賢王たる我が父についての回想
友人(*‘∀‘) 「アルティア王国、アルティナ王国、どっち?」
湿原(;´・ω・) 「アレ? アレアレアレッ⁉」 ← 指摘されるまで気付かなかった。
02 アルティナ現王の語り ~賢王たる我が父についての回想~
少なくとも四十路に至るまで、我が父の王としての資質に特筆すべきものは無かった。
可もなく不可もなく。
秀でるでなく劣るでなく、尖ることなく凹むことない。穏やかに安定して、定められた義務を破綻することなく真っ当していたように思う。
それでも不思議な方ではあった。
時折父は、体内に時計と方位磁針を携えているかのように世界を語る。
「執務を始めてから既に187エクト(分)58スム(秒)経過したぞ。休息が必要だ、今すぐに」
「三の女神が中天を過ぎて北東へ二度動いた。そこまでの移動に17エクト32スムかかっている」
「一の女神と二の女神が交差するまでにあと三日……正確には4954エクトだな」
過ぎ行く時を肌で、或いは別の感覚で捉え、そこから世界を把握しているかのような事を口にして、暦学者を驚かせたことが多々あった。
実際、学者であれば名を響かせたかも知れない。
しかしながら父は王の子であり、王位継承者であり、多寡なく王位を継承し、現実としてアルティナ国王であった。
そして王としては、ごくごく当たり前の統治でしかなかったのだ。
変化は静かに訪れた。
起きたこと自体は国として然程、目を引くことではない。
西方を統べるグリンシーノ帝国との、密やかなやり取りが増えたのだ。
しかしそれもまた順当と言われれば、それまでのこと。ここ十数年、周辺諸国の政情に大きな乱れはなく、それ故に交易路の安全がある程度維持され続けた結果、商人たちの交易販路が拡大したのだ。
西の帝国と南の王国とを行き交う人々が増えたのであれば、国家間でも相応の繋がりは必須になる。表があれば裏もあろう。密約の一つや二つ無い方がおかしい。
尤もそれ以上のことは分からなかった。というか、それどころではなかった。
この時期、王太子に任じられた私は速やかに婚約者である公国の姫と結婚することを望まれていた。他国の招待客の言葉や心得、知っておくべき近況。民への披露を含む宴席の準備や王家のしきたりの確認。陽神教の成婚儀式の手順以外にも、次代の王として成すべきことが山のように積み上げられており、それらを熟していくだけで精一杯だったのである。
厳粛なる継承式、ついで盛大な結婚式。
その後、恙なく婚姻を結び、翌年に妃は懐妊。更に次の年には長男を生んだ。
何もかもが順調であり、日々は忙しなく流れ、目の前に列挙される案件と格闘する、王太子としては当たり前の毎日。
私も、私の側近たちも、大人たちに見守られつつ政治を実地で学ぶ重要な時期であった。たかだか17、8の若造が国政中枢の暗部に手を伸ばすなど、到底、できるものではない。
ただ、父王自身に変化があったとすれば紛れもなくこの時期である。
世継は堅調、その次代たる孫も生まれ、王太子夫婦は誠実に責務を熟し、国は安定している。
目出度いこと続きのアルティナ国である筈なのに、公の場ではそう振舞っているというのに。
私室においてふと垣間見せる父王の顔には、深刻な「何か」が浮かんでいた。
物憂い、などという気怠げな風情ではない。もっとはっきりとした苦悩であり、更には―――
誰も見ていないと思っていたのだろう。眉間に刻まれた皺の深さ。
空を見上げることが増えていた。
執務中、つと手を置いて首を巡らし、窓を臨む父王の姿。
四角く遮られた先の空を、恐らくは三つの太陽を、あの時の父はどのような心持ちで見詰めていたのか。
そういえば、この頃からだった。
陽神教から、さりげなく父王が距離を置き始めたのは。
同時に、資料室で埃を被っていた大量の書類をひっくり返し始めた。言うまでもなく父王ではなく、王命を受けた文官たちである。
政務室の更に奥の保管庫に安置された、埋もれ切った数字の束。様々な報告の記録。その「正確さ」と「詳細」を父王は求めたのだ。
各都市や町村などの人口、家畜の数、畑の広さや穀物の備蓄、貯水池の場所や井戸の場所、川と山、森や湖の位置。
災害の記録については特に入念に調べさせた。現地まで人を派遣したほど執拗であった。
膨大かつ詳細、更には最新の情報をもとに、父王は次々と命令書を作成する。
灌漑施設や村の共同貯蔵庫の建設。橋を架け、貯水池を増やし、堤防を強化し、道路を整備する。魔獣の森が近いのであれば近隣の村にはしっかりと居住地を囲む塀を造る。
密かにだが、新しい保存食の開発や可食生物の調査も行っていた。
国内だけの話ではない。
その動きが他国を刺激しないよう、あくまで静かに、密やかに。街道周辺の様子、気候や動植物の棲息域、恐らくは正確な地図さえも。
地理その他、知り得る限りの一切合切を調べ上げていただろうとは、後から気付いたことだ。
灌漑施設と備蓄については、王領だけでなく各貴族へも通達した。動きのない貴族家に対しては法令化までして兵を派遣し、余計な散財を渋り現状維持を望む貴族たちの尻を強く叩いたのである。
在位二十余年にして、初めての貴族への強権発動。さぞや貴族たちの反発も、と思いきや。
私が想像したほどに大きな反発は生じなかった。
危機管理をより徹底せよという命令は、やや角が立っているが間違いではない。隣国が鉄砲水によって大きな被害を受けた話が、商人たちによって齎されていたこともあるだろう。
もう一つ。
父王が天体学に通じていることも、貴族達が素直に承知した理由に含まれた。
一連の命令、その内容が指し示す「コト」は、分かり易いといえば実に分かり易い。露骨と言っても良いほどだ。
父王自身は「我が国の土台をより堅固にするため」などとしれっと説明しているが、真に受ける者など居る筈もない。
それでも臣下一同は口を閉じた。本音は納得などしていないが、国王相手に「もっと他に、何かあるでしょう⁉」などと問い詰めるわけにはいかないからだ。
それでもやはり、問い質したいと思うのが人というもの。
必然、疑問を抱えた者達のうち好奇心に負けた者は、父王ではなく私へ近付いてきた。
実を言うと、私自身も尋ねたくて堪らなかった。父王の命令はあまりにも確信的で、微塵の迷いも見られなかったからだ。その根拠は何なのかと、疑問を抱くのは当然だろう。
王の執務室へ報告がてらの、「もののついで」のように問いかけてみる。
「父上。いつ、どこで、災害が起こるのですか?」
ひょっとすると自分の目は、期待と好奇心で輝いていたかも知れない。
それはそれとして、我ながらあまりにも浅はかで、酷い質問の仕方であったとは、思う。
「……なんとも呆れた問いかけだ、王太子よ」
いったいどこから入手したのか、土地の高低差を詳細に記した地図から顔を上げ、父王は片頬を歪ませて笑った。
「その訊き方で余が、其方の期待する答えを口にするとでも?」
再び顔を地図へと戻した王へ言い募ることは流石にできず、こちらも押し黙る。
明確な答えが頂けなかったことに苛立ち、消沈しかけたが、後になって当然の判断だったと気付き大いに赤面した。
執務室には父王や私以外にも、警護の者や身の回りを世話する小姓などが常に居る。滅多なことを口にするわけにいかないのだ。
それが大衆を煽る類いであるなら尚のこと。王たる者が虚言を弄するなど許されない。
それでも父王のあからさまなまでの「災害対策」は着々と進められてゆく。国費によって増加した兵により、堤防は高くなり、堀は深さと共に満々たる水を湛え、砦壁は修繕と補強で堅固となり、軍で使役される伝令役の魔鳥や犬の数が増え、他国や商人達はアルティア王が何を知っているのかと王宮へ探りを入れる。
一見、平穏な日々に、国王自らが投げ入れた奇妙なまでの慌ただしさと緊張感。
周辺諸国がさほど警戒しなかったのは、軍備の増強が図られていなかったからだ。確かに兵は増えたが、皆、ごく当たり前の一般市民で、殆どが農家の三男以上である。傭兵などは全くおらず、彼らが雇われた理由が国内の土木作業への従事であることはあまりにも明白だった。
加えて、武器や武具の買い付けや増強をしている気配もない。というか、そこへ回すべき予算をそっくり国内整備へ回したのだということは、硬い顔をした将軍閣下が財務長官を伴って王への謁見を求めたことで判明した……私だけでなく、王宮中の者が。
将軍の要請を、父王がけんもほろろに突っぱねたことも。
それだけに、否、だからこそ、
「断言は避けているが王は確信している。そう遠くない日に何かが起こるのだ」―――大方の貴族たちは、そう認識したようであった。
父王の為人を知る大貴族ほど、己が領土の整備へ真面目に取り組んだのは、後のことを思えば実に賢明であり、民にとっても国にとっても僥倖であったろう。
五年後、大陸全土を異常気象が襲った。
正確に言うと徐々におかしくなっていた気候の変動が、ここにきて顕著になった。
太陽が陰り大雨が降り、竜巻が起こるかと思えば雨が降らない。冬でも雪の無い地が吹雪きに見舞われ、凍死者が続出する。
北の山脈の万年雪が、溶けだしたという。
大陸全土の実りが、作物に限らず山や森の恵みなども乏しくなった。緑が褪せていくのがはっきり分かるのだ。
