第十四話
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「レシアーノ嬢に挨拶をしに来たのだが、入ってもいいかい?」
(わたしに挨拶…?)
ソファーから立ち上がり、足音を立てずに部屋の扉の前へと近寄った。
見知らぬ声に扉を開けようか判断に迷っていると、通路から聞き覚えのある声がした。
そっと耳を澄ませて扉の外の会話を盗み聞きする。
「ガラルク宰相?なぜ、こちらにいらっしゃるのですか?」
「レシアーノ嬢に挨拶をしておきたくてね。ここにいるかと思ったのだが、返事が返ってこなくてね」
「そうでしたか、レシアーノでしたら食事の時間だと思いますが…、部屋をみてきます」
「ああ、頼んだよ」
(部屋に入ってくる!?)
レシアーノは慌てて扉の前から離れると、急足でソファーまで戻り、座り直す。
コンコンッと部屋の扉にノックの音が響く。
「レシアーノ、リブラミアだ。入るよ」
返事を待たずにリブラミアは入室し、レシアーノの姿を見つけると、ソファーまで近寄って来た。
「レシアーノに挨拶をしたいと言っている人がいるんだ、会わせてもいいかい?」
「は、はい!」
扉の前にいる人は声からして男性のはずなのに、リブラミアは珍しくレシアーノとの接触に抵抗を感じていなかった。機嫌が悪くなる素振りもなく、余程相手を信頼している様子だ。
それに、リブラミアが敬語を使う相手となると、この国では相当偉い人なのだろうと察しがついた。
身構えながら返事をすると、リブラミアに手を引かれて扉の前まで連れて行かれる。
リブラミアが内側から扉を開けると、数歩先に一人の男性が立っていた。
整えられた髪型、正装に身を包み、上品に髭を生やしていた。長身で姿勢も良く、大人な雰囲気から色気が滲み出ていた。この人がバーテンダーをしてるバーがあったのなら、きっと毎日通ってしまうだろう。そんな人だった。
男性は目元に皺を作り優しく微笑むと、挨拶を口にする。
「はじめまして、レシアーノ嬢。私はガラルクだ。この国の宰相を務めているから、ここにいる間は会うことも多いだろう。よろしく頼むよ」
「はじめまして!レシアーノです。暫くこちらの王宮でお世話になっております。こちらこそ、よろしくお願いします!」
「レシアーノ、『暫く』じゃなくて、ずっとここに居ていいんだよ?」
「えっ!あ、いや…、今のは言葉の綾というか…」
「はははっ…、二人は仲がいいんだな。リブラミアはレシアーノ嬢の仮婚約者になったんだってな」
「はい、そうです。これから婚約者になって、ゆくゆくは結婚するつもりですが」
「え…、リブラミア様!話が進みすぎです!」
「レシアーノ嬢の仮婚約者…ねぇ……」
ガラルクの優しい表情が、怪しい笑みに変わる。その表情を見たリブラミアの顔が青白く変わり、慌ててガラルクから一歩後ろに下がった。
「ガラルク宰相っ!?私はそう言う趣味はないですからね!レシアーノ一筋ですから!」
「ほう……、そう言う趣味?何を期待しているのかね?」
「ガラルク宰相の噂は、この王宮で誰もが知っておりますからっ」
「噂ねぇ…。まぁ、今日はいいか。………ところで、レシアーノ嬢、君は愛称で呼ばれたことはあるかい?」
「え?愛称ですか?」
「は?レシアーノを愛称で呼ぶおつもりですか!?」
今までの会話と脈略のない質問に、二人は慌て出す。レシアーノは単純になぜ?と疑問を抱き、リブラミアはガラルクがレシアーノに興味を示したことに焦りの声を上げた。
この国でレシアーノを愛称で呼ぶのはロランドールしかいない。ロランドールは『レシィちゃん』と呼んでいたけれど、ここは『レシィ』と答えることにした。それは、人間の国でも友人には『レシィ』と呼ばれていたからだ。
「愛称でしたら『レシィ』と呼ばれることはあります」
「レシィか……。そうかい」
「ガラルク宰相!いくら貴方でも私の婚約者を愛称で呼ばないで下さい!」
「別に愛称で呼びたかった訳ではない、安心してくれ。まぁ、甥の仮婚約者だから愛称で呼んでも良い間柄だろ?」
「な!?」
「えっ……?いま、甥って」
「ああ、言ってなかったね。私はライラの、女王の弟だよ。歳が離れた姉弟だけどね。おかげでまだ私は若々しいだろ?」
ガラルクはそう言ってお茶目にウィンクをした。
(女王様の弟!?この王宮に女性は女王様しかいないって聞いていたけど、ガラルク様はまだ結婚していないのだろうか…?)
