3-15 どこまでも速く
開放最終日の朝、出張受付のソフィさんは、入場札を渡しながら、指を三本立てた。
「最終日ですからね! 鐘は三回! 三回目までに、絶対に、外へ! いいですね!? 特にハヤトさん!!」
「なぜ名指しなんですか」
「日頃の行いです!!」
解せない。うちほど手順書に忠実なパーティーは、この街にいないというのに。
完成したビルドの初陣は、迷宮の三層に決めた。
開放期間の最終日。人の流れは五層の宝物庫に集中していて、三層の「歯車回廊」は、いい具合に無人だった。ここは歯車蜘蛛と門番の中間種、『回廊の走り手』が群れで湧く。速い、数が多い、でも一撃は軽い。今の俺の検証相手として、これ以上はない。
前夜の作戦会議で、ノエルさんは「私も行きます!」と手を挙げた。
「打ち手として、ヴェインの初陣を見届ける義務があります! 記録も取ります! 刃の挙動、消耗、全部! ……あと単純に、見たいです! すっごく見たいです!」
「正直でよろしい。では観戦と記録係で。エルシーさん、守りの帳を、ノエルさんに」
「はいっ。お任せください」
かくして、初陣の観客は二名。会場は無人の歯車回廊。悪くない舞台だ。十二年待った初日の幕が、身内だけの貸切公演というのも――むしろ、うちらしい。
回廊の入り口で、最後の点検をした。ヴェイン二本、鞘の滑り、よし。執念の指輪、ミサンガ、よし。ポーションの位置、逃走経路、よし。……最後に、襟元から、鋼の歯車のお守りを出して、ひとつ、握った。
「あっ、ハヤトさんもやってる」
見れば、エルシーさんも錫杖の柄に結んだお守りを撫でていた。ノエルさんが「効きますからね、それ! 打った本人が言うんだから間違いないです!」と親指を立てる。迷信も三人でやれば、験担ぎである。
「エルシーさんは、あの高台の窪みへ。ノエルさんは観戦と記録係、その隣で。……祝福、お願いします」
「はいっ。主よ、彼の者に迅きを――どうか、目一杯に!」
詠唱に情がこもるようになったのは、いつからだったか。
追い風が、灯る。
――ここで、この世界の一番美しい仕様の話をさせてほしい。
攻撃速度は、乗算で積み上がる。
足し算じゃない。掛け算だ。ヴェインが一本で一・八倍。二本なら、その二乗で三・二四倍。そこに祝福が掛かる。挑戦者が、格上の群れとの差を丸ごと掛けてくる。命知らずが、体力差の分だけさらに掛ける。称号の端数、コンマ数%の小銭たちまで、全部が全部、掛け算で膨らんでいく。
誰も拾わない小銭を、十二年拾い続けた男の資産は、複利で回る。
――行こう。
踏み込む前の、ほんの一瞬。あの夜のことを、思い出した。
深夜三時の過疎エリア。カカシに向けて押し込んだ攻撃ボタン。凍りついた画面と、『サーバーとの接続が切断されました』の文字。あそこで途切れた俺の「全力」の続きを、十二年越しに、いまから振るのだ。
サーバーは、ない。止まる世界も、ない。
回廊に、俺は踏み込んだ。
走り手たちが、一斉にこちらを向く。十二。多い。多いほど、いい。
最初の一体とすれ違いざま、二刀で四撃。継ぎ目、軸、腱、目。走り手が転ぶより早く、俺は二体目の懐にいる。読み合いは、もう始まる前に終わっている。機械の予告は正直で、俺の目は十二年、正直者を見続けてきた。
その二体目は、跳びかかろうとした。跳べなかった。
後ろ脚の歯車が、カチ、と一鳴りする間に三撃。姿勢が崩れる。組み直す。カチ。三撃。崩れる。組み直す。カチ――走り手は、自分に何が起きているのか、最後まで分からなかったはずだ。攻撃の「準備」だけを延々と繰り返して、一度も「攻撃」に辿り着けないまま、静かに機能を止めた。