北方では飢えから人里に降りてきた魔獣による被害が激増し、馬が襲われることで様々な運搬が滞るようになったという。
大嵐で町一つ押し流された、大竜巻の直撃で何もかもが吹き飛ばされた、大型の魔獣の群れに村の全てを踏み潰された、などという陰鬱な報告がひっきりなしに届くようになった。
大陸中で天災被害が拡大し、国による救護も支援も後手後手に回る中。
魔鳥や犬、馬などを用いる連絡手段を確立し、各地から兵を雇ったことで地の利を知る者に事欠かず、兵達が土木作業に慣れたていたことで無駄なく動けたアルティナ王国だけは、かなりの早さで適切な対処が行えていた。
特徴的なのは、僻地の村や町などの救援要請にも早急に応じたこと。
王の手が、辺鄙な村のもとまで届いていることを知った民の感謝と喜びは凄まじかった。
これまでの倣いを顧みれば、真っ先に見捨てられるのが必定であったのだから、その感動もひとしおだろう。
父王を讃える声について、平民からの方がより大きく強いのは、これが理由である。
準備万端整えていたからと言って、各地が被災している中で王宮が安穏とできるはずもない。
ひっきりなしに入る報告や救助要請などへの対応で、父王も私も文官たちも昼夜を問わず働きっきりだ。
それでもどこか士気が高いのは、取れる選択肢が多いからだろう。
その”余裕”と”猶予”をこそ、父王がこの六、七年をかけて築いたものであり、他国が今、何よりも欲しているものであると官吏達の全てが理解していた。
上がしっかり機能していることが確信できれば、下の者も動揺しない。
騎士団も各地へ駐屯させた兵団も、動ききりであっても希望を失わない。堅実に作業を続ける様子は、平民たちを落ち着かせた。
「……まだ、だ。正念場はこれからだ」
日に日に高まるアルティナ王の声望。三手先、四手先を読んだその周到さへの感歎。
溢れんばかりの称賛はしかし、当の本人を喜ばせることも誇らせることもできなかった。
空を見上げる父王の面貌は相変わらず険しく、厳しい。
「こういう時こそ神の出番だと思うのだが」
執務の最中。ふと、手を止めた父王と側近との会話。
「陽神教の司祭どもは何をしているのだ」
「は。信仰を示せと、より多くの喜捨を求めております」
「信仰を示せだと?」
「私も、常より多く喜捨を納めております」
信仰篤い側近の実に敬虔な行いを聞いた父王の目が、一瞬だけ丸くなる。
すぐに常と同じ温和な様子に戻ったが、それなりに物事を経験し理解し始めた私の目には、まるで違ったものが見えた。
日々、善行を成していると神への真摯さを語る部下へ、ほんの束の間、父王が充てた視線。
主の心を慰めない、無能な道化を見るような。
「どういうことだ? 何故、この状況下で喜捨を重くする」
「一連の異常気象は、使徒の信心が足りない所為であると」
「……陽神教の信者がおらぬ国とて、被災しているのだが」
「ですから、女神への信心が足りないのです。我が国は信徒が大勢いるからまだ、この程度で済んでいるのだと」
「……」
この時の父王の相貌を、なんと表現すればよいのか。
とても珍しく、相手にも皮肉だと分かるよう口の片端を釣り上げて父は嗤った。
「それを、トゥエで主張してみよ。面白いことになるぞ」
神獣を奉じる北の皇国は、常と変わらず沈黙を保っている。
そういえば彼の国からは、異常気象や自然災害などの被害報告は届いていない。
「トゥエはどうやら無風だな。御利益というのであれば、件の神獣の方が遥かに霊験が高いようだ」
「戯言でもそのような」
「どこぞの女どものように、信心を金で量らぬようだし」
「陛下、女神への不敬は」
「フン」
「女神への感謝を忘れてはなりません」
「―――いつ、其方は、司教になった」
父王の語調が変わった。
「余は寡聞にして知らぬが」
「は、いえ、わたくしは」
「違うのか。修養僧でもない身で、余に説法するか。一国の王たる余に」
「ふ、不敬をお許しくださいませ!」
慌てて側近は、その場で床に片膝をつき頭を下げた。
周囲の者達も私も、仕事の手を止めた。
室内が寂シンと静まり返る。
部屋中の注目を集めるそこにいるのは王と、迂闊な物言いで王の機嫌を損ねた臣下の姿。
「それほど女神へ仕えたければ、遠慮はいらぬ。すぐにでも俗世を離れるが良い」
「いいえ、わたくしはこのまま。偉大なる陛下の側でっ」
「そうか? 己が身を弁えることを失念するほど、陽神教へ傾倒しているようだが」
「とんでもございません。礼を逸したこと、真に、真に申し訳ありませんでした!」
見下ろす父王の視線に揶揄いの色はない。恐ろしく冷徹な目が、氷柱のような鋭さで己が側近を射貫いている。
「……もういい。仕事へ戻れ」
「は」
「……」
後日、この側近は人手不足を理由に配置替えとなった。
事態が収まりを見せたら元の場所へ戻すという話になっているが、毎日を忙殺されている父王が彼を思い出すかは定かでない。
天災の後には人災が、散々に痛めつけられた大陸に更なる拳を振り上げる。
もはや限界とばかりに「無いのなら、奪えば良い」を選択をしたのは、領土が広い分、被害が大きかったグリンシーノ帝国だった。
大陸南が気候不順に悩まされ始めた頃、大陸西北の帝国では既に、異常気象による被害が多発していたのである。
五年の間に国内の備蓄を食い尽くし、属国からも限界まで収奪し終えた彼らは、飢えと寒さ、乾きと焦燥に駆られて東へ一斉に侵攻を開始した。
逃亡奴隷や、故郷を失くし、家を失くした民たちが、飢えに追い立てられるように東へと進む。その様は最早「ヒトのカタチをした蝗の群れ」であると、伝令兵や間諜など複数から報告が入った。
その後ろから迫るのは、正規の帝国軍。
ある意味、実に分かり易い戦術だった。否、戦略でもあるのだろう。「帝国内で飼いきれないイキモノを余所で始末する」というのは。
グリンシーノ帝国からアルティナ王国の間にある諸国家は、どれも大きなものではない。緩衝地帯として残された「伝統ある王家」が治める中小国家が圧し合いしつつ連なっている。
はっきり言って「帝国との力の差」などと口にするのさえ馬鹿らしい。否、帝国軍とぶつかる前に、押し寄せる難民だけで雪崩の前の麦畑の如く、彼の国々は押し潰されてしまうだろう。
ただ、各国首脳とて愚かではない。これあるを想定し防衛線を築きつつ同盟を結んだりと、それなりの対抗策を用意していた。
一国では対抗できないのなら、集団で立ち向かえばよいのだ。
無論、周辺諸国も賛同した。敗北は言うまでも無く、今から帝国へ日和ったところで略奪され尽くすのが明白なのだから、協力は必然である。
とはいうものの「船頭多くして~」となる可能性も勿論あった。数は足りても烏合の衆と化してはなんにもならない。
帝国の進軍方向の先には、南の広大な穀倉地帯―――未だ一人の餓死者も出ていないと噂の、アルティナ王国。
父王の介入は必然であったろう。
帝国の東征に西方諸国が苦慮する中、南のアルティナ王国とその周辺国家は非常事態と認識しつつも小康状態を保っていた。
「アルティナ王国」とその「周辺国家」は、である。
そう。隣国の幾つかは我が国同様、災禍に対しなかなかの健闘を見せていたのだ。
恐らくはここ数年の我が国の政策に、ある種の懸念を抱いた為政者たちが居たのだろう。静かに穏やかにと指示しつつ行動自体は隠さなかったのだから、各国の間諜たち、いや、間諜でなくとも父王の意図が伝わらなかった筈が無い。
天災被害は変わらず各地で起きており、個々の悲劇が無いわけでは無いが、少なくとも大陸南部には一定の秩序が保たれていた。
無論のこと、碌な対応が出来ていない国もある。
だからこそ、別の問題が発生していた。
グリンシーノ帝国ほどでなくとも、政策に失敗し破綻をきたした国家はある。
「アルティナの民は飢えていない、食物が余るほどある」―――という無責任な噂が広まり、切り捨てられた人々が押し寄せてきたのだ。
当然、正当な理由もなく入国許可を出すわけにはいかない。
国境の砦門は固く閉ざされ、周辺一帯に国境警備隊の巡回が入る。騒ぎ立てる者達は森があるなら森へ、河があれば河向うへと追い散らされた。
……森には森の、河には河の魔獣が居る。
それでも難民は集まってきたし、密入国も後を絶たず、捕縛数は増加の一途を辿っている。
やがて食い詰めるあまり盗賊団に入ったり、仲間たちで盗賊団を作り街道を行く商隊を襲い始める不届き者も出てきた。
東西の交易商人達が南へ逃れてきたために、大陸南部は一次的に物流が活性化していたのだが、ここに至って街道の治安が格段に悪化し、様々なことが滞り始めた。
被災地の支援へと送られていた兵力が、交易路の警備へと回される。
事前にどれだけ一般兵を増やしていたところで、足りるわけがなかった。
難民たちとて必死だ。
確かに関所周辺は厳重に管理されているが、国境いの全てを壁で覆っているわけではない。山谷を超えて河を渡り、命懸けで不法入国し、とんでもない場所から現れる者や、村が管理する狩猟小屋へ、いつの間にか住み着いている者もいる。
対岸に辿り付けずに力尽きて流され、下流で流れ溜まりに引っ掛かり、複数の死体が小山になっていることもしょっちゅうだ。
