第二話 俺は男と結婚したくない
『王太子妃失格になる方法』
その見出しの下へ、俺は条件を書いた。
『家族と領民に迷惑をかけない。犯罪は論外。王家へ直接無礼を働かない』
それから、『レスト本人を傷つけない』
書き終えて、紙を見直す。
作戦より先に、禁止事項が揃った……。
目指すのは、人間としてはまともだが、王太子妃には困る女だな。
ここを間違えてはいけない。
嫁入りから逃げたいだけで、弟たちの将来まで台無しにするつもりはないのだ。
では、まず態度を悪くしてみよう。
使用人に命令する。礼を言わない。機嫌が悪いことを隠さない。
そうすれば、まず屋敷の中から評判が落ちる。
ちょうど扉が鳴った。
「お嬢様。こちらにお茶を置いてもよろしいでしょうか」
侍女が給仕台を押して入ってくる。
よし。
そこへ置いておきなさい。以上。お礼なし。これだ。
「ええ、お願いね。ありがとう」
口が勝手に答えた。
しかも、給仕台を置きやすいように椅子まで寄せている。
お礼が出るのが早い。せめて一回くらい、感じの悪い女になるって思い出せ。
……いや、だからって何もしてない侍女に当たるのは違うだろ。
俺が結婚したくないだけなのに、この子に嫌な思いをさせてどうする。
侍女は、書類も一枚届けてくれた。
来月の救貧物資について、俺の確認が必要なものだ。
「お返事は明日でよいそうです」
「分かったわ。こちらで預かります」
慈善活動を休めば、責任感が足りないと思われるかもしれない。
そう考えながら書類を見る。
配る寝具の数と、届ける施設の名前がある。
俺が放り出せば、別の誰かへ仕事が回る。
引き継ぎや確認が遅れれば、届ける人たちの予定まで狂う。
現場の手間を増やして、俺は自分の寝室問題を解決するのか。
……それは違うし、人に迷惑をかける。駄目だろ。
侍女が出ていったあと、俺は書類を確認し、いつもどおりに返事を書いた。
使用人を悪く扱う案と、慈善をやめる案に線を引く。
もっと、自分の評価だけを落とす方法が必要だ。
レスト本人を嫌いになれれば、話は早いのだが……。
俺は紙の隅に、『レスト』と書いた。
相手に不満があるのかも、一応確かめておこう。
顔。文句なし。
頭もいい。剣と魔法は強い。王太子の仕事にも真面目だ。
性格は。
今日、俺が変な顔をしていても、怒らなかった。
考えがまとまっていないと言えば、待ってくれた。
かなりいい。
欠点も考えてみる。
甘党を隠して格好をつける。辛いものも平気なふりをして、結局涙目になる。
「……そのくらいか」
それで婚約を破棄できるなら、貴族の婚礼は大半が成立しないと思う。
一緒にいて楽だし、話は合う。信頼もできる。
愚痴を言っても聞いてくれるし、くだらない話をしたら笑う。
面白いことがあれば、次に会った時に話そうと覚えておく。
別に用がなくても、会えば話は尽きない。
八年も付き合えば、そんなものだろう。
何を書いているのかと紙を見直すと、相手を褒める材料ばかり増えていた。
顔も性格も頭もいい。一緒にいて楽で、信用もできる。……じゃあ何が嫌なんだ?