相手の時間を奪って、自分の時間に変える。理屈で知っていたその言葉の、完成形が、いま、この手の中にある。
三体目、四体目。
速い。俺が、ではない。世界が遅い。走り手たちの跳躍が、空中で止まって見える。振り上げられた鉄脚の、軌道の根元が見える。当たらない攻撃は、もはや攻撃ではない。ただの、隙間の多い置物だ。
素の三倍までなら、目のいい剣士はまだ追える。五倍で、常人の目は置いていかれる。――いまの俺は、七倍の世界にいる。振り終わったあとから、刃鳴りが束になって遅れて届く。
そして、挑戦者と、命知らずが、本格的に乗ってきた。
格上の群れとの「差」が、燃料になって、腕に、足に、流れ込んでくる。一段。また一段。世界が、階段を下りるみたいに、ゆっくりになっていく。俺だけが、階段を駆け上がっていく。
五体目を過ぎたあたりで、俺は気づいた。
笑っている。また、笑っている。
だって、そうだろう。十二年だ。十二年、この速度は画面の向こうにしかなかった。サーバーが重くなり、入力が粘り、エフェクトが省略され、最後には世界ごと落ちた。運営に頭を下げられて、倉庫の奥に封印した。俺の速さは、ずっと、誰かの迷惑だった。
ここでは、違う。
振っても、振っても、世界は落ちない。空は青いままで、歯車は回り続けて、俺の速さを、誰も止めない。
「はは……!」
六体目を沈めたところで、背中の追い風が、ふ、と薄くなった。
「祝福、かけ直します! ――主よ、彼の者に迅きを!」
エルシーさんの声が、回廊に澄んで響く。合図も要らなかった。彼女はもう、俺の速さの「呼吸」を知っている。切れる半拍前に、次の追い風が灯る。この連携だけで、白湯が三杯飲める。
八体目。九体目。二刀の軌跡が、自分でも追えない領域に入る。なのに不思議と、怖くない。速さの中は、静かだった。音が置き去りになった世界で、俺の呼吸だけが、正確に時を刻んでいる。
十体目、十一体目。
不思議な感覚があった。回廊の歯車の回転と、俺の呼吸と、二刀の拍子が、どこかで噛み合っている。こち、こち、と時を刻む迷宮の心臓の上で、俺の速さだけが、その刻みの「間」を自由に泳いでいる。噛み合わぬ歯車は、風にだけ油を差した――ゲイルの銘の文句が、ふいに、腑に落ちた。そういうことか、歯車の神さま。
そして、最後の一体を前にして――俺は、少しだけ、速度を緩めた。
高台の二人に、ちゃんと見えるように。祝福をくれた人と、この二刀を打った人に、完成形の一太刀を、目に焼き付けてもらえるように。呼吸をひとつ。正面から、まっすぐに踏み込んで――一閃。
十二体目が、両断されて、崩れ落ちる。
回廊に、静寂が戻った。
――――――――――
称号「回廊の疾風」を獲得
(条件:歯車回廊の敵群を、被弾なく単独で殲滅する)
効果:攻撃速度 +0.5%
攻撃速度:6.86 → 6.89
――――――――――
――六・八六。表示の意味は、素の俺の、およそ七倍。
ここで少しだけ、数字の話をさせてほしい。
短剣の一振りは、普通の剣士で、およそ〇・七秒。毎秒、一・四回。
俺が昔いた世界の、ボクシングの軽量級には、最速のジャブを毎秒四回打つ世界王者がいた。一発あたり、〇・二五秒。打って、引くまで、で。人体の限界、神業と呼ばれた回転数だ。
攻撃速度七倍の短剣は――毎秒、十回振れる。一振りあたり、〇・一秒。振って、振り終わるまで、で。
ゲーム風に言えば、六フレームで一振り。昔のフレンドに格闘ゲームの猛者がいたが、あいつが聞いたら、コントローラーを置いて正座する数字だと思う。
いまの俺の刃は、あの神業の、二倍半の回転で回っている。フルバフの戦闘時限定とはいえ、立派に、人間をやめた数字である。
