第二十六話 訪問
おそろしくいろんなことがあった一日だった。なにせ、朝から晩までてんやわんやである。急に女の子が家に入り、その子が自分の実妹に当たる存在だとわかった。そのうえで、元の家に帰せない状況ということで、しばらく家に泊めることになったのだから。
「シャワーで体を洗っていて、いろんなところに傷があることに気づいたの」
百瀬るいが寝たあと、母さんがこっそり俺に言った。
「だから、さりげなく訊いてみたら、自分が転んだせいだって。転んだだけであんなふうにはならないと思うんだけど。逃げてきた理由は、家のなかにいるのが怖いって言っていたわ」
経験上、児童相談所があまり頼りにならないことは知っている。警察に頼るのも手かもしれないが、百瀬るいがどこまで正直に話してくれるかわからない。
父さんが言う。
「しばらくは、預かるという形で様子を見たほうがいいだろうな。あの子の実の両親とも話さないといけない。だが、連絡を取るにはもう少し時間がかかる」
俺の実母と父さんは兄妹関係にあるが、残念ながら現在の所在は不明らしい。もっとも家族からは勘当同然の扱いのようなので、まさかその子供がわざわざやってくるとは誰も想像できなかっただろう。
「……他に子供がいることは知っていたの?」
俺が尋ねると、父さんはバツが悪そうに鼻の頭を掻く。
「……一応。おまえとのことがあったあと、一度だけ実家に連絡してきたらしい。そのときに子供の名前を話していて、おふくろから伝え聞いたんだ。名前は正直うろ覚えだったからすぐにわからなかったが」
百瀬るいのリュックのなかに、明確に住所等を記載したものはなかった。しかし、百瀬るいはどこに住んでいたか知っているはずなので訊いてみたところ、俺がかつて住んでいた新潟県に暮らしていたということがわかった。
初日から質問攻めにするわけにはいかないのでそれ以上は聞きだせていないが、ちゃんと掘り下げていけば現在の所在もわかるようになるだろう。
とにかく今は、あの子を休ませることが必要だ。夏休みの間に解決できればいいのだけど、それほど単純なことではないかもしれないと俺は思っていた。
* * *
「親戚の子?」
ある日、俺の家にやってきた歌島に、るいの存在を知られてしまった。あいにくと当たり前のように行き来があるから、完全に隠し通すのは難しい。
「ああ。いろいろあって、しばらく家で預かることになった」
「ふぅん……。あ、こんにちは。わたしは歌島生美。隣に住んでいる幼馴染なの」
「……はじめまして、歌島さん。るいって言います」
九十度体を折り曲げてお辞儀をする。るいは今九歳なのだけど、明らかに同世代の子供より礼儀正しい。親の教育よりも本人の性格が重要なのかもしれない。
歌島はなにを思ったのか、しゃがみこんで、るいの髪の毛を触る。
「歌島、さん?」
「急に触ってごめんね。かわいい子だからびっくりしちゃったの」
それから頭をぽんぽんとなでた。
るいがこの家に来て五日が経った。すでに相手方の連絡先はわかっているのだけど、向こうが電話に出ようとしないため特に進展はない。ただ少しずつではあるが、るいはこの家に馴染みはじめていた。
「テニス部の練習は午前だけだったの?」
立ち上がった歌島が訊いてくるので、俺は「そうだ」と答えた。
「ちゃんと面倒見てあげているの?」
「一応。少なくとも誰か一人は家にいるように調整しているよ」
俺が出かけているときは母さん、母さんが出かけているときは俺が一緒にいるようにしている。仕事のない日は、父さんもかまってあげている。
今は母さんがパートに行っているが、基本的にパートの時間を減らしてもらい、なんとかしているような状況だった。
「そうなんだ。るいちゃん、このお兄ちゃんは優しくしてくれる?」
すると、るいは俺をちらっと見てから答えた。
「はい、とても優しいです。ぶっきらぼうですが」
「ぶっきらぼう……」
口調を抑えて接しているつもりだったが、悲しいことに伝わっていないようだ。歌島と初めて話したときも、うまく話せず怖がらせてしまった。残念ながら、俺にはまだまだそういう経験値が足りていない。
「そうだね。わたしもぶっきらぼうだと思う」
歌島はクスクス笑っている。るいは、あわてたように付け加えた。
「でも、心が読めるみたいに、あたしが考えたことをわかってくれます。夜にトイレに行ったとき、電気の場所がわからなくて困っていたら、すぐに駆けつけて教えてくれました」
「あれだけトイレのドアをばったんばったんやってたら、そりゃな……」
るいは俺のことをそう褒めるけれど、そもそもだいぶ表情や行動に感情が出やすい子なのである。身近に汲んであげるやつがいなかったというだけで、普通誰でもわかると思う。電気をつけてあげたとき、さっきと同様、大げさにお辞儀をしていたことを思い出す。
「明人の部屋か、この子が使っている部屋に行っていい?」
歌島がそう提案してくるので、俺は素直に了承した。




