法を守る人、法を破る人が交差するひと時を、俺たちは駆け抜けた。
美咲の後を追い、住宅街を歩く。
車も通らない。人もいない。
この状況で、夜に外へ出る方が異常だ。
・・・俺だって一人なら家の中に籠もっている。
それでも進まねばならない。
生き残るために。どうしても。
バシン、バシン──。
乾いた衝撃音が、夜気に響いた。
美咲が握りこぶしを上げる。
──止まれ
俺は即座に盾を構え、後方と左右を確認する。
音は建物の内側からだ。
窓を叩く音だった。
「……室内からね」
小声の美咲。
耳に棘のように響く。
「戻って迂回しましょ」
頷き、歩を引く。
それでも音は止まない。
バシン、バシン……。
時に速く、時に遅く、リズムを変えて。
見えない。
ただ音だけが、耳に粘りつく。
離れてもなお、心臓の裏で響いていた。
角を曲がった瞬間。
──パリン。
背後で、ガラスが砕け散る音がした。
何かが飛び出すイメージが浮かぶ。
また一体ゾンビが増えた。
見えないが、そういうことなのだろう。
*
角を覗いた美咲が、ぴたりと動きを止めた。
手を下げて合図。
「……二人組がこっちに来る」
小声が夜に沈む。
「やり過ごしたいけど、塀があって隠れられない。多分、人間よ。男二人。話してる」
心臓が痛い。
耳の奥で脈が鳴り、血が熱を帯びる。
美咲が立ち上がる。
その背に従って俺も身を伸ばす。
小さく囁かれた。
「気づかれても慌てないで」
「俺が前に出る」
盾を握り直し、美咲の前に立った。
角を曲がった二人組と、真正面で鉢合わせる。
向こうも息を呑み、立ち止まった。
「うおっ……!」
驚きの声を上げ、男が目を見開く。
その視線が盾、次いで槍を向く。
彼らはゆっくり振り返り、足早に歩き去っていった。
何度も振り返ってくる。
明らかに怯えられている。
それが、ありありと分かった。
美咲は一瞥するだけで、すぐ角を曲がった。
無言のまま進む背を追う。
──まだ、家から一キロも移動できていない。
静かな夜。
積み重なるのはただ消耗だけだった。
*
美咲が立ち止まった。
視線の先を指さす。
街灯に照らされた生活道路。
そこに、自転車が一台、横倒しになっていた。
だが、周囲に人影はない。
血の跡も、呻き声も、何もない。
「……」
美咲の目が細められる。
俺も息を殺し、その暗がりを睨んだ。
あの自転車の持ち主は、生きているのか、死んでいるのか。
それとももう、ゾンビになっているのか。
──分からない
ただ一つ確かなのは、ここで立ち止まるべきではないということだった。
美咲は小さく手を動かし、引き返すと言う。
俺も自転車から視線を逸らさずに、黙って彼女の背を追った。
*
慎重に進み、川越街道に繋がる脇道まで到着した。
途中、人と何度かすれ違った。
誰も声を掛けてこない。
暗がりに佇む異様な二人組を、目にした瞬間に避けるように足を速めて去っていく。
その方が助かる。
トラブルはない。
声を掛けられるよりもずっといい。
とはいえ、その度に心臓は跳ねた。
あれは人間か、ゾンビか。
暗闇では判別がつかない。
それでも今のところ、はっきりと人間だと分かる者たちだけだった。
家族連れ、段ボールを抱えた男、キャリーバッグを引く女、生活の断片を背負った姿。
まだ、この街には「生きている人間」が残っていた。




