43 名前
「グレイシオン様の中には、何がいるんです…か…?」
真剣に問いかけた声は震えていた。
レシアーノの問いかけにグレイシオンの瞳が一瞬揺れて、それから紫色の瞳が深くなる。
表情も優しい表情から無表情へと変わった。
一瞬の間にグレイシオンの纏う空気までもが一変する。
「…グレイシオン…さ…ま?」
「シオンと呼べ。そなたにはそう呼ばれたいゆえ」
「…………え?」
「どうした?」
(グレイシオン様はどこにいってしまったの…!?)
前触れもなく本物のグレイシオンの姿が消えて、建前?のグレイシオンが顔を出し驚きが隠せない。
そのせいで、側から見たら意味不明な会話を二人は繰り広げていた。
「あ、あの……。グレイシオン様はどこに…?」
「それは余ではないのか?」
「どうして…。どうして疑問系なのですか…?」
「余は…」
グレイシオンはじっとレシアーノの顔を見た。
それから静かに視線を逸らしてぼそりと口にする。
「余に名はない」
「…………………………………………へ?」
(わたしはいま、聞いてはいけない言葉を聞いた…!?)
衝撃的な告白に、レシアーノの喉から変な声が出る。
飛び出るくらいに見開いた目でグレイシオンを見た。
グレイシオンは目を逸らしたまま横を向いていて、表情がよく見えない。
だけど聞こえてしまったからには、聞き返さずにはいられなかった。
「名前は…ない……?」
「余はグレイシオンではない。皆は余を『魔王』と言うが、それも名ではない」
(ま……魔王!?…いま、魔王って言った!?嘘!?)
「えっ…、ま、魔王って、あの魔王ですか!?」
レシアーノは夜遅い時間であることも忘れて叫んでいた。
その声に、グレイシオンが慌ててレシアーノの口に手を添え塞いだ。
「いまは夜だ。叫ぶでない」
「あっ…、ご、ごめんないっ……」
(いやっ…、わたし謝っている場合か!?)
なぜこの人はわたしに魔王だと答えてくれたのだろう?
魔王ってもっと怖いものじゃないの!?
確かに見た目は怖いけど…って見た目はグレイシオン様…よね?そうだよね…?
もしかして、見た目も魔王になっているの…?
この人がグレイシオン様を殺そうとしているの…?
本当に……?
こんなにも……優しいのに……?
あれ、どうしてだろう。いつからだろう。
この人を怖いと思わなくなったのは、いつからだったのだろう…?
優しく塞がれた口元の手に、レシアーノはそっと触れる。
グレイシオンはちらりとこちらを見て静かに手を下げた。
「余に名をくれたのは、そなただ。だから、『紫苑』と呼んでほしい。それが余の名だ」
シオンはそう言って、口元を緩めた。
笑ってはいないけれど、穏やかな表情をしていた。
「皆、余に気づいておらぬゆえ、余をグレイシオンと呼ぶ。だが、それはこの体の名で、余ではなかった。そなただけが、余を呼んでくれている」
表情は変わらない。だけど。
そう話すシオンは、すごく、すごく嬉しそうだった。
やっぱり、この人がグレイシオン様を殺そうと思っているようには見えない。
ならば、何が原因なのだろう…?
そういえば、グレイシオンの魔力が暴走した日。
首を締めて死のうとしていた彼は、突然その手を止めた。
その時は確かに『余』と言っていた。
もしかして、あの時、グレイシオンを助けてくれたのは貴方だったの…?
きっとそうだ。間違いない。
わたしは嫌だ。
グレイシオン様が死ぬのも。
シオンが死ぬのも。
どうしたらいい……?
どうしたら、二人を助けてあげられるの……?
考えても答えは出ない。
問いかけても答えは返ってこない。
いや……まって。もしかして。
ーーーーーわたしの力を使ったら、二人は救える?
