第10話 三人で、お茶にしましょう
半年後、私たちは、別邸の庭にいた。
初日の約束を確かめる日。
私は、紙の束を持ってきた。
暮らしの取り決めと、名前を書いていない離縁届。
セドリックは、隣に座った。
お義母様は、茶碗を三つ並べる。
「私がいて、よいの?」
彼女は、最初に訊いた。
私は、うなずいた。
「二人の気持ちは、先に話しました。今日は、家族としての暮らし方も話したいです」
夫も、うなずいた。
お義母様は、私が紙を広げるまで待った。
「離縁は、しません」
私が言った。
この半年を、思い返していた。
紙を見る夫の、少し硬い肩。
それを見て、茶を淹れる手を遅くするお義母様。
心配は、声にしなければ全部は分からない。
でも、見ようとすることは、できる。
「この家で、暮らし続けたいです」
セドリックが、私の手を取った。
「ありがとう。俺も、そう望んでいる」
お義母様が、そっと茶碗を置いた。
笑っていた。
今の私には、うれしいと分かる顔だった。
私は、次の紙を出した。
決めたことを、忘れないための控え。
私は、家の仕事を続ける。
靴の工房へ、相談と展示の手伝いにも通う。
お義母様は、別邸で暮らし、好きな絵を描く。
会いたい日は、先に予定を訊く。
教えてほしいことも、休みたいことも、言っていい。
「一度に決めて、終わりにはしません」
私は言った。
「できなくなったことや、変えたいことが出たら、また話します」
お義母様は、うなずいた。
「私は、気づくと指図が増えるわ。あの時のように、言ってほしい」
夫が、少し笑った。
「俺は、何も言わずに済ませようとする。黙った時は、まだ言葉を探していることもある」
私は、二人を見た。
自分の下手なところを、話す。
最初のお茶会では、誰もしなかったことだ。
「私は、喜んでほしくて、先に頑張りすぎます。何でもできると思わないでください」
お義母様が、声を出して笑った。
「思いかけていたわ」
夫も、笑った。
私は、少しだけ口を尖らせた。
「二人とも」
「今、言ってくれて助かった」
セドリックが、私の手を握り直した。
離縁届は、封筒へ戻した。
破ることで、ここにいる約束にはしない。
今日、残ると決めた。
その決定を、二人が受け取ってくれた。
*
お義母様の靴の絵は、少しずつ増えた。
エヴァさんは、工房に小さな展示棚を作った。
描いた人と、作った人の名前を、そのまま並べている。
私は、週に一度ほど手伝いに行く。
注文する人の希望を聞き、職人へ伝える。
前世の知識が全部通じるわけではない。
今の道具と材料のことは、エヴァさんから教わる。
ある日、若い女性が、靴を持ってきた。
きれいだけれど、長く履けないという。
「少し痛いくらい、我慢した方がいいのでしょうか」
私は、靴を見る前に、彼女の顔を見た。
「どこで、どんなふうに履きたいですか」
彼女は、少し驚いた。
それから、話し始めた。
大切な人と、庭を歩きたい。
途中で足を休めるのが、恥ずかしい。
私は、エヴァさんを呼んだ。
好きな見た目も、歩きたい場所も、両方聞いてもらう。
後ろで、お義母様が、新しい絵を描いていた。
昔の自分なら、何と言っただろうと、一度だけ話した。
「我慢しなさいと、言ったかもしれないわ」
「今は?」
「座れる場所も、庭に増やしたいわね」
私は、うなずいた。
靴だけで、全部を変えようとしなくてもいい。
*
その日の夕方、セドリックが、工房へ迎えに来た。
小さな白い花を、一輪。
お義母様には、青い花を一輪。
「私まで、もらってよいの?」
お義母様が訊く。
彼は、少し困った顔をした。
「母上も、今日、ここにいると聞いたので」
私は、花を受け取った。
夫が私にだけ会いたい時間も、母に会いたい時間も、あっていい。
どちらかを勝たせる必要はない。
お義母様は、工房の奥の時計を見た。
「お茶にするなら、別邸が近いわ」
夫が、私を見る。
「疲れていないか」
「少し。でも、三人でお茶を飲みたいです」
お義母様は、先に外へ出た。
歩幅は、私たちと同じくらい。
途中で、窓に映る靴を見て笑った。
夫が、私の手を取る。
私は、指を重ねた。
半年で離縁するはずの妻。
最後まで愛されないはずの人。
鬼姑と呼ばれる、邪魔な母親。
小説の中には、そういう役があった。
でも、目の前の人には、役だけでは収まらない好きなものがある。
私にも、ある。
それを聞き合って、ここまで来た。
「今日のお菓子は、何にしましょう」
私が訊くと、お義母様が、振り返った。
「胡桃。あなたが食べたいものも、別に選んでね」
夫が、笑った。
私は、うなずいた。
次の頁は、三人で、お茶を飲んでから考えることにした。
完