速やかに海まで流れて行ってしまえばよいのだが、生憎とそうはならない。
流れ溜まりを埋めてしまえば、河の流れがどのように変化するか予想できないため、ヘタにいじることも出来ず。
だからといっていつまでも死体を放置すればやがて腐敗し、浸った水まで腐ってくる。
澱みは疫病の温床になりかねないので、発見次第、水死体は川の流れに戻すか、陸に引き上げて埋めるかをしなければならない。
いけないのだが、いずれも難儀なのである。
この手の事柄は囚人や平民の捕虜が行うのが常だが、その者達を働かせるにも監視役が必要なのだ。
「まこと、始末が悪い」
報告を聞く父王の顔はそのまま、苦虫を嚙み潰したよう。
不法入国者にどのような対処をするかは各国の采配次第だが、父王の選択は至ってありきたりのものであり、戦時下であるこの情勢では的確ですらあった。
公道以外の道や町、国境近くの村にも増設した部隊を配置し、各々の自警団と協力させ、徹底排除を命じたのだ。
更に暫くして、次のような指示が特定の者へ向けて密かに出された。
『貯蔵庫の管理、在庫量の確認を強化せよ。管理者自身の監視も行うように』
……この時期、場所はバラバラだが、三つの地方貴族家が王命により廃され、三親等までが処刑されている。
どれも大きな家ではないが軍人をだすそれなりの名家であり、王家名代として貯蔵庫や氷室、保存食の管理などを任されていた者達だった。
罪状は横領。有体に言うと糧食の横流しである。
「窮境の足元を見る行為。下劣なり」
王家の信頼ヘ泥を塗った背信行為に、父王は激怒した。
今は非常時、更には見せしめの意味もあり、勅令による執行は速やかに為されたという。
―――その貴族領にある教会の司祭から王都の教会を通じ、私へ話が届いた時には全てが終わっているほどに。
「父王よ。この処置はあまりにも拙速では」
急ぎの件だと伝え、面会時間を捻じ込んで執務室に駆け込むと、執務中の王へと訴える。
父王は、顔を上げもしなかった。
「急用というから会ってやれば、そんなことか」
書類から目を離さず、ペンを走らせる手を止めることもなく、
「そんなこと? 貴家を取り潰したことが、そんなことですか⁉」
「世に貴族など幾らでもいる。増やすは容易いが減らすは難しい。その程度のものだ、貴族など」
「なんということを」
「……其方」
いつからだろう。
父王の意に反する言を発する時、ある種の決意を固め、力を振り絞らねばならなくなったのは。
怯懦に傾く心を抑えつつ言葉を紡ぐその努力はしかし、漸く顔を上げた父王からの刃物のような一瞥で散り散りになった。
「其方、彼奴らがどこへ横流ししていたか知っているのか」
「教会に、でしょう」
囚人への配分を削って、教会へ渡していたという。
教会はその糧で、不法入国後も困窮する難民へ施しを行っていた。
「それもこれも、盗ませぬためにです」
他の貴族領はともかく、少なくとも王領に関しては、難民が密入国に成功してもどうにもならない。
大きな街ほど平民は配給制になっていたし、町には自警団がいて目を光らせている。村々に至っては”余所者の盗人”の激増で、きわめて閉鎖的、排他的になっていた。
そして王の名において、このような許可が出されている。
『窃盗犯に対しては見つけ次第、打ち殺してよい』
徹底排除の内訳は、つまりこういう事なのだ。
死体は見せしめとして街道脇へ遺棄された。今、街道を歩くと、道の両側に遺棄された死体がどこまでも続いているという。
先日、処刑された貴族たちの領地はどれも、王領と隣接していた。その場に留まれば死が確定しているだけに、人々は必死で王領から逃げてきたのだ。殺されないために。
そうしてやっとの思いで彼らは陽神教の教会へ、つまりは「聖域」へ逃げ込んだ。
逃げ込めたのだ。
ならば、保護するのが当然ではないか。
私の説明はしかし、世俗の利を何より重視する男の関興を、全くそそらなかったらしい。
父王は眉一筋動かさなかった。
「ほぉ。それで逃げ回るばかりで何もせず、己が手も汚さず、誰かが掠め取ってきた食糧を貪り喰うたわけか」
教会と同じよな。
「父王!」
「戯けっ! 何が『盗ませぬため』かっ!」
最後の呟きのあまりの冒涜に愕然として抗議の声を上げるも、それを上回る父王の激昂と大喝にたちまち圧し潰される。
「あの盗人どもが其方と同様の考えであったとしても、それで別の誰かの糊口を凌ぐ糧を奪った以上、罪を犯した事実に変わりはないわっ!」
何故、こんな簡単なことが分からぬ、という呟きは、恐らくは私へ聞かせるものではなかったのだろう。
明らかな苛立ちの気配を、父王は僅かに肩を上下させた呼吸一つで抑え込んだ。
「余は民へ向けて宣言した。『窃盗犯は殺してよい』と」
「彼らは有爵貴族です!」
「それがどうしたというのだ」
父王の目がいっそうの峻厳さを増す。
「知っていて何故、其方は減刑を請う? 司祭から嘆願でも届いたか? それを愚直に聞き入れて余のもとへ来たのか、狗のように」
「…なっ!」
嘲られた。
今、確かに、自分は生まれて初めて明確な侮蔑を受けた。
その事実と、そうやって己を蔑んだ相手が他の誰でも無く実父であることに、訳の分からない衝撃を受けた。
「あ、貴方には慈悲の心は無いのですか! 教会はただ、哀れな者達を救いたくて」
「救いたくて、他者の財を分け与えたわけだ。連中自身も教会も、己が身を削るでなく」
意味不明の衝撃を振り払うように声を荒げた私と対称に、父王の声は厳然として落ち着いており、揺るがない。
「それは、教会とて潤沢というわけでは」
「そうか? 喜捨で信仰を量っていると聞いたはつい最近だが。余の聞き違いであったか」
嘲笑の形に口を歪ませても、父王の目は笑っていない。
「潤沢でなくば、陽神教の教会へ逃げ込んだ者であれば、信徒が同じ信徒を守る為であれば、囚人の糧を奪っても許される”べき”だと、其方は言いたいわけだ」
「善良な者が助かるのですよ? 悪人を養う糧などに何故、そこまで気を回さねばならないのです!」
……⁉
はた、と。
それまであった紙をめくる音や、文字を書くためにペン先が紙を擦る音が、いっせいに消えた。
今の今まで、何も聞こえない体で書類仕事をしていた文官たちの手が止まったのだ。
(なんだ?)
奇妙な静寂が不可解で、周囲を見回してみる。
王の側近として重要案件を扱う者たちが、揃って私を凝視ていた。
普段、取り澄ましている者達が丸くなるほど目を見開き、呆気にとられたその顔はまるで、信じられないモノを見たような。
「……その年齢まで、其方は何を学んできたのだ」
首を戻せば、文官たちと同質の視線を息子に向ける王の姿。
「では問おう。陽神教にはあるのか? そのような教えが。慈悲の心さえあれば盗みを働いても良い、と。そのような逸話があるのであれば、それはどの経典の何処に記してある? 答えよ、王太子」
「……それは……」
三巻から成る経典に綴られた膨大な逸話。そのどれかには、このような状況に関する話があるかも知れない。
しかし私には答えられなかった。私は司祭でも、司祭候補でもない。経典の隅から隅までなど、読んでいないのだ。
教会の教えは基本、「盗むな 殺すな 偽るな」である。そして、
「他者の財を欲するな、だったか」
「……はい」
「王太子よ」
「……はい」
「何を以って何に因って、法や理を”自分だけは歪めても許される”と信じ込んだのだ?」
「な」
違う。私は、そんな。
許されるなんて、傲慢なこと。私は、ただ……
「…………私では、ありません。私ではなく、父王であれば」
父王の言葉なら。
この国では既に、父王の言葉は絶対だ。であれば、少しくらい許されるだろう、と。
「余が決めた律を余が歪めて、臣下へどう範を垂れるというのだ」
ふぅ、と一つ小さく息を吐くと、父王はゆっくりと背もたれへ体を預け、腹の上で指を組んだ。
ジロリ、と私を睨め付ける。
「そも、今の大陸に豊かな国など無い」
ほんの束の間、窓から空を見上げると、頭を振って父王は再度、私を見据えた。
「我が国とて同様よ。国内の荒廃を防ぎ、他国の苦境を支え、帝国を阻む戦線への支援も行っている。その為に民へ忍を強いている。この現状の何処に、不法滞在者を囲う余裕がある」
「仰る通りです。ですが」
甘いとは分かっている。分かっているが、困窮する者達を見捨てられなかった彼らへ与えられるのが不名誉な死というのは。
それに恐らくは、この三件だけではない。調べれば、教会への横流しはもっと行われている筈。
彼ら”善良な者たち”を、見捨てるわけにはいかない。
「せめて罪一等を減じて懲役刑と……それに家を潰すのは……親族が爵位を継承できるよう計らえないものでしょうか……」
「これ以後の不届き者は囚人とするか? 仮にそうして生き永らえたとして、やがては飢えて死ぬだけではないか?」
受刑者へ与えるべき糧食を、難民に流していたことへの痛烈な皮肉。
酷い言い草に声を上げようとした私へ追撃をするように、父王は言葉を重ねた。
「正確に言うなら、あ奴らに任せていたは国の財ではない。王の財だ」
「―――!」
愕然と眼を見開いた私の視線の先には、全てを見越して手を打っていた賢王の深沈たる姿。
