それを不思議と理解できた。


《腐肉適性を獲得しました》


《消化能力が僅かに向上しました》


意味が分からない。


理解できない。


なのに。


身体が少しだけ変わった感覚がある。


胃が熱い。


皮膚が痒い。


脚の感覚が変化している。


「っ、ぁ……」


苦しい。


だが同時に。


心地いい。


ぞわぞわと身体の内側が蠢く。


生きている。


強くなっている。


本能がそう理解していた。


そこで、不意に気配を感じた。


主人公の身体が硬直する。


何かいる。


暗闇の奥。


視界は悪い。


だが、分かる。


自分より大きい。


強い。


捕食者だ。


本能が警鐘を鳴らす。


逃げろ。


今すぐ。


主人公は反射的に岩陰へ潜り込んだ。


息を潜める。


身体を縮める。


気配を消す。


なぜそんなことが分かるのか、自分でも分からない。


だが、そうしなければ死ぬと理解していた。


ぬちゃり。


重い音が近づく。


何かが腐肉へ近づいた。


低い唸り声。


巨大な影。


ぼやけた視界でも分かる。


化け物だった。


四足。


異様に長い腕。


裂けた口。


複数の目。


主人公が食っていた死体へ喰らいつく。


肉を噛み千切る音。


骨が砕ける音。


そのたびに、主人公の身体が震えた。


怖い。


――怖い?


そこで主人公は、自分が“恐怖”を感じていることに気づく。


その感情だけは、妙に理解できた。


死にたくない。


その感情が、身体の全てを支配していた。


化け物がこちらを向く。


主人公は動かなかった。


動けなかった。


見つかったら終わる。


理解していた。


時間が異様に長く感じる。


だが。


化け物は主人公に気づかなかった。


やがて死体を咥え、暗闇の奥へ消えていく。


静寂。


主人公はしばらく動けなかった。


身体が震えている。


怖かった。


本当に。


だが同時に。


生き残った。


その事実に、安心している自分がいた。


「……生き、る」


初めて、はっきり言葉を発した。


掠れた。


歪んだ。


人間の声ではなかった。


それでも。


確かに、自分の意思だった。


生きたい。


その感情だけが、異様なほど鮮明だった。


暗闇の中。


白い幼生は、静かに蠢く。


まるで。


何かへ進化する途中の“胎児”のように。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