第二十四話 正体
平日なので父さんは仕事があるのだけど、急遽午前休をもらっていた。管理職になってから大変そうだったのに、わざわざそこまでするのはなにかの予兆のように感じる。単純な善意だけで時間をとったようには思えなかったのだ。
母さんが女の子にシャワーを浴びせている間、俺と父さんは二人きりでリビングのソファに腰かけていた。
「昨日の夜のことと、今日あったこと。もう少し教えてくれないか?」
「わかった」
父さんに訊かれて、俺はこれまでの経緯を細かく思い出しながら伝えた。すでに話した以上の情報は特に持っていないけど、と考えながら話していると、途中で父さんの眉がピクリと動いた。
「『助けて、お兄ちゃん』って言った?」
まさかそんなところで引っかかるとは思わず、俺は驚いてしまう。
「そうだけど」
「……なるほど」
勝手に一人で納得しないでほしい。そのあとの話には引っかかるところはなかったようで、ほとんど聞き流されてしまった。
「父さん、仕事休んでよかったの?」
「いいんだ。ちょっと、もしかしたら、というのがあるから」
「そう」
嫌な予感がする。というより、すでに推測はできているのだが、あまりに突拍子のないことだから気持ちが追いついていなかった。
それから五分ほどで、母さんと百瀬るいが洗面所から出てきた。小さいころに俺が着ていたパジャマを着させているようだった。頭を拭かれながらリビングに入ってきた百瀬るいの手には、髪の毛を縛っていた赤いヘアゴムが握られている。
百瀬るいをソファに座らせたあと、母さんが父さんの右腕をポンポンと叩いた。
「こっち来て」
そして、両親ともにリビングを出て玄関付近に移動してしまう。なぜか、俺と百瀬るいだけがリビングに取り残されることになった。
ソファの端と端に、お互いが座っている。しばらく戻ってこないかもしれないので、俺は声をかけた。
「母さんとなにか話したの?」
百瀬るいは、「はい」と小さな声で返事をした。
俺は、近くにあったせんべいを一枚手渡した。きっとお腹が空いているだろう。
「ありがとう、ございます……」
受け取って、包装を破ろうと手に力を入れる。が、うまくいかないみたいでビニールが横に伸びてしまっていた。
「貸して」
代わりに破いてあげて、せんべいを口に突っ込んでやった。口をもぞもぞと動かして、両手でせんべいをつかみ、ぱきっと口に入った部分だけ割って食べる。飼育小屋のウサギにニンジンを与えたときのような感覚だった。
キッチンに行き、コップを一つとって水を注ぐ。喉も乾いていたらしく、俺が渡すと一気に水を飲み干していた。
せんべいを一つ食べ終わったところで、百瀬るいが俺をまじまじと見てきた。
「すごい……」
「ん?」
その目がキラキラ輝いている。
「あたしの思ったこと、全部わかってくれる」
「いや、わかるわけないだろ」
気が利くという言葉をこの子が話すとこういう表現になるらしい。もう一枚せんべいをあげて、水をもう一杯くんできたところで両親がリビングに戻ってきた。父さんも母さんもやたらと真剣な表情を浮かべている。
「……」
俺は、父さんと母さんにソファを譲り、近くの座椅子を近くに運んでそこに座った。
しばらく重苦しい沈黙が辺りを覆う。口火を切ったのは父さんだった。
「その、どうやら他人事ではないみたいで、な」
話しづらそうに言葉を紡ぐ。ちらちらと俺の様子をうかがっているから、やはり俺の推測に誤りはないのだろうと思った。
どうやら、俺は気遣われているらしい。今さらそんな必要もないのだけど。
「いいよ。父さん、母さん。俺は別に気にしないから。てか、そういう風にコソコソされても困るんだよ」
すると、父さんは「わかった」と言ってため息をこぼした。
俺は、覚悟を決めて父さんの言葉を待った。
「……明人。どうやら、おまえの妹のようだ。ちゃんと把握できていなかったが、俺にとっては姪ということになる」
覚悟を決めていたが、それでも衝撃は大きい。俺は、申し訳なさそうに座る少女を見る。
百瀬と名乗っていた。また、父さんにとって姪ということであれば、どちらのほうの子供か想像がつく。俺は言った。
「……あいつの子ってわけね」
「まぁ、そうだ。下の名前を聞いて、まさかとは思ったが……」
ますます縮こまる百瀬るいを見て、俺はしまったと思った。この子には何の罪もないのだ。
「こっちの話だから気にするな。堂々としていればいいさ」
俺はそうフォローして、頭の整理を始めた。
血のつながった実の両親は、俺のそばにはいない。それぞれ、まったく異なる人生を歩んでいることだろう。
実父があれから子供を作ったとは考えづらいし、苗字が百瀬にならないはずなので、母親のほうの子供という結論になる。俺の実母は別の男といるために蒸発したので、こういうことがあってもおかしくない。
年齢はいくつだろう。小学生ということなら、俺の元を去ったあとすぐに産んだと考えれば辻褄が合う。
実母についての記憶はもはやあいまいで、どんな顔だったのかも覚えていない。最後に見たのは俺の時間感覚で三十年以上前のことになる。
 