「理解したか。王の私物を盗んだのだ。譴責で済むなどあり得ん」
あるのは死のみ。
寧ろ戦時中ということで大逆だと騒ぎ立てず、死罪を三親等に抑えたことこそが温情である。
そんな嘯きを遠くに感じつつ、私は呆然と呟いた。
「……罠を、仕掛けたのですか」
「起こると想定できるのだ。防がないでどうする」
分かっていたのだ、この周到な王は。
どれだけ厳重に管理しようと、必ず誰かが横領すると。それを見越して最初から、このような措置を施して。
「業腹よ。耕民の労苦の賜物と理解しない者ほど、容易に他者へ貴重な糧を渡す」
「軍人からの横流しを、教会は難民に配っていたわけだが……連中は無償で施しをしていたわけではない」
「陽神教への改宗を条件にしていた。飢えに苦しむ者を餌で釣ったのだ.」
「つまりこの騒動の実態は、奉仕活動ではなく布教活動であったというわけだ。阿漕というか姑息と言うか」
「密入国の手引きだが、これがまぁ、何とも失笑を禁じ得ぬ。女や子供など弱き者を優先ではなく、喜捨した者が優先だそうな。何が避難所、何が聖域」
「余とて決して無欲ではないが、司祭どもの強欲ぶりには兜を脱ぐわ」
父王の、教会への不信も露わな説明が、耳を素通りしていく。
「大司祭が介入してこなければ、あの売僧の首も刎ねていたのだがな。密入国を手助けした者は別に居るゆえ、これ以上は追及できぬ。実に残念だ」
聖職者の首を刎ねる機会を逸したのが口惜しいと、唇端を歪ませるその態度。
確信した。
「父上っ!」
確信した。父王にはもう、信仰の心が無い。
何ということだと思いつつも、教会を貶める言葉を聴きたくなくてその言を遮れば、凍てつく視線が私を貫いた。
氷の刃の如きそれに、射竦められる。
「其方は何故、声を荒げる」
「不敬だからです! 聖職者にそんな言いか…」
「余は聊かならず、其方に失望している」
「っ!!」
とくり、と。
こめかみの血管が疼いた。
「其方と、其方の側近にもだ。いったい其方らは、国の危機に何をしているのだ」
父王の、眼が。
「事の仔細、正確な情報を掴むことなく一方からの意見を盲信し、誰も疑問に思わない」
厳しくも、情の籠ったまなざしが。少なくとも私はそう、思っていたそれが。
「王太子がこんな些末事で王のもとへ足を運ぶのを、王の時間を無駄に費やすことを、其方の周囲の誰一人、咎めなんだはどういうことか」
徐々に、その様相を変えていく。
「乳母日傘に育てたつもりはなかったが……」
これが叱責であれば良かった。まだマシだった。
「教会を盲信しすぎ、陽神教に心を傾けすぎる。王太子が、護国を何より憂うべきものが、民の上に立つものが、この大乱の最中これほどまでに狭い視野しか持てぬとは」
だが違う。この変化は違う。
「心せよ。胸に刻め」
私を見る父王の目は、 私の目に映るそれは、 息子を見るのでも、ましてや王太子を見るものでもない。
「陽神教は社稷ではない」
温かさも冷たさも無い、無機質なモノを見る眼。
「烏滸の白痴者と呼ばわれたくなくば、其方は、其方の成すべきことを成せ」
最早、関心無きモノを見る目。
―――例の司祭は数か月後、病で亡くなったとのことだが、それについて私が心に掛けることはなかった。
それどころではなかったのだ。
恐らく、次はない。
思い返せば返すほど、その確信が強くなる。
あの場で父王が私を”公的に”見限らなかったのは、偏に国をこれ以上、混乱させない為である。優先順位的に後回しにされたのだ。
これが平時であれば少しずつ私の周囲を切り崩し、発言力を削いだ後に病死、或いは事故死させていただろう。
既に私には、息子がいる。
『乳母日傘に育てたつもりはなかったが……』
父王の言葉が重く伸し掛かる。蔑むことさえ止めたまなざしが脳裏に焼き付いて離れない。
「どうしたら……」
どうしたら、認めてくれるのか。
二度とあんな視線を中てられぬよう、如何にして父王に私の価値を証明するか?
そんな事を欝々と考え続ける日々に、変化が起きたのは半月後のこと。
軍を率いて出兵せよ、との命が私に下った。
どれほど防ごうと努めても、仕方のないこともある。
大陸を覆う戦乱の波は避け難く、ついにアルティナ王国にも及んだ。
とはいうものの相対するのは、父王が最大級の警戒をしているグリンシーノ帝国ではなく、東の森を抜けた先の草原に生きる騎馬民族の集団である。
従来の彼らは部族ごとに遊牧生活をおくっており、手元不如意になると男たちは戦地へ赴き、傭兵などをして金を稼いでいた。
そんな勇猛果敢かつ大らかな民族であるが、大陸中が食糧枯渇に喘いだこの十年余りで一気に様相が変わった。部族ごとでは生き残れないと察し、一つに統合して大部族を形成、周辺諸国を荒らし始めたのだ。
複数の部族を一つに纏め上げた族長の名に因んで「ゼルググ」と呼ばれているこの大騎兵集団は、平原周辺の小国家を襲撃し、或いは脅しをかけて様々な物を貢がせることで、枯れ果てた平原でもどうにか馬を駆り生き延びていた。
だがしかし、それもそろそろ限界らしい。
天災は止んだわけではない。現在進行形で大陸各地の気候は狂っており、気象異常による被害は続いている。
アルティナ王国でさえ、とある村から人が消えた。冬でも滅多に降らない雪が二階へ届くほどに降り積もった所為である。
三年前の話だが、緊急避難として村から離れた村民たちは、今も故郷へ戻れていない。屋根の上の積雪が村中の家屋を圧し潰してしまった為、帰宅すべき住居が無いのだ。
つまり何が言いたいのかというと、被災地や略奪された町村がその損失分を補填し、常態へと回復するだけの地力が、何処も殆ど無いのである。
小国家規模の人口が何ら生産活動をするでもなく、ただ平原の外縁を巡っては奪い壊し、奪い壊し、消費するを繰り返す。
五年もそんな行為を続けていれば、草原周辺の国は滅んだり、山間部へ後退したりして「収奪する価値のある」都市が無くなるのは必然だった。
そして憎悪だけが膨らんでいく。
最早ゼルググの民を受け入れる国は、東の平野に絶無と言って良い。そこまでのことをしでかした。
因って彼らは彼らを満たすために、遠征をしてでも略奪を続けるしかないのだ。
アルティナ王国への侵攻も、統治が目的ではない。「街が滅びない程度に殺し、捕るれるモノは捕る」である。
未だ力あるうちにと森を超えて我が国へ来たのは、彼らとしてはそれなりに正しい判断ではあるのだろう。
「私たちにとってはいい迷惑だが」
「仰る通りですなぁ」
砦の屋上から砦門前の広場を見下ろしつつ、東方国境警備隊総長である辺境伯と会話をする。
ここはアルティナ王国辺境警備隊と、辺境伯の騎士団が守る国境砦である。
木々を見下ろす高見から辺りを睥睨すれば、視界の果てまで緑の絨毯に覆われているように見えた。見えたが、よくよく目を凝らせば西方では森が途切れている。
つまり、西側から森へ少し奥へ進んだ辺りを開拓し、その均した地をぐるりと石壁で囲った空間に、この砦が建てられているのだ。
東を見ると、こちらは地平の果てまで緑で埋め尽くされて先は見えない。その向こうに草原が広がり、騎馬の民がそこから攻めてくるという話だが……
「道幅は精々、馬車二台分ほど。ここを騎馬で攻めるというのは無謀ではないか?」
誰もが疑問に思うことを、私も口にした。
そも攻城戦というものは、工兵こそが真価を発揮する。
機動に優れた騎馬兵団には全く向かない戦であることは、兵書を開くまでもなく明白だ。
「その通りです。この森を抜けた先で兵を整え、ニーレンを襲撃するというのであれば分かりますし、一昔前には実際に起きていました」
辺境伯にも笑顔で肯定され、ますます訳が分からなくなる。
砦を挟んで東と西へ伸びる道には、あからさまに手入れの差が出ていた。
西へと続く道は一本のみ。きちんと交易路として整備され、敷かれた石畳が森の終わりのその先まで続いている。視界の果てにうっすらと見える建築群こそが、辺境伯の守る街。東の城塞都市ニーレンである。
東へと続く道は、砦前の広場から北北東、北東、東、南東、南南東と幾つも伸びているが、いずれも石畳は視界の届く範囲で途切れ、茶色の土が剥き出しになっていた。
ここへ着く前は小さな森であると聞いていたが、私の目には広大な原生林が何処までも続くようにしか見えない。だが人によると、荷馬車の速度で十日程度で抜けられる森は、小さいという表現が正しいそうだ。
「一昔? 十年前まで、ニーレンは襲撃されていたのか?」
「ええ。この砦はありませんでしたから」
そうだ、と思い出す。砦がこの場に築かれたのは、確か五年ほど前だ。
報告は受けていた。知っていた筈だが、いざ実際に目にするまで情報を引き出せなかった自分にやや落ち込む。
(父王なら、こんなことは無いだろうに……)
以前は城塞都市ニーレンがそのまま関所の役割を果たしていたため、公的な街道以外にも森を抜ける裏道が幾つも作られ、なかなか発見できなかったそうだ。
無論、森の中には魔獣も肉食獣も棲息しているが、この森は小さい為に巨大な魔獣はほぼいない。
「ゼルググの略奪こそありませんでしたが、とにかく隠れ易かった。ですから悪党どもが集まり気味で」