偉い人を前にしているのだと改めて意識し出すと、途端に体がガチガチに固まる。
何を話すにも気を遣ってしまい黙り込むと、それを察したガラルクはまた言葉を口にした。
「レシアーノ嬢、そんなに緊張しないでおくれ。今日は挨拶に来ただけだから、そろそろ私は戻るよ」
『また会おう』とそう言って和かに笑うと、ガラルクは去っていた。
ガラルクの姿が見えなくなった後、隣に立つリブラミアを見ると、顔面を青白くさせて何やら考え込んでいる。
「リブラミア様…?」
「まさかガラルク宰相がレシアーノに興味を…?いや、そんなはずは……」
「リブラミア様!」
「はっ…!…すまない。取り敢えず、部屋に入ろうか。夕食が途中なのだろう?」
「はい、そうです!リブラミア様も一緒に、食事にしましょう」
「ああ、私も貴方と食べたい」
まだ青白さが残る顔のリブラミアに手を取られ、部屋の中へと入った。
食べかけの料理が置かれたテーブルを前にして、ソファーに二人とも腰を下ろす。
「料理が冷めてしまいましたので、リブラミア様の分は新しいものを用意してもらいますか?」
「いや、私は構わない。レシアーノは温かい料理がいいかい?」
「わたしは大丈夫です!このまま、いただきます!」
ナイフとフォークを手に取り、ぱくぱくと食べ進めていると、真横からニコニコと微笑んでいる視線を感じ手を止める。
「あの…、リブラミア様は食べないのですか?」
「貴方に食べさせてもらうのを、待っているんだよ」
「はい?」
「レシアーノ、私そのパンが食べたい。食べさせて」
「え………………」
「どうしたの?私の席からは届かないから」
「あっ!そう言う意味でしたか!」
リブラミアの座る席からはやや遠い位置に置かれたパンが乗った皿を手に取ると、そのまま彼の前に差し出した。
「どうぞ!」
「全部は食べられないから、レシアーノが一つ選んでよ」
一口サイズのパンが5個乗った皿を見て、リブラミアがにっこりと笑う。
どのパンも同じに見えるのだけど?と思いつつも、一番手前のパンを手で摘み上げた。
すると、その手にリブラミアの顔が近づきぱくっ…とパンを食べられる。わざとらしく、パンを摘んでいた手にリブラミアの唇が触れた。
「ひゃっ……!」
「レシアーノ、もう一つ頂戴」
「じじじぶんで、食べてください!!」
「嫌だ。……もう一つ頂戴?」
「う………」
鋭い視線に見つめられて逃げ場を失い、ぎこちない手つきでまたパンを一つ摘み上げた。
それにまたリブラミアの顔が近づきぱくっ…と食べられる。今度はその手を掴まれ、パンを摘んだ指先を一つ一つ舌で舐め取られた。指先を舐め続ける舌は止まらず、やがていやらしい水の音を立てはじめた。
恥ずかしさの余り勢いよく手を引っ込めて、叫ぶ。
「ななななにしてるんですか!?」
「…………レシアーノ」
「えっ…?」
勢いに任せて叫んだ声に対して返ってきた声は、予想外に暗く真剣な声色だった。
間抜けな声が口から漏れた後、リブラミアの表情を窺うように、視線が自然とリブラミアの顔に向く。
ばちりと、真剣な紫色の眼差しと視線が交わる。
「レシアーノは愛称で呼ばれるような、親しい男の人間がいたのですか?」
「『レシィ』と呼んでいた人ですか?それは女性の友人から呼ばれていただけで、男性ではありません」
「そうでしたか…、よかった」
「それを気にされていたのですか?」
「すまない…。貴方が人間の国でどう過ごしていたかは知らないから…」
「あ、いえ。謝らないでください」
「ああ……それと、ガラルク宰相にも気をつけてくれ。あの人はレシアーノには興味はないかと思っていたのだが、さっきの態度はそうでもなさそうだった」
「リブラミア様、一つお聞きしたいのですが」
「どうしたの?」
「その、さっきガラルク様とお話をされていた時に『ガラルク宰相の噂』と言ってましたが、それはどんな噂ですか?」
「それは………」
リブラミアの顔がまた青白くなり、苦い顔をした。
彼は視線を彷徨わせて躊躇う仕草を見せたが、小さな息を吐き意を決してレシアーノに口を開く。
「あくまで噂だが」
「はい」
「ガラルク宰相が未婚の理由は男好きだからだと言われている。最近の噂は、婚約した男を片っ端から寝取るとまで噂が大きくなっているんだ」
「…………………」
「だから、まさかレシアーノに興味がある素振りを見せられると思わなくて、私は少し警戒している」
「…………………」
「レシアーノ?大丈夫?」
「…………………」
耳を疑う発言がレシアーノの耳に届き、言葉を失っていた。