名前の隣に『夫』と書いた。
その隣へ『妻』
こっちには俺の名前が入る。
途端に、嫌なところまで話が進んだ。
問題は下半身だ。いや、言い方。レストが男で、俺が妻で、挿れられる側になるのが無理なんだよ。
これで、はっきりした。他人へ説明できるかどうかは、別として。
レストと隣に座っているのはいい。
気の合う幼馴染と話すつもりで、八年、普通に付き合ってきたのだ。
今日だって、困り事を相談しかけた。
婚礼から逃げる方法を、婚礼の相手に。
避けて険悪になるのは嫌だ。
レストを悪者にするのも違う。
やはり、俺のほうが相応しくなくなるしかない……。
◇
今度は椅子に深くもたれ、姿勢を崩してみた。
礼儀作法が悪ければ、王宮では目立つ。
十八年、反射でやっているものを止めるのは面倒だが、試すくらいはできる。
しかし、腰が落ち着かない。
机に手を伸ばすにも、いちいち身体を起こすことになる。
これで食事をしたら食べづらそうだな、と考えているところへ、また扉が鳴った。
「姉上。お借りしていた本を返しに来ました」
「どうぞ」
返事をしながら、自然と背筋が伸びた。
夫と妻を書いた紙は、裏返した。
本を抱えて入ってきたのは、テオドール・レーヴェル。十五歳の弟で、レーヴェル公爵家の跡取りだ。家ではテオと呼んでいる。
学院から戻ったばかりなのか、外出用の上着のままだ。
テオは本を開き、栞の挟まった頁をこちらへ向けた。
「ありがとうございました。ただ、後半の例で、計算が合わなくなってしまって」
「どちらかしら」
テオが示した頁を見た瞬間、理由が分かった。
前の例と、計算に使う期間が違う。
ここで、もう一度ご自分で考えて、と返せば、冷たい姉にはなれる。
少なくとも、愛想よく教えるよりは。
「前の例と、同じ期間で計算していない?」
「はい。同じように考えました」
「こちらは、この二行が前提になるの。期間を揃えてみてください」
テオが頁を行き来して、頷いた。
俺はその隣の箇所まで示していた。
教えるほうも、面白いのである。困ったことに。
「そこから先は、明後日の午後に一緒に確認しましょうか」
「お願いします」
また予定が増えた。
教養も親切さも、減るどころか明後日まで予約済みだ。
テオが机の紙に目を向ける。
「何をなさっていたのですか?」
「今後の予定を、整理していたの」
「婚礼の準備でしょうか」
「それに関することも、いろいろと」
「お疲れでしたら、本は急ぎません。先ほど、お帰りになる殿下からも、姉上のご様子を尋ねられました」
「……殿下が?」
「はい」
「大丈夫よ。体調は悪くないから、心配しないで。ありがとう」
笑ってテオを送り出す。
扉が閉まってから、俺は自分の姿勢を見た。
背筋は伸びている。足もきちんと揃っている。
悪い態度になる予定だった椅子で、優秀な姉をやりきってしまった。
作戦の紙を戻す。
レストの欠点探しへ戻るのも、やめよう。
帰り際まで俺を気にかけていた相手を、さらに褒めることになる。
誰かに何かをしようとするから、その人への迷惑を考えなければならなくなるのだ。
もっと、自分だけでできること。
服。趣味。買い物。買い物?
「……金遣い」
これなら、いいのではないか。
自分に割り当てられた金を使う。
領地の予算にも、慈善の費用にも手をつけない。
店は儲かる。俺は必要のない物を買い込む。
使用人を怒鳴らず、テオにも本を教えたまま、金遣いの荒い女にはなれる。
未来の王太子妃が、欲しい物へ際限なく金を使うなら、王家にも考えるところはあるだろう。
俺は支出の帳面を開いた。
家に迷惑をかけずに使える額を確かめ、上限を決める。
もちろん、作りの悪い物は嫌だ。
高い物を買うなら、それだけの仕事はしてあってほしい。
それでも、良い物を必要以上に買えば、俺にとっては無駄遣いだ。
出す金はある。
買う必要だけがない。
「これだ」
作戦の紙へ、ようやく一行を足した。
『第一作戦。浪費家になる』
侍女を呼び、明日の外出を頼む。
「街へお買い物にいらっしゃるのですね」
「ええ。馬車と護衛の予定を確認してくださる? 家の用事に差し支えない時間でお願いね」
「かしこまりました」
「急に頼んでごめんなさい。ありがとう」
侍女が下がるのを見送って、俺は帳面を閉じた。
礼儀も崩れない。お礼まできちんと言った。
そのままでいい。
明日は、公爵令嬢らしく派手に無駄遣いしてやる。