盗賊や逃亡犯などの潜伏場所にされ、商隊がよく襲われていたという。
それだけではない。
「森に潜む盗人どもを懐柔し案内させ、複数の裏道から兵を送り出し、気付けばニーレンの目前に三個師団が迫っていたあの悪夢は、今尚、私どもの間で語り継がれております」
「それが三十年前の、サーリッシュ国特務師団による防衛戦……」
「ええ。酷い戦でした」
辺境伯はここで言葉を濁した。父王と同年代の彼は確か、この戦で彼の祖父である先代辺境伯を亡くしている。
「ですから以前は、騎士団による森周辺の監視が頻繁に行われていました。とはいえ、小さいと言ってもこの広さです。騎士団に見回りさせるのは、そう困難ではありませんが……」
非効率的ではあった。
どれだけ外周を見回ろうとも、森の奥までは把握できない。
「今は森中の砦の、しかも高所から監視できますからね。広く土地を切り開かれれば分かりますし、視界の範囲に見えた細道は全て潰しました。裏道が残っていないとは言いませんが、恙なくニーレンまで辿り着くには、この砦を通る道を行くのが最も安全なのですよ」
「森の中に砦を築くのがそこまで有効であるなら、何故、これまで建てなかったのだ?」
これもまた当然の疑問に、辺境伯は苦笑しつつ答えた。
ほんの僅か、口調に畏敬を滲ませて。
「砦を構えようにも、水の確保が難しくて難儀をしていたのです。ところがですな、十二年前に陛下からの勅令でこの辺りに清水が湧く場所があるから、そこへ砦を築けと。泉は確かにあり、湧水量もなかなかに豊かで、これなら問題ないと判断しました」
そして現在、この砦こそが国境となり、関所となった。以前とは比較にならないほど、東方大都ニーレンの治安は良くなったという。
「天災被害が多発する前に完成し、悪党の巣を掃討する時間が作れたのは幸いでした。でなくば我が領は、かなり悲惨なことになっていたでしょう」
「……また、か」
「は? 殿下、何か仰いましたか?」
「いや、なんでもない」
また父王なのか。
「方向さえ見誤らなければ、森を抜けてニーレンへ行けるのでは? と素人は考えるようですが、甘いというしかありません。何せ歩きにくい。森の土というのは柔らかいのです。四本脚ならまだしも、二本足には特に厳しい。更には木の根が蔓延って凹凸が出来ており、非常に転び易くなっている」
これまで労苦を共にした側近達とは、全て引き離された。
「頭上を枝葉で覆われているために、森は昼なお薄暗く、しかも何処までも続く同じ景色。夜ともなれば完全なる闇ですわ。これでどうやって正しい方向を察しろと。砦の灯りを目印に? いえいえ、木立に遮られて全く見えません」
王都から、教会から距離を置かせて、東の端へ追いやって。
「木に登れば見えると主張される楽観論の方は、是非とも試してみればよろしい。成人男性が登るにはここの木々は細すぎるし、そもそも手の届く高さに枝はないのです。何故なら光が当たる頭上にしか、葉を茂らせる必要が無いですからな」
余計な口出しをするな、されるなとばかり、ニーレンの陽神教会への礼拝にさえ監視を付けて。
「総括すると、踏み均して作られた”人が歩くに適した道”から外れて魔獣の棲む森を行くのは、相当の腕と覚悟、そして胆力、加えて運が必須となります。まず、常人には無理でしょう」
挙句に、父王の偉業を見せつけられる。
「そうか……では、ゼルググという蛮族は、何をするつもりなのだ?」
長い長い辺境伯の蘊蓄を聴き長し、私は本題へと話を戻した。
ニーレンへは攻め込み難くなった。それは分かった。たった今、辺境伯が豪語したように三十年前のようにはいかないのだろう。
騎兵がこの砦へ攻め込む事については、全く得策ではない。それも良く分かる。
だいいち仮に攻め込んだところで、この砦からどれだけの物資を収奪できるのか? 蛮族が最も望んでいるのは食糧だろう。確かに備蓄もそれなりにあるが、話に聞く大部族集団を満足させる量には到底至らないことは断言できる。
「彼らが襲おうとしているのは、この砦ではないのです」
そう答えた辺境伯は、太い指で眼下を指し示した。
砦壁内部、東門前の広場である。
関所があり、民が出入りする区画から完全に切り離されたそこは、砦への物資搬入や騎兵が出入りする為の大門があり、大きな広場となっている。
今そこに八台ほどの荷馬車が繋がれていた。粗末な馬車で、継ぎ接ぎの大きな布が張られている。幌馬車なので中は見えないが、何を運んでいるかはすぐに分かった。
兵達がひっきりなしに、麻袋や樽などを馬車へと運んでいる。恐らくは麦袋や麦酒であろう。干し肉もある。つまりは食糧だ。良く見れば炭や布や灰、水瓶や石鹸、錆びて赤茶けた鍋や釜まである。
「あれは何だ? どこへ運ぶつもりなのだ」
「ここから馬車で一日ほど進んだ場所に、以前は馬休めであった場所があるのですが」
にこやかに辺境伯は続けた。
「最近、そこがある程度、拓かれましてね。難民が生活しているのですよ。つまり難民村ですな」
「難民村だと⁉」
「あれらは、難民村へ送る物資です。無論、王への許可は取ってあります」
「……なっ」
私がした時は叱責したくせに! そんな言葉が喉まで上がりかけ、必死に呑み込んだ。
しかし理不尽だと思う気持ちは止められない。
備蓄から糧食を難民へ分け与える。
処刑された貴族も目の前の辺境伯も、行い自体は同じなのに何故、前者のみが罰せられる⁉
「違いますよ、王太子殿下。貴方は勘違いをしている」
「カルマート卿」
憤りに満ちた私の心を読んだかのように、辺境伯……カルマート伯爵ペイジェア・ヴェインは、太い首を横に振った。
「あの難民村は、囮です。ゼルググ達が襲うのは、あの村なのです。難民たちも承知しています」
「大した物資は無いのではなかったのか」
難民の村なのだ。王国が維持するこの砦よりもなお、乏しい物資しかないだろう。
「そうですね。ですがあの村の人口は日々膨れ上がっているので、我々は頻繁に支援物資を運んでいます。それはかなりの量になるでしょう」
静かな眼差しが見下ろす先で、支援物資とやらが次々と荷台へ運ばれてゆく。麻袋の底が抜けて四方へ転がっていく黒いアレは何だろう。丸い石ころのようにしか見えないが。
「……物資が、難民村まで、きちんと届いていれば」
奇妙なことに気付いた。
広場には荷馬車が並んでいるが、その馬車を引くための馬が見当たらない。加えて警護をする為の軍馬の姿も無い。そもそも騎士の姿がない。
代わりに砦門の向こう、検問を待つ者達が集まったり小休止をとるような小空間に、人が集まりだしていた。それも尋常の数ではない。
ボロボロの服、荒んだ眼―――一目でわかる、難民だ。
関所に並ぶ者達が、あからさまに顔を顰めて距離を置く。
砦兵の誰かが、カン! と一つ鐘を鳴らした。同時に砦門の壁上に弓騎兵がズラリと並び、門下へと狙いを定めて射る構えをとる。
何が始まるのかと目を凝らす私の眼下で、やがて東大門の堀を渡す跳ね橋が降り、ゆっくりと砦門が開いた。
堀の向こうに居た難民たちが一斉に走り出す。無秩序に、ではない。物資を納めた馬無し荷馬車へだ。
誰もが無言のまま馬車の輓具のもとへ行き、長柄を掴んで押し始める。
ゆっくりと東門へと進み始めた。
「荷馬車を、馬ではなく、難民に引かせているのか」
「必ず狙われますので、軍馬は論外。驢馬でさえ惜しいのです。馬車の修理もそれなりに費用が嵩みますし」
全ての馬車を人力で動かし堀の向こうまで進むと、つり橋がゆっくりと上がった。そこで漸く、弓騎兵の構えが解かれる。
だが、彼らはまだ動かない。
壁の向こう、門の外で何が起きているのか。
「今、彼らは腹ごしらえをしているのでしょう。この場での煮炊きは禁じていますが、そのまま食べられる保存食も入れてあるので。何年かぶりの、或いは生まれて初めての満腹を経験しているかも知れません」
「あの人数では、村へ到着する前に喰い尽くすのではないか?」
「かも知れませんね。とすれば、村で待つ者達に恨まれましょう」
ほろ苦く笑う辺境伯の目は未だ、見えない壁向こうを向いている。砦上の弓騎兵達も同様で、弓は降ろしたが微動だにしない。
「腹ごしらえが済むと、村への出発です。木陰に隠していたこん棒や石槍、木の盾などを装備して、馬車を押し始めます……ああ、道端に隠していたのは、武装したままでは砦へ入れないからです。弓騎兵が狙っていますからね」
ゆっくりと、人力で動く荷馬車が進んでいく。その周囲を粗末な武器を手にした男達が油断なく歩く。道端の藪を警戒する男の横顔は、どこまでも硬い。
この先で必ず襲撃を受けると分かっている、死地へ赴く者の面貌だった。
「……難民から、希望者を募ったのです……志願兵の」
こちらを向かず、その巨体と同様、磊落である筈の男は、小さく語った。
「『敵兵の首を一つ持ってくれば、アルティナ兵と見做してその者と、その家族を領内へ入れて保護する』 と」
言葉の意味を暫し考えて、息を呑む。あまりの惨さと悍ましさに戦慄した。
ああ、確かに難民問題は深刻だ。騎兵となると無類の強さを誇る略奪集団も、大問題だ。
しかしこれを解決策と呼んで良いものか。
「無論、違います。良いわけがない。精々が解消策でしょうな。しかもたいそう後味の悪い」
