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愛屍の臨界──それは「愛してる」が全ての理由になる世界  作者: 灯野ユヅル@GoodNovel契約作家
第6章 意志こそ武器。そして、武器は使い方
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第1節 助けてくれと縋る、殺す価値すらない無価値な存在。

僅かにカーブした、なだらかな下り坂の裏道を進んだ。


遠く響く苦悶の悲鳴。それは一つではない。あちらそちらから聞こえてくる。男の声も女の声も一瞬で消えるのではなく、響き続ける。誰かがゾンビに群がられ、全身を齧り取られているのだ。


俺たちは音源を避けて黙って歩いた。話すことも、話したいこともなく、息を詰めてただ先を急ぐ。



美咲が先頭。彩葉は斜め後ろで視線を左右に流し続け、俺は最後尾で2人の背中を追った。


警戒だけが命綱。次に出会えば命はないと思い、各自が目を光らせる。


脇道、民家の影、駐輪場の奥(同じ過ちを繰り返さないように)。少しでも形の違う暗がりがあれば、そこに視線を滑らせる。



生き残るための歩き方。


ゾンビとの遭遇戦を経て、理論が実戦に裏打ちされ、俺たちの動きを別人のように変えていった。



交差点に出る。小さな交差点だ。


裏道とはいえ太めの道路が、脇道と交差する場所。



美咲がぴたりと足を止めた。


こぶしを握るわずかな仕草。



俺と彩葉は反射的に動きを止める。手慣れた動き。



美咲の視線の先、交差点の角に、人影。



街灯の下には、縁石に座り込む若い男。スーツを着たサラリーマンの姿。


傍らには、砕けた頭部を縁石の上に乗せた女性が横たわっている。



瞬間、男がこちらに気づいた。



ハッと顔を上げ、目を見開く。



「──違うんだ!」



開口一番がそれだった。



「違うんだよ……! 俺、必死で……必死で……!」


「……殺したわけじゃない。襲ってきたんだ。この女が、急に……!」



傍らに倒れている女性を、指差す。



「……夢中で、気づいたら。あのままだったら、俺が……」



震える声。



「警察に通報しているんだ。……でも、誰も出ない。繋がらなくて……!」



男は握り締めていたスマホをかざしてくる。液晶が割れて、画面が白くひび割れている。それでも、免罪符を掲げるように俺たちに見せる。


距離が近い。10メートルもない。細い道だから、声はそのまま届く。


恐怖と焦りで擦れた声。助けを求めるというより、自分でも認めたくない罪を否定するための自己弁護。


それでも、彼が《真っ当ないい人》なのだろうということは痛いほど伝わる。



同行者をストックにする。先ほどの議論の結論を思い出す。



膝の部分が擦り切れ血がにじんでいるのは俺と同じだ。スーツの上着もよれている。体格は並みで理性的・・・。


あぁ、だが、その二の腕には生地が避け、血の染みたシャツが覗く。


歯型がくっきりと浮かんでいる。



──感染者だ



美咲は無言。


槍を握ったまま、男を観察している。



判断のための沈黙。



「美咲、腕」


「分かってる」



槍の構えが変わる。突くための予備動作。


──気配で伝わる。



「……やるんすか?」



長槍を抱えた彩葉が息を詰め、美咲に問う。



それに答える前に、囁き合う俺たちを見て、男がスマホを見せるように一歩、二歩と歩み寄ってきた。


嫌悪感が全身に満ちる。傍に来るなという激情。


それは美咲も同じだった。



「寄るなッ!」



押し殺した声に、足の裏が張り付いたように男が止まる。



「近づけば刺す」



美咲が槍をアピールするように振った。



「(殺すのは不味い。ゾンビになるぞ)」


「(わかってる。刺して叫ばれても困る。……追い払うだけよ)」



囁き声を交わす。頷き合えば、止まった男に槍を向けつつ、美咲が前に進みだす。


彩葉は男に視線も向けずに足早にその背中を追った。


俺も目を合わせぬように、男から少し距離を取り、回り込むように通り過ぎ、先を急ぐ。



だが、背後に足音が響く。


歩き、ペースを上げて、小走りで追いかけてくる音。



「……ちょっと! 待ってくれ……頼む……」



美咲の背中が止まった。


その一瞬の変化を、感じ取る。



振り返れば、縋るように手を伸ばし、近づく男がいた。



カッ──空気に金属音が滲む。



その音に視線を戻せば、槍と盾を構えた美咲。


その姿は、機械のように精緻で、迷いがなかった。



だめだ。



俺は反射的に盾を持つ手を掲げ、「止まれ」と合図する。


そして、美咲の進路を塞ぐように男の前に歩を進める。



美咲だって、殺せるからと言って、胸が痛まないわけじゃない。



だから、俺に任せろ。


足手まといは殺す。もう決まっている。



盾を構えて、男を睨む。


数メートルの距離。



俺たちの間の電柱に灯る街灯の光が白い境界線に見えた。



喉の奥が熱くなる。


胸の内側が焼ける。



それまで逸らしてきた男の目を真っすぐに見た。


視線を合わせ、その存在を受け止めた。



その痛みごと、声に変える。



「──殺すぞ」



低く響く、声。


我ながら・・・自分の声とは思えない。



「……あと一歩でも近づいてみろ……俺が、お前を殺してやる」



槍を強く握りしめ、男の首筋を指し示すように突き出す。


間合いは遠い。槍は届かない。だが、何処を突くかは伝わった。



穂先が息を吐く度に揺れている。


背後の美咲も彩葉も身じろぎ一つしない。



やがて、立ち尽くしていた男が、ふらつくように膝を折った。


路肩の縁石に腰を落とし、頭を抱え込むように蹲る。



彩葉が小さく息を呑む音が夜気に溶けた。


しゃくり上げるような嗚咽が耳に届いた。


振り返れば美咲が《行くぞ》と合図した。



俺は頷き、男に背を向ける。


男を置き去りに歩き出す。



ちらり見れば、夜の闇に、あの人影がゆっくりと沈んでいく。



助ける価値も、連れて行く意味もない。


殺す価値すらない。



ただ、視界から消えればそれでいい。


それだけの存在。



それでも。



「……助けてくれ……」



その声は、届く。



何の価値もないその言葉。


「殺すぞ」と言った瞬間、絶望に染まった男の瞳。



これが罪だと分かっている。



助けられるなら助けたかった。


そう感じることだけが、俺に許された唯一の贖罪だった。

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