第4節 この一瞬、言葉はいらない。戦場とは、そういう場所だ。
「はっ! はっ!」
疾走する。
荒い息が意識から消えていく。
夜の静寂が、戦場の鼓動に変わり、世界は敵と勝利だけになる。
バイザーを下ろしたヘルメットのせいで顔に風は当たらない。
だが、バイザーが風を切るヒュッという音が響く。
夜のアスファルトに軽やかな足音を立て、二歩前を美咲が走る。迷いがない。早い。
しなやかに駆ける脚の動きを見ただけで分かる。彼女の判断はすでに終わっている。
俺の後ろを彩葉が追走する気配を感じ取る。
「女を、殺るッ!」
槍を女に向けた美咲の短い指示。
違和感はない。言われずとも、大男の死角を脅かす女ゾンビから排除するつもりだった。
前のめりに駆ける。
走る。
走っているのに世界は遅くなっていく。
視界の中心に女ゾンビ、視界に見えるもの、見えないもの。
不思議にどこに何があるかが分かる。
駐車場の傾斜、停められた車の位置、明暗の境目。
裏道側から入る男ゾンビ。そして、コンビニ死角から飛び出し、大男の左手から駆け寄る女ゾンビ。
その女ゾンビの右斜め後方から迫る美咲と俺。背後を走る彩葉。
頭の中で状況が単純化される。
目標は大男を助けること。無傷で。
鉄パイプを構えて男ゾンビを迎え撃つ大男を視界の端で見る。
彼の死角に、一体の女ゾンビ。
女の体格は並み。ワンピース。ケガをしているのか右腕が不自然に垂れている。
だが、足は速い。重心が前に傾き、地面を蹴るたびに長い髪が真横に舞う。
女ゾンビがコンビニの前を横切り、店内の明かりの前を影として駆け抜ける。
大男まであと十メートルもない。
大男の正面のゾンビも間もなく接敵だ。
二対一。
──間に合わない。女ゾンビが早い!
美咲が走りながら一息で叫んだ。
「横からも来てるわ!」
大男の首が跳ねるように右を向く。
女ゾンビに気づいた!
前に向き直り、ゴウッと風を裂き、大男が鉄パイプを振り抜く。
ガジュッ、と汁気のある音が空気を震わせた。
正面のゾンビを一撃で殴り倒した男が、右を向くが、既に女ゾンビは至近距離にいた。
──もう鉄パイプは振れない!
ヤバイと思ったのも一瞬。
鉄パイプを振らずに、大男は迷いなく前蹴りを放った。
それは、蹴り、というより、破城槌の一撃に見えた。
ズドンッ!!
鈍い衝撃音とともに、女ゾンビの身体が跳ね返されるようにくの字に吹き飛んだ。
ゴロゴロとアスファルトを転がる女。
──すげぇ。
懸命に走りながらその一撃の威力に感心する。
戦闘力の桁が違う。技術ではない。体重、筋肉、力、そのものが圧倒的な武器だった。
だが、終わりじゃない。
蹴り飛ばしただけじゃ、倒せない。
女ゾンビが仰向けに倒れて止まる。
走るがまだ20メートルはある。
瞬時の計算、藻掻き始める女ゾンビ。立ち上がろうとしている!
「美咲ッ!頭を潰せ!」
全力疾走に移る。美咲の前に出る。
槍を手放す。カンカンカラと槍が転がる。
きっと、彩葉が拾ってくれる。
今は、立ち上がる前に、アイツを・・・。
足は勝手に動いた。
視界が藻掻いて起き上がる女だけになる。
両手で盾を構える。肺が熱く焼けて、喉がヒリつく。
この動作を何百回も訓練したわけじゃない。
それでも、体が勝手にやっていた。
そうするべきだから、そうするのだというように。
美咲の声が飛ぶ。
「女は任せて!」
大男の反応を見る余裕などない。視線の先、手をついて体を起こそうと地面を藻掻く女。
右腕が不自由なのだ!
体を起こすのに手間取っている!
よし! と盾を握る手に力を込め、肩で盾を支え体当たりに備えた。
ブオッ、ガツンッ!! と鉄パイプが空気を切り、骨が砕ける鈍い音が聞こえた。
大男は、男ゾンビにトドメを刺せたのか!?
視線を向ける余裕などない。
走りながら地面を蹴る。
左手をついてフラリと上体を起こした女に駆け寄った勢いのままにぶちかます。
ドガッ!!
盾を介して全身を貫く痛みと衝撃に思わず目を閉じる。
「ぐぅッ!!」
女を体当たりで押し倒す。盾で押し潰す。身体の上に乗って、女の左手を右手で地面に縫い付ける。
目の前には歯を剥き出しに噛みつこうと足掻く女の狂相。
抑えた。
胸を盾で、動く左手を右腕で!
不思議と怖くはなかった。
声は出なかった。視線での合図もできなかった。
それは、俺の胸の中で響いただけだった。
――美咲。
この一瞬、言葉はいらない。
戦場とは、そういう場所だ。
思いが通じたかのように、援護がはいる。
弧を描き、フライパンが落ちてくる。
グチャッ!!
その一撃は、狙い過つことなく、女の額を一発で叩き割った。




