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スランプ

昼休み。


泉町精工野球部グラウンド。


秋季中日本新聞杯。


まさかの初戦敗退。


ベンチには重苦しい空気が流れていた。


かつての泉町精工は、機動力で相手をかき回し、一点をもぎ取り、その一点を守り抜く野球だった。


しかし今、その勢いは消えていた。


ダブルエースの一角だった芝は肩を痛め、サイドスローへ転向。


豪速球で三振を奪う投手から、打たせて取る技巧派へ変わっていた。


エースは瀬戸誠一人。


芝はリリーフ専門となっていた。


投手陣は何とか踏ん張っている。


だが打線には、深刻なスランプに苦しむ男がいた。


佐久間淳。


かつて「韋駄天ヤンキー」と呼ばれ、社会人野球全国大会MVPまで上り詰めた男。


打率一割台。


誰よりも練習している。


それでも打てない。


黙々と素振りを繰り返していた。


その原因は明らかだった。


オミックスブルーフィーバーの若きスーパースター。


“ヨシロー”こと鈴木芳郎。


シーズン二百二十安打の日本新記録。


独特の振り子打法で、日本中を熱狂させていた。


佐久間もその打法を真似するようになった。


しかし、その日から成績は急降下していた。



その時だった。


ブォォォォーーッ。


一台の大型トラックがグラウンド脇へ入ってきた。


車体には大きく、


土佐山田運輸


運転席のドアが勢いよく開く。


荷台から、カツオ節の入った段ボールを一箱、軽々と肩へ担いだ小柄ながら塊感のある肉体の男。


「加地ーーーっ!!」


腹の底から響くような大声だった。


グラウンド中の視線が集まる。


佐久間が振り向く。


「……えっ。」


芝が叫んだ。


「瀬長さん!」


石川満までベンチを飛び出す。


「瀬長五郎……。」


瀬長は豪快に笑った。


「ガハハハ!」


「豊橋までカツオ節運んできたきのう!」


「帰り道やけん、寄っちゃったわ!」


肩の荷物をドスンと置く。


「おまんに負けたんが悔しゅうてなぁ。」


「毎年、全国大会へ出ゆう。」


「また勝負できる思うちょった。」


佐久間は苦笑いした。


瀬長は腕を組む。


「ほいたら、おまんとこ。」


「ちぃとも全国へ出てこんやいか。」


「しゃあないき、こっちから来た。」


周囲から笑いが漏れる。


瀬長は佐久間の構えを見るなり眉をひそめた。


「……何じゃ、その足。」


「誰の真似しゆう。」


「オミックスブルーフィーバーのヨシローです。」


「振り子足打法。」


瀬長は首をかしげた。


「ヨシロー?」


「誰じゃ、それ。」


部員たちが吹き出す。


瀬長は真顔になった。


「おまん。」


「全国でMVP取ったんは。」


「ヨシローやったきか。」


「……違います。」


「ほいたら。」


「何で自分を捨てる。」


静まり返るグラウンド。


「転がして。」


「走って。」


「相手が慌てる。」


「それがおまんじゃ。」


「他人になろうとするな。」


佐久間は何も言えなかった。


瀬長は隣のマウンドへ目を向けた。


「芝ぁ。」


「おまんも投げ方変えたんか。」


「肩を壊しまして。」


「今はサイドです。」


「ほいたら。」


「一回勝負せんかい。」


芝はマウンドへ。


瀬長は作業着のまま打席へ立つ。


サイドから右打者の懐へ食い込むストレート。


シュッ――。


カキィィィン!!


打球はライナーで左中間フェンスを直撃した。


誰もが息を呑む。


瀬長は首を振った。


「こんな球やあかん。」


「全国じゃ通用せん。」


「どないしたんや。」


芝は苦笑した。


「肩が……もう。」


瀬長は近づいた。


「肩、見せんしゃい。」


返事も待たず肩をつかむ。


「力抜け。」


ゴキッ。


ゴリッ。


グイッ。


「痛っ!」


荒っぽく肩甲骨を動かす。


「ほれ。」


「投げてみぃ。」


芝が一球投げる。


シュッ。


「あれ……。」


もう一球。


「肩が……。」


「さっきより軽い気がします。」


瀬長は肩を回しながら笑った。


「ガハハハ!」


「こんなん俺もしょっちゅうよ。」


「自分で直して投げゆう。」


「要はメンテナンスよ。」


「肩も消耗品や。」


「ちゃんと手入れすりゃ、まだ働いてくれる。」


芝は何度も腕を振った。


瀬長は部員たち全員を見渡す。


「おまんら。」


「弱なったんやない。」


「自分を忘れただけや。」


「芝は芝。」


「加地は加地。」


「それで十分強い。」


そう言うと運転席へ乗り込んだ。


「ほいたらな!」


「次は全国で待っちゅうき!」


大型トラックがゆっくり切り返す。


部員たちは見送っていた。


反転した荷台の後ろ。


そこには、大きな白文字が書かれていた。


『男 背流し五郎』


一瞬、静寂。


そして――


「……ぷっ。」


芝が吹き出した。


佐久間も笑う。


石川も腹を抱えた。


グラウンド中が笑いに包まれる。


その笑い声を背に、土佐山田運輸の大型トラックは走り去っていった。




その夜。


佐久間家。


テレビでは、オミックスブルーフィーバー・ヨシローの特集が流れていた。


「やっぱりヨシロー、かっこいい。」


奈々子が嬉しそうに言う。


「背も高いし、フォームもきれい。」


「本当に絵になるよね。」


佐久間は黙ってテレビを見つめていた。


一年前。


奈々子がそう言った翌日からだった。


ヨシローの振り子足打法を真似し始めたのは。


奈々子に少しでも格好いいと思われたかった。


ただ、それだけだった。


テレビの中のヨシローは百八十三センチ。


長い手足が大きくしなり、美しくバットが出てくる。


佐久間は百六十三センチ。


同じように真似をするほど、身体とのバランスは崩れ、自分の持ち味まで失っていった。


瀬長の言葉が蘇る。


「何で自分を捨てる。」


佐久間は押し入れからバットを取り出した。


鏡の前に立つ。


振り子をやめる。


自然体で構える。


あの頃の、自分だけの構えだった。


それを見た奈々子が微笑んだ。


「その構え……。」


「やっぱり、そっちの方が淳らしい。」


佐久間も照れくさそうに笑う。


「俺はヨシローにはなれん。」


「俺は俺や。」


その笑顔は、久しぶりに全国MVPだった頃の佐久間淳そのものだった。

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