邪馬台国がどこにあったのか?
諸説ありますが有力なのは近畿説と九州説でしょう。なんで真っ二つに割れているかと言えば、魏志倭人伝の存在です。文献で記録として残っているのはこれしかないので、それを論拠にしていく他ないというのは分からなくもないです。現在説が割れているのはこの魏志倭人伝に記載された、九州上陸から邪馬台国への道のり(方角や日数)、更には他の記載事項が九州でも近畿でも辻褄が合わないからです。
私は専門家でもないしそんなに歴史に詳しいわけでもありません。当たり前のことを当たり前に考える事しかできません。
それを邪馬台国と呼んでいいのかどうかは分かりませんが、稲作の広がりなどを見ても、最初に大きな国ができるのは九州だと考えるのが普通かなと感じます。その上でその国家の枠組みが近畿に移ったのかなと、その後の歴史から見れば自然にそう考えられます。所謂「東遷説」ですね。
魏志倭人伝は誰が書いたんでしょうか? 陳寿という歴史家らしいです。彼が実際に日本に来て、自分で見聞きしたことを書いたというのであれば、その内容はかなり信用できますが、完全にまた聞きです。長期にわたって複数人から聞いたのでしょう。話が食い違って当然です。日本書紀や古事記に書かれていることが全て事実だなんて思っている人はゼロだと思いますが、さして変わりないような気がします。
そうして「東遷説」が真実であったならば、二か所の情報が混ざっている可能性すらあるんじゃないでしょうか? 一言『都を移した』って書いておいてくれれば良かったんですけどね。あ、二都市体制って可能性もあります。アメリカみたいな感じですね。経済活動の拠点はニューヨークで、政治の中心はワシントンD.Cみたいな感じです。福岡でいえば博多と天神でしょうか。
九州は天神で、近畿が博多です。同時に存在していて段々と近畿の比重が大きくなていったなんてこともあるかもしれません。これを「東徐遷説」とでも名付けましょうか。外敵への防衛ラインとしては北部九州が当たり前に重要であり続けたわけですし、その観点からも近畿の方へ政治機能を移すというのは自然な流れです。もちろん邪馬台国の脅威であった「狗奴国(くぬこく/くなこく)」の存在(多分「熊襲」)もあったとは思います。
しかし改めてみると「熊襲」って字面が強烈です。中央に仇なすものとしての別称でしょうけども、熊は元々隈か球磨だったんでしょうね。
邪馬台国の場所の話に戻って、まぁ別にどっちでもいいような気もします。邪馬台国より昔の「奴国」は九州……というか福岡で確定で、伊都国なんて今もそのまま糸島ですからね。因みにずっと邪馬台国の読みは「やまたいこく」と習ってきましたが、江戸時代までは「やまとこく」って読んでたらしいです。まんまですね。
当たり前のことを当たり前に考えてみました。