弓騎兵達が難民たちの背中を長く見送っていた意味が分かった気がした。
「それも、父王の命令か?」
「いいえ。提案の一つです。万年雪が一気に溶け出して、貯蔵庫としていた氷室が湿気を帯びたら、というのを前提に、傷み始めた保存食の使い道の一つとして……そして我々は、この案を選びました」
難民による決死隊の結成。
父王はどこまで非情に徹する気なのか。
「万年雪か……北の山脈の東端は、この領地まで届いていた、か?」
「ええ。北北東に少しですがね。陛下がご存知なのは意外でした。地元でもあまり知られていないのですが」
高山であると認識しているし、尾根が北へ続いているのも分かっているが、それが遥か北方まで続いて北の国境となっているとは想像できないらしい。
北の山脈の万年雪は温暖な我が国では珍しいのか、巷間でも比較的知られている。
どれほど下界が蒸し暑かろうと、酷暑と呼ばれる年であろうと、北の山の雪が溶けることはない。我が国の記録を見直しても(確認した者は文官だが、何故、その作業を行ったのかは……言うまでも無いだろう)一度もないそうだ。
それが、溶けた。
どれだけこの異常気象が”異状”であるか、分かろうというものだ。
それにしても、北の山脈の氷室は知っていたが、東の地にも建設していたとは知らなかった。この分だと、私の知らない貯蔵庫が他にも複数ありそうだ。
何故、王太子である私に報告が無かったのか―――
「殿下?」
「いや、何でもない」
私は一つ頭を振った。今、話しているのは氷室のことではない。
「屈強な騎兵相手にあんな粗末な武器で……死にに行くのと同義だろうに……」
「彼らの大半は、今は無きククラック国やその周辺の者達です。亡国の民ですからね。覚悟が違います」
「ククラック?」
ククラックは東の平原にあった小国の一つだ。北の山脈から流れる清水と南から吹く温かい風のお蔭で、水が豊富で温暖な為に、牧畜より農業の方が盛んであった国。
五年間、連続して起きた川の決壊と土砂崩れ。そして雪崩。更に一年前、ゼルググに略奪され尽くして滅んだ。
はた、と気付く。
ククラック国の難民ということは、彼らは風神の信徒ということか。
ゼルググも、というか草原の民や平原周辺の国々は、概ね風の神を信奉している。遊牧民は風の流れや強さ、温度や湿度で様々な判断をするからだ。
忠誠や愛国からではなく金銭の為に戦い、コロコロと主を変える。風向きによって態度を変える彼らは、正しく風の神の徒だった。
すぅ……っと、難民たちを憐れむ気持ちが薄れていく。
風の神の信徒同士で奪い合い殺し合いとは、何とも程度が低い連中だ。風神の司祭は何もしなかったのか。
これが三女神の司祭であれば、必ずや救いの手を差し伸べ、戦となる前に介入し止めに入っただろうに。
風神教徒など、信用に値しない連中だ。
となると、疑惑という名の別の問題が浮かんでくる。
「……仲間の遺骸の首を切って、持ってくる者もいるのではないか?」
「居ないとは言いませんが、それでゼルググを見慣れている我々を誤魔化すのは、相当に難しいかと」
遊牧民の姿形は独特だ。髪型や髭の剃り方、耳飾りも特徴的で、顔には刺青まである。食べているものが違う所為か、馬上に居るのが長い所為か、髪質や骨格も微妙に異なっている。
「実のところ、彼らに勝算が無いわけではないのです。先ほど殿下も仰っていた通り、この地形では騎兵の動きは相当に制限されます。加えて馬でこの辺りへ来るまでに、ゼルググ達は三昼夜ほどかけているので、それなりに疲労をしています。何より数の暴力が通用する。寧ろ……」
未だ、離れていく馬車から目を離さず、辺境伯は続けた。
「寧ろ、獲れた首の奪い合いこそが熾烈なのでは、と我々は想像しています」
寄ってたかって騎兵一人を倒したとして、次は首の奪い合いで難民同士が殺し合う。
「不毛だな」
「確かに不毛ですが、それでも、喉から手が出るほど欲しいでしょう。我が国の保護が」
―――そんな軽口に近い感想を紛れもない現実として受け止めたのは、次の日の昼前辺り。
私はそれを見た。
一つの首を奪い合い殺し合いながら、凄まじい形相で砦へと走ってくる男たちを。
他者を押しのけ、殴り、蹴り落としながら、己一人が助からんとして砦へ向かってくるその姿は、悪鬼もかくやという壮絶さだ。
「開けてくれっ! 首だっ! ゼルググ兵の首を獲ったっ!! 俺はもうアルティナ王国民…グハァッ‼」
「それを獲ったのは俺だっっ! こいつは盗人だっ!! 俺こそガッ……!」
「違うっ! それは俺のだっ!」
上がった跳ね橋の前、水堀の横で、地獄の餓鬼もかくやという争奪戦が行われていた。誰もが返り血を浴び、自らも負傷をしていて、血塗れ泥塗れの凄惨な姿で、これまた悪夢を見そうな白目を剥いた生首を取り合っている。
「なんと……」
首を抱えている者達へ、先程まで共に命懸けで戦っていただろう者達が一斉に襲い掛かる。
絶対に渡すものかと、手にした武器を構えるのは実に自然な流れだろう。やっとの思いで手に入れた首を守る為には、奪おうとする者達を力尽くで黙らせるしかない。
「なんと……」
誰も彼もが、首を欲しがっていた。何としてでも、欲しがっていた。
たとえ、仲間を一人残らず殺し尽くしても。
真っ昼間の光の下で繰り広げられる、これは言葉正しく修羅の場だった。
「なんと浅ましい……」
「殿下」
昨日と同じ砦の屋上から見下ろす、昨日とはあまりにかけ離れた、あまりにも悍ましい光景に絶句する。
思わずの呟きを聞き咎めたのか、昨日と同じ場所で同じものを見ていた辺境伯が、今までとは微妙に異なる口調で声をかけてきた。
横を向くと、辺境伯もまたこちらを見ている。
「彼らは必死なのです。自分を助けるためだけでなく、家族を守るために」
功績を上げた者を民として受け入れる、という契約をした者は、特殊な薄い紙に特性のインクで、己と、己の家族の両掌の手跡を残す。
「掌紋と言いまして、一人一人模様が違うのです」
志願兵達はこれで登録、管理されているという。
申請は一度きり。
記録されていない者が首を差し出しても無効。名前と掌紋が一致しない者も無効。家族の中に一人でも異なる掌紋者が居た場合、全員に間諜疑惑があるとされ、以後、入国は許可されない。
「ですから、誤魔化しが効きません」
「誤魔化し? 誤魔化しならとっくにしているではないか」
説明を受けているうちに、門の外から歓声が沸いた。
幾人かがよろけながら、東の道へと戻っていく。”幾人か”、だ。
それは先刻、怒涛のように押し寄せた者達の数と比べると、背筋が寒くなるほど少なかった。
「そも、今、門前に居るあの者たちが、敵兵を倒したわけではないだろう」
「左様ですな。恐らくは寄ってたかって一人と一頭を狙ったのでしょう。勇敢な者は真っ先に死んだと思います。最後まで生き残り、首を切り落とし、諍いを掻い潜って我々のもとまで無事に届けた幸運な者が、今残っている彼らであっただけで」
跳ね橋が下がる、鎖のぶつかる音が耳障りだった。
そして今度こそ、血臭が漂ってきそうな男たちが、よろけながら門をくぐる。
何人かは蹲ったまま動かない。
「さぞや恨まれましょうなぁ。ええ、恨まれましょう……事実、既に、領内の難民保護地で殺人事件が起きております」
「フン。やはり、風神教徒などそんなモノだ」
「宗教は関係ありませんよ、殿下。心を鬼にせねば生き残れないゆえに、鬼になった。より強く、より狡猾で、要領の良い者が生き残れた。それだけのことです」
吊り橋が降り門が開いた途端、倒れて動けないらしい何名かを、砦の兵達が走り寄って抱え上げた。
門内の広場には既に、救護班が用意されている。
これが意味するところはつまり、
「情け容赦が無いな」
つまり争奪戦が終わって決着が着くまで、砦側は傍観を決め込んでいたのだ。
理由は容易く想像できるし、判断も間違っていないが……吐き気がする。
「えげつないのは先刻承知です」
無表情に、しかし隠し切れない苦さを湛えて辺境伯が呟く。
「ですがこれで、彼らは堂々と我が国で生きていける」
「……?」
辺境伯の語る言葉の意味が分からず、私は首を傾げた。
「物乞いが這い蹲って施しを受けるのとは違う。彼らは我が国を守るために戦い、戦果を挙げた者達です。故に王国内で誰憚ることなく、胸を張って生きることが出来ます。当然の権利として食事をし、住居を構え職を持ち、家族を養うことが」
「……?」
伯はおかしなことを言っている。というか矛盾している。
戦果を挙げたというが、彼ら自身が打ち取ったかどうかは疑わしいと伯は言っていた。その意見に私も賛同する。
あの、見るも無残な”生首の奪い合い”を目の当たりにすれば、そう考えるのが妥当というものだ。
だというのに、偽りだと承知していながらそれを受け入れ、あまつさえ”胸を張って生きていける”とはどういうことか。
それとも疑わしきは罰せず、という精神なのだろうか。
「納得しておらなんだようですな」
聞けば聞くほど眉間の皺が深くなる私の様子に、辺境伯は苦笑した。
「殿下。貴方様はどうやら、陛下があまりにも万事を隙無く整えた為に、何かを盛大に勘違いなさっているようだ」
勘違い? 何を?