こんなことを魔王だと名乗る人に話していいはずがない。
だけどわたしはシオンを信じたい。
シオンの濃い紫色の瞳を見て、問いかける。
「シオン様、一つ聞いてもいいですか」
「なんだ」
シオンもレシアーノの真っ直ぐな瞳を見つめた。
「もしシオン様に『浄化』をしたのなら、グレイシオン様とシオン様はそれぞれの身で生きられますか…?」
レシアーノは言い切ってからごくっと唾を飲む。
緊張で喉が乾く中で、シオンの返答を静かに待った。
交わった視線がじりじりと強くなる。
そして数分後、表情一つ変えずにシオンは言った。
「なぜそれをそなたが言うのだ?だが、答えよう。浄化が成功したら余は消えて、グレイシオンはもとに戻るであろう。余は数年前に体が消えて帰る場所などないゆえ」
『余を浄化する力がある者が現れるとは思えぬが』と付け足して、窓を見上げた。
(シオンには体がない…?)
ということは魂だけがグレイシオン様の中に…?
ガラルク様が言っていたことは、あながち嘘ではなかったということだろうか。
なぜ、二人はそんなことになったのだろう。
わたしは二人を助けられないの…?
「シオン様が消えない方法はないのですか…?」
「そなたは珍しいな。余を消そうとする奴らばかり見てきたゆえ、そんなことを言われる日がこようとは。なぜ、そのようなことを問うのだ」
「貴方にも生きてほしいからです」
レシアーノの真っ直ぐな言葉に、シオンは頷いた。
「余は消えてもよい、そう思っておった。だが、最近は消えたくないと馬鹿げたことを思うようになった。なぜだか、わかるか?」
「…………わかりません」
「そなたが、いるからだ」
「わたしがいるから…?」
「そうだ」
『どうして?』と問う前に、シオンの目がまた交わる。
「魔王ごときの余が、そなたと一緒にいたいと願うてしまっておる。だが、それは余だけの問題だ。そなたの気は知らぬが、グレイシオンはそなたをずっと愛しているゆえ、余はいずれ消えたほうがいいのだろうな」
レシアーノにはシオンのこの言葉が『消えることを覚悟している』ように聞こえてならなかった。
「そ…れは…」
「余を浄化するというのならば、その時はそなたもそばにいてくれるだろうか」
シオンが寂しそうな顔をして、手を差し伸べてきた。
レシアーノの勘が確信に変わる。
その手を取ったら、わたしがシオンを浄化するのだろうか。
それは……したくない。
できない。………できないよっ。
「魔王が消えゆく様など見とうない…か…。すまぬな」
シオンは否定と判断して、寂しそうに手を下ろした。
「違うんですっ…。わたしはシオン様のそばにいるのが嫌なわけではないです…。そうじゃなくて、シオン様が消えてしまうのを受け入れたくないんですっ…」
必死に言葉にすると、さっきまで一度も笑わなかったシオンがふっと笑みを溢した。
「そなたもグレイシオンに似ているな。だから奴も、そなたを好いたのだろうな」
「グレイシオン様…と似ている…?」
「そうだ」
「えっ…と…、どこがでしょうか?」
「数年前、余が暴走して死にゆく直前に、くだらないことを口走ってな。そしたら、奴が『僕が一緒にいる』とそう言って、殺せたはずの余を殺さなくてな。だから、余はこの体で生きているゆえ」
「……その、くだらないこと…とはなんですか?」
「死ぬ時くらいは誰かと共にありたいと願うてしもうたのだ。魔王ゆえ、誰にも愛されない一生には耐えられた。だが、ふと死に際に口から出てしまっていた」
もしかして、グレイシオン様が『僕ごと殺して』と言ったのは、この言葉を聞いたからなのだろうか。
グレイシオン様も、シオン様も、どこまでも不器用で。
そして、どこまでも優しい人なのだろう。
この優しい人たちにわたしが出来ることは一つしかない。
「シオン様、もし消えるのがわたしと一緒ならば、それならばシオン様は悲しくないですか?」
「?…ああ、そなたと一緒ならばこの上ない幸福だろうな」
「そう…ですか……。わかりました」
レシアーノは震える唇をぐっと噛み締めた。
「わたしに任せてください!」
わたしの二つ目の力、命を削るその力は『浄化』だ。
魔王ほどの強力なものを浄化するとなれば、わたしは確実に命を落とすだろう。
それでも構わない。
グレイシオン様の命が助かって、シオンと一緒に消えると言うのならば。
わたしは、覚悟を決めよう。




