↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
1/10

第1話 夫より先に、鬼姑を攻略します

「この結婚は、家同士の約束だ。俺に、夫らしい優しさを期待しないでくれ」


 結婚した日の夜、冷酷公爵はそう言った。

 私はうなずいた。


「では、お義母様には期待してもよろしいでしょうか」


 夫が、黙った。

 灰色の目が、初めてちゃんと私へ向く。


「……母に?」

「はい。明日の朝、お茶に誘いたいのですが」

「それは、やめた方がいい」


 私は、笑顔のまま訊いた。


「お好きなお菓子は、ご存じですか」


     *


 私の名前は、ニナ・エルストン。

 二十二歳。

 今日、セドリック・ローゼン公爵、二十九歳と結婚した。

 私の実家は地方の小さな伯爵家で、この結婚には、公爵家と土地の取引をまとめる役目がある。

 本人同士が、何度も会って決めた婚姻ではなかった。


 私は、その取引についての説明を聞いた頃、前世を思い出した。

 白い手袋と、きつい靴。

 婚礼衣装を試着した時の、その組合せがきっかけだった。


 前世の私は、百貨店の靴売り場で働いていた。

 三十一歳で亡くなり、この世界に生まれ直した。

 そして、この名前と公爵家に、覚えがあった。


 読んだ小説の、序盤の政略妻。

 夫に愛されず、鬼姑に叱られ続け、半年で離縁する女性。

 その後、夫には、別の恋が訪れる。

 私が覚えているのは、そこまでだ。

 新しい恋の主人公にとって、最初の妻と姑は、邪魔な人たちだった。


 でも、私は、邪魔な人として半年を過ごしたくなかった。

 夫の恋を取り上げたいわけでもない。

 まず、この家で、息ができる場所が欲しかった。


 お義母様、アデラ・ローゼン。

 五十三歳。

 社交界では、泣く子も黙る鬼姑だという。

 式の間、私の背中を一度叩いて、もっと顔を上げなさいと言った人。


 その人が、控室で、一瞬だけ片足を浮かせたのを、私は見た。

 古い靴を履いていた。

 立派な飾りに比べて、足に合っていないように見えた。


 怖い人と、足が痛い人は、見た目だけでは区別しにくい。

 売り場で、私はそれを何度も見てきた。


「母に近づけば、俺が喜ぶと考えたのか」


 夫の言葉で、部屋へ戻った。


「いいえ。私が、お話ししてみたいのです」

「厳しい人だ」

「今日、背中を叩かれました」


 彼の顔が、わずかに変わる。


「すまない」

「でも、お顔を上げれば、刺繍がきれいに見えると。私の服を、ちゃんと見ていらしたんです」


 夫は黙った。

 私は、昼間の控室を思い返した。

 お義母様は、私の襟の裏まで整えてくれた。

 小説には、そんなことは書いていなかった。


「半年は、互いを知る時間にしたい」


 セドリック様が、机の上に紙を置いた。

 暮らしの取り決め。

 私の持参金は私が管理する。

 手紙と外出を、夫の許可にかからせない。

 寝室は別。

 半年後、望むなら離縁の手続きへ進める。


「俺との暮らしが無理なら、離れていい。君の実家との取引を、理由に止めることはしない」


 その約束に、私は安心した。

 でも、少し傷ついた。

 離れていいと、出会ってすぐ言われるのは、歓迎とは違う。


「分かりました。私も、まず、お互いを知ります」


 自分の名前で、署名する。

 半年で離縁する未来が、机の上にあった。


 夫が立った。

 扉の前で、一度だけ振り返る。


「母が好きなのは、胡桃の菓子だ」


 私は、顔を上げた。


「ありがとうございます」


 彼は、うなずいた。

 最初の夫婦の共同作業は、姑のお菓子を選ぶことになった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。