ククラックの難民が、私達を欺いてアルティナ王国民になろうとしている。今宵、悪夢に見そうなほどの惨劇を作りながら、厚かましくも平和な我が国へ入り込もうとしているのだ。風神の徒とは、なんと卑しく浅ましいものか。
そして、こんな”間引き”を考えつく、父王の冷酷さ。
この認識の何処が”勘違い”なのか。
「理由が必要なのです。助けても良いだけの理由が。私も、兵達も」
助けられるものなら、哀れという心だけで手を伸ばせるのであれば、とっくにそうしている―――辺境伯はそう続ける。
「だが私には、この土地を守る義務がある。何の役にも立たない、ただ喰うしか出来ない者を大量に置く余裕など無いのです」
正直に言おう。
矛盾に満ちた発言内容は、私には全く理解不能であった。が、辺境伯の放つ威と信念の滲む口調に圧倒され、何一つ反論できなかった。
「……疲れたな」
砦内の貴賓室で、私は長椅子にぐったりと体を投げた。だらしないのは承知しているが、とてもではないが背筋を伸ばして座る気になれない。
血で血を洗うという形容が相応しい、あまりにも凄惨な光景。
剣劇の音ならまだ良かった。それならば聞きなれていた。だがあれは違う。
棍棒やそれに近い何かで湿った肉を叩く音、骨が砕かれる聞くに耐えない音。苦痛や憤激に喉も裂けよと上がる絶叫、死に逝く者の無念に満ちた憎しみの声、怨嗟の言葉。
敵との戦いでならば分かる。戦の倣いと受け入れることも出来よう。しかしこれは、味方同士の殺し合いなのだ。事態の悍ましさは想像を絶していた。
錆びた鉄や手入れのされていない革、長く洗っていない体の皮脂、そして血の臭い。吐しゃ物の酸の悪臭。鼻の裏にこびりつく不快な臭いが、高所に居る私のもとにまで漂ってきた。
湯あみはしたが、今もまだあの臭気が取れていない気がする。
初めて見るゼルググという蛮族の、異様な刺青の施された首。
広場に並べられた、異様なオブジェ。
『十五の首と、百近い死者。ですがまた、難民の集団が到着したそうです。……明日また部下を”志願兵”の募集に向かわせましょう』
『……これは、いつまで行うつもりだ?』
『さて。傷んだ備蓄がある限り、ゼルググの襲撃がある限り、難民が減らない限り……でしょうか?』
『下々の言葉を使うのであれば、これほど胸糞の悪い思いをしたのは初めてだ。何故、こうなる。どうして、こうなった!』
父王と同年代の伯爵は、何処へ向けて良いのか分からぬ私の激情を柔らかな眼差しで受け止めると、やがて落ち着いた声で応えた。
『それは殿下、貴方様が自らが考えて、答えを導き出さねばなりません』
『……』
『その為にこそ、陛下は殿下をこの地へ置いたのでしょうから』
『父王が?』
つい、訝しげに問い返してしまった私へ、辺境伯は大きく頷いた。
『見せたかったのではないですか? 現実を』
『……現実か』
『惨いでしょう?』
『惨く、したのではないか。よってたかって』
『ですがこの措置によって、アルティナ王国に大きな災禍は降りかからなかった』
堂々と顔を上げ、僅かの気おくれもすることなく、東の領土を守って来た男は言い切る。
『祖国を、我が領地を、平穏に維持するよう務める事。それが私の第一義であり、絶対の正義です』
己の中に揺るがぬ基準を、軸を持っている者の安定感。
もし次の一言が無ければ、私は彼を人生の師として仰いでいたかもしれない。
だが、そうはならなかった。
『それもこれも、陛下あればこそです』
『……』
唐突に頭が冷えた。
何故ここで、父王が出てくるのか。
『彼らと我々との決定的な違いは、国王陛下の存在です。陛下が居て、能う限りのことをしてくれた。これからもしてくれる。だから嵐が来ても大丈夫だ、と信じることが出来る』
……それは、どうだろう。
前提として、アルティナ王国民が敬虔で、努力家で、忠誠心に富んでいる愛国者であるから、というのがあるのではなかろうか。
陽神教は晴耕雨読を推奨している。
王都では下層民でさえ、ある程度の文字を読み熟す。陽神教会がそうした場を設けているからだ。
父王の命を、その意味を一人一人が理解し、誠実にきちんと遂行してきたからこその今があるというのであれば、真の功労者は陽神教ではないのか。
『まことの偉業とはこのことでしょう。民の誰をも悪鬼にさせることがない、というのは』
『他国の者は悪鬼に変えるのに、か?』
『殿下……』
それは違う、と私の間違いを指摘されるのだと思った。指摘され、その後、父王の偉大さを語られる。王城では常にそんな感じで、私は心底ウンザリしていたのだ。
だが、違った。
辺境伯は何も言わなかった。
『これだけはご承知おきください。彼らを悪鬼にしたのは、我らの王ではありません』
では誰の所為だというのだ? ―――などと尋ねてもまた、自分で答えを出せと言われるのだろう。
事あるごとに父王の手腕を讃える辺境伯が、私の教育係的な何かではないかという疑惑を誰かに話したことは無い。
あと数年で三十路を迎えるというこの身に、今更、何を教え諭そうとしているのか? 気のせいだと思わなくもない。だが確かに彼は、私をどこかへ誘導しようとしている。
『殿下から見て、国王陛下は冷酷非情でしょうか?』
『それが、王というものなのだろう? 個より全を、情より何より、まずは数字を優先する』
『その通り。天災と戦乱がつづくこの状況下では、それが最も民を救う。……ですが、それだけではないのです』
いかついその顔に、私を見るその眼差しに、憐憫が湛えられていると感じるのはどうしてだろう。侮辱されたとまでは思わないが、ただ不思議だった。
私の何処にも、他者に哀れまれる類は無いのに。
『この策を用いるにあたって、掌紋が綺麗にでるこの特殊紙とインクを、陛下は大量に用意してくれました』
その言葉に、私は密かに慄いた。
つまりそれは、あの眼を背けたくなる光景を幾度も作れと命じた、ということだ。
確かに風神教徒は野蛮で小狡い、卑しい者達かも知れない。しかしそれでも、改善の余地は残されている筈なのに。
よくもそんな酷い事を。
『殿下。殿下が将来治めるこの国には、陽神教徒以外の者もおります。その者達とて、アルティナ王国の民なのです。そのことを忘れないよう、お願い存じ上げます。全ての王国民へ、分け隔ての無い慈悲の心を』
『……ああ』
ああ、そうか。
父王について、不意に私は納得した。
”信仰心が無い”というのは、つまりこういう事なのだ。
心の芯となる、人として重大なモノが欠如している。だから数字で判断する。数字でしか動かない。
『ああ、分かっている。今日の出来事は強烈だった』
真に恐ろしい存在は、父王であると肝に銘じた。
「―――失礼します、殿下。就寝前の葡萄酒をお持ちしました」
重苦しい回想を打ち切るような軽いノックの音。次いで、側仕えの少年からの声がかかる。
「ああ、入ってくれ」
声をかけると木扉が開き、14、5歳の少年が、両手にワインを抱えたまま一礼しつつ、入室してきた。
ヴェイン砦へ到着直後に紹介された、臨時の側仕え。逗留中、私の世話をする彼はカルマート騎士団の騎士見習いらしい。
そう。幼少時から私に仕えてくれた側近達だけでなく、日常の世話をする側仕からえさえ、私は引き離されていた。
指先一つ、或いは目線の動きだけで何もかもを心得て動いてくれる得難い者たち。
彼らの居ない不便さ、心許なさなど、父王は想像もできはしまい。
「今宵の銘柄は『朝暉の言祝ぎ《ちょうきのことほぎ》』です」
……ん?
就寝前の、つまりは寝酒の名が「朝陽の祝福」?
聊かの不自然さに、運んできた少年へ視線を向けると、少年もまた真摯な瞳でこちらを見ていた。
「『倒景の光輝』ではないのか」
「はい。これから曙を臨まれる御方に、夕の日脚は相応しくないかと……”女神の加護は常に貴方様へ”。尊い御方」
そうしてコルクを抜いた葡萄酒をデキャンタへ移し替えながら、その注ぐ音に紛れるようにして少年は私へ囁いた。
「大司祭様より お話は伺っております。幼き頃より共に有った方々とは離されてしまったそうですが……ご安心ください。これからは及ばずとも、私たちが」
「……おお……」
私は瞠目した。胸の奥から込み上がる何かに体が震え、視界が淡く滲んでくる。
目の前の少年が、奇跡のように見えた。
居たのだ。
側近達以外にも、私を案じる者が。天に輝く女神たちは、決して私を見捨ててはいなかった。
ここ数か月の欝々たる気持ちが、一気に軽くなったような心持ち。
「私は彼らを救えなかった。未だ力無き身が不甲斐ないことだ」
「とんでもございません。国王へ抗議までしてくださったではありませんか」
そうして少年は膝を折り、深々と頸を垂れる。
「取り零される弱き者へも救いを、と望まれる王太子殿下の御志の高さは、大司教様も重々、承知しておられます」
無論、まだ何も解決していない。それは分かっている。
だが少なくとも、私は世界に独りではないのだと確信することが出来た。
とても久しぶりに、唇が笑いの形へ綻ぶのが分かる。喜びが伝わったのか、少年もまた嬉しそうにほほ笑んだ。
「女神に感謝を」
「「光は常に 我らとともに」」
王都から東の城塞都市ニーレン。更にニーレンから東森の砦まで。私は王都より、王太子親衛隊を率いてやって来た。
親衛隊の面々は皆、高位貴族の子息であり、つまりは実戦経験に乏しい。
では、そんな集団をきな臭い国境へ派遣する意味は?