――ただし、白状しておくと。
サーバーを落としたあの夜の俺は、この比ではなかった。十二年ぶんの称号と、完成しきった装備と、バフの全部乗せ。あの晩の回転数と、一発ごとに走る判定の束を思えば、今日の毎秒十回など、まだ挨拶のようなものだ。
……先は長い。長いが、それがいい。登る階段が長いほど、頂の景色は高くなる。
そしてそこに、またコンマ五「パーセント」が掛かった。誤差だと笑うだろうか。とんでもない。七倍の上に掛かるコンマ五は、素の俺にとっての称号七個ぶんに相当する。乗算の世界では、道端の小銭も複利で化けるのだ。
街道を歩いた「健脚」が。夜明け前の「早起きの鳥」が。猫たちの「猫のともだち」が。あの日、誰にも見向きされなかった小銭たちが全部、いまこの七倍の中で、複利になって回っている。積み上げは裏切らない、とはよく言うが、正確にはこうだ。
――積み上げは、掛け算で返してくる。
この小さな一段が、いまは何より嬉しい。頂への階段は、こうやって、一段ずつ増えていく。
「――ハヤトさーーん!!」
高台から、二人が駆け下りてきた。
「すごい、すごいです!! もう、何がなんだか、途中から残像しか見えませんでした!!」
「記録係、断念しました!! 見てくださいこの帳面!!」
突きつけられた記録帳は、最初の二体ぶんこそ図らしきものが描かれていたが、三体目からは線が暴れ始め、後半は、ただの勢いのある斜線で埋まっていた。
「筆が追いつきません!! なんですかあれ!! 私の打った子、あんなに速く振ってもらえるんですか!? 鍛冶師冥利に尽きるんですけど!?」
興奮のあまり二人同時に喋るので、内容が渋滞している。俺は息を整えながら、正直な感想を告げた。
「……楽しかったです。人生で、いちばん」
二人が、顔を見合わせて笑った。
「「知ってます」」
声が、揃った。
それから俺たちは、静かになった回廊の隅に座って、水筒の白湯を回し飲みした。ノエルさんは断念した記録帳の斜線を眺めて「これはこれで、速さの記録として正しい気がしてきました」と真顔で言い、エルシーさんは「次はもっと、いい席で見ます」と観戦の反省をしていた。次があるのか。あるのだろうな、うちのことだから。
迷宮の天井で、大歯車がゆっくり回っている。十二年前、画面の中で見上げた景色と同じで、ぜんぜん違う。あの頃の俺に教えてやりたい。お前の設計図は、いつか本物の風になって、仲間と一緒に、この回廊を走るぞ。
――攻撃速度、フルバフ実効で素の約七倍。最大体力、1。
まだだ。祝福の重ねがけも、固定ダメージの仕込みも、称号の海も、手つかずで残っている。頂は、まだ遥か先。
でも、確かなことが一つある。
この世界で俺は、どこまでも速くなれる。そして隣には、それを一緒に喜んでくれる連中がいる。
十二年前の俺に、教えてやりたいくらいの話だった。
第三章「鍛冶師編」、これにて完結です。
増量した章に最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
呪いモノと呼ばれた短剣が、十二年の夢と出会って、風になるまでの章でした。
明日20時より、第四章「剣士編」が開幕します。
閉鎖間際の迷宮で――あの人と、出会います。
初めての小説投稿なので、投稿者視点で思ったことをば。
以下の定型文、割と皆さま本気で思って書いてると思います。
私もです。
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ブックマークも大歓迎です。作者の執筆速度にバフがかかります。