まるで無いはずだ。
東方遠征と言いつつ、実態は戦意鼓舞の為の王族派遣である。先日の一件を見ても分かる通り、戦闘をする可能性は限りなく低い。
「この森は枯れないのか」
三度、砦の屋上を訪れた私は、周囲を睥睨しつつ疑問を口に乗せる。
ニーレンまでの道のりで、多くの枯れ果てた林を見てきた。畑の畝に並ぶ野菜もどこか弱弱しく、飛ぶ鳥たちの羽ばたきにも力が無い。我が国の殆どが信奉する三つの太陽ですら、その輝きがどことなく空虚な気がした。
王宮や王都に居ては分からない異常を実地で理解できたことだけでも、収穫はあったと思いたい。
しかし不思議なことに、この森は未だ青々とした緑に覆われていて、奇妙に瑞々しいのだ。少なくとも私の視界の範囲はそうだった。
「カルマート領は三年前まで降水量の低下、つまり雨が降らずに困っていたのですが、この森にはどうやら、地下水があちこちで湧き出して、行き渡っているようです」
答えてくれたのは、先日の騎士見習いバージェットである。
今日は辺境伯ではなく、この少年が傍に控えていた。
「今は逆に山頂の雪が溶けすぎて、川の水量が増えて難儀をしているのですが……この森はそうですね。あまり変化は見られませんね。ああ、変化と言えば」
ここ数年、魔獣の数が増えているのだと少年は告げた。
「ここ数年……、難民村が出来た頃からか」
「はい」
二人そろって顔を顰める。何故、増えたのか? などと愚問を口にする気も起こらない。
「こちらから打って出てゼルググを―――ということは無い、か」
ここは戦地ではない。あくまで国境である。そして国境警備隊に望まれているのは、侵入させないことと、無難に堅実に守り切ること。
王都で勅令が来たときは、戦場で名を上げる契機を与えられたのかと胸を躍らせたのだが……
「これでは、華々しい戦果など望むべくもない」
帝国との最前線へ密かに送られた精鋭部隊に僅かな羨望を覚えもしたが、それが稚気だという自覚はあった。
グリンシーノ帝国軍と、西北一帯を占める小国家群による同盟軍は、巨大な湖を挟んで膠着状態に突入している。帝国側は南方の地へ進みたいようだが、かなり手前の段階で苛立ちつつも足踏みしている感じだ。
蹴散らし、踏み潰して進む予定だった小物の地が、思いの外、巧妙な連携をとって手こずらせている。特に地の利を活かした夜襲は、流石の帝国軍もお手上げらしい。
ふと、父王の手にあった詳細な地図を思い出す。ついで山野を、昼夜を問わず走り抜けられる、貴重な犬型魔獣の調教……
各国の仲介をしたのがアルティナ王であり、盾となった国々へ多大な支援をしていることは、既に公然の秘密だという。
「恐らくは支援だけではないだろう。もっと露骨に明確な指示を飛ばしている筈だ」
あの地図が、大陸全体を記したものの一部分であるなら。
そして父王の名声は、国内だけでなく大陸全土へ広がることになるのだ。
だというのに、
私は、こんな東の片隅で。
「王太子殿下」
沸き上がる焦燥を胸に拳を握る私を、温かくも優しい声が宥めてきた。
「勲を上げたいお気持ちは重々。ですがここはご自制を。掛け替えのない御身ですから」
「……ああ、分かっている」
分かっているとも。
掛け替えのない身では”ない”ことなど。
父王は既に、私を切り捨てたくて仕方ないのだろう。さもなくば、激務が続く王都から王太子を引き離すなどあり得ない。
それでも私は正式な手続きを取った、法的に認められたアルティア王国王太子だった。
一国の王太子が、突然に命を落とすわけにはいかないのである。この身に要求されているのは”なんの準備もしないまま”命が奪われないこと。
命を落とすことがあるとすればそれは、予定調和の中で成されねばならないのだ。
何といっても、アルティナ王には息子が私一人しかいない。
大国であるにもかかわらず直系王族に未婚男子が私の息子一人しかいないのは、こればかりは天の思し召しと言うしかなかった。
妾腹も含めれば、私には姉が三人、妹が六人いるのだから。
彼女たちは既に他国へ嫁いでいる。
「……父王はどこまでを読み、手を打っていたのか」
海に面した港があり、交易と航海技術に長けた国、森の中にあり木工技術に長けた国、織物や染色技術に優れた国、大商人の大商人による大商人の為の自称共和国・別名黄金都市―――姉や妹たちが嫁ぎ、縁を結んだ国々―――を思い返せば震えが来た。
どの国も、我が国が優位を保ちたい取引国である。
今、その全てから救援要請が来ていた。
勿論、父王は余剰分からの手配を命じ、支援を行っている。まるで急使が来ることが分かっていたかのように、速やかに。
どれほど荒れ狂おうが、嵐はいずれ必ず去る。
築いた南の防衛線をついに越えられず力尽き、帝国が南方遠征を中止して撤退を始めたのは、武力や兵力が足りなかったからではない。
複数の国家でほぼ同時に発生した、疫病が原因であった。
喰い散らかしながら死山血河を築いて進んできた、人のカタチをした蝗の群れは、病によって倒れたのである。
病から逃げようとする者と、病の蔓延を阻もうとする者。攻め手も守り手も死兵と化した結果、恐ろしく陰惨な出来事があったらしいが、風聞以上の話が我が国の王宮まで届くことは無かった。
ともあれ、戦時ということでそれなりの出来事があるにはあったが、帝国の圧倒的な残虐さには比べるべくもなく。
アルティナ王国の戦果をみれば全戦勝利。結果として領土は広がった。
瞠目すべきは、その後の父王の采配だろう。
「父上、ここは、ダンダス王国は属国にしないのですか? 金鉱脈を持つ国ですが……」
「いかん。あそこの民は郷土愛が強い。しかも気難しい。我が国の至らぬ者が属国扱いでもすれば、へそをまげて梃子でも動かなくなる。実に面倒だ」
「はぁ。ではいっそのこと滅ぼしてしまえば」
ジロリ、と睨まれる。迂闊なことは口にするなという無言の意。
「王太子よ。我が国に、鉱山関係者はどれだけいる?」
「詳しくは知りませんが、さして多くはないかと」
我が国は森と河と平野の国だ。農業と畜産が主である。山に生きる民は北の山脈にしか居ない。
「単純な力仕事の鉱山労働者が一千名ほどだ。技術者はおらん」
「意外と多いのですね」
「……あの国には未発見の鉱脈が未だ眠っており、それを探す専門家がいる。民は何代も前から住み着いて、山を知悉している鉱山技術者や鉱物の扱いに慣れた職人が多い。全てを滅ぼす気か」
語調から、それが下策だと言いたいことは察せられた。
だがそれでも、
「金鉱脈の採掘権くらいは」
「黄金に目を眩ませるな。採掘権があっても、採掘するのは彼らになる。指定された場所を掘ったことしかない者が千名では話にもならん。それとも技術者は生かしておいて奴隷にするか? 炎神を奉じる彼らに何かを強制するのは、まったく得策ではないぞ」
単なる一平民であっても、気に入らなければ自国の王の命令にさえ従わない。そういう民族だと聞いて唖然とする。
「ナジェル国のように皆殺しにすべきです! 王命に従わない者など徹底排除するべきでしょう!」
「疲弊しすぎて疫病をだした国と一緒にするな」
一応、対外的な「王」は居るが、実態は部族連合とでもいうべき合議制の国なのだという。王より発言力のある者や、権限が強い者がいるのだと。
「初耳です」
「だろうな。彼ら自身、公にしておらん」
周囲が王制国家ばかりなので、妙な干渉をされたくないのだろうと父王は語る。
「しかし、これを看過など!」
「くどい。それに、論点がずれている」
父王の態度はにべもなかった。
いい加減、苛立ってきたのだろう。顔の前で掃うように手を振ってこちらの言を遮る。
「頑固で融通が利かないが、ダンダスは実直な律義者が多い。我が国の名を唱えながら物資を配ってやれ。民は恩を感じ、以後、我が国の商人を優遇するだろう。無論、国家間では色々と取り決めるが、それはそれ」
本音を言うならどうにも納得がいかなかった。民草とは総じて愚かなモノであり、即物的であり、喉元を過ぎれば熱さを忘れる者たちだ。
私の表情は言葉より雄弁だったらしい。父王は苦笑を浮かべながら先を続けた。
「其方の言いたいことも分かる。我が国は商人が多いゆえ、利で動く者たちを基準に考えがちだ。が、余は彼らの民族性を心得ておる。恩着せがましくない態度の方が、返って恩を感じる連中だ」
―――その言葉が正しいと証明されたのは数年後。
白金と銀の繊細な細工を施し、恐ろしい数のカット面を持つ、握り拳大の金剛石を先端に飾った黄金製の王笏を献上された時である。
「選び抜いた最高の素材を、当代きっての職人達が磨き上げ、精魂込めて造り上げた逸品にございます」
そう語るダンタス国の使者の顔は恭しげというより、いっそ誇らしげでさえあった。
「匠たちの極みの結晶。向こう三百ルク(年)、これを超える笏は造れないでしょう」
手掛ける者たちの熱意が違っていたという。単なる注文依頼ではここまでのモノは造れない、と。
「我々の、陛下への感謝の気持ちです。お納めください」
天窓から射しこむ光が磨き抜いた金剛石を燦然と輝かせ、反射光が黄金の玉座を、玉座を飾る宝石を更に煌めかせる。
幻想的な、あまりにも幻想的な光景。
世に二つと無い王笏を手に、首を垂れる者たちを玉座から睥睨する父王の姿は、威厳と光に満ち溢れていた。
その存在自体が「力」だった。
思うに。
思うにあの頃が父王の、アルティナ王国の全盛期であった。
そして私を含めた全ての「光の民」は、間違えたのだ。
……冴えないオサーンの独白にどれほど需要があるだろう?
やはり読み手が求めるのはケチョンケチョンではなかろうか。
というわけで、ただ今後編を書いております。ケチョンケチョンを真言として書いております。
※ 後半をかなり書き足しました。