変わり者の薬師(後編)
天界樹の中は、ざっと見渡したところ期待したほどじゃなかった。この辺りの森の植生とあまり変わりがない。
まずそもそも、この辺りの大森林自体が結構変わった植生をしている。例の白い花を咲かせる草とか。
我が国に広がる大森林にも白い花を咲かせる草はあるのだが、この辺りに生えているものとは姿形が似ていても全く効能が違ったりする。
うちの国のは獣避けに使うような、強烈な刺激臭を発するのだ。
花や葉の形はよく似ているが、私は別の種類の植物だと思っている。
天界樹の中は、小さな草が一面に茂る草原のようになっていた。かなりの広さがある。
そしてその広い草原の真ん中あたり。
周りよりも丈の高い草が生い茂っているところに、草に隠れるように小さな小屋が建てられていた。
小屋の前には竃が組まれており、かけられた鍋から湯気が立っている。
謎のバーラート人は……辺りにはいない。小屋の中にいるのだろうか。
鍋から漂う甘ったるい匂いに、私は顔を顰めた。この匂いは……鍋の中を覗いてみると、思った通り桃色のねばねばした半固形の物体がぐつぐつと沸いている。
「わぁ。きれいな色ですね。しかも甘くていい匂い」
私の横から鍋をのぞき込んだカリンが無邪気な声を上げる。
私は鼻をつまみつつ腰の道具袋を漁り、真っ黒い丸薬を取り出した。
竈と鍋には目もくれず、フェリスは小屋の扉に耳を張り付けて中を窺っている。カリンは、例によって私の左横にピタリと付いてくる。
「小屋に踏み込むよ。僕が正面から入る。マリーとカリンは裏口に回ってくれ。もし裏口などから彼の者が飛び出してきたら確保してほしい」
「フェリス! ちょっと待っ……」
そう言うや、フェリスは扉を開けて素早く中に入ってしまった。私は慌ててフェリスの腕を掴もうとしたが、一歩遅かった。
さっきまであんなに優柔不断だったのに、いきなり思い切りがよすぎじゃないかしら……あとで困っても知らないからね。
溜息を吐いた私はカリンちゃんを招き寄せ、「はい、あ~ん」と声をかけた。
訝しげな顔をしながらも、あ~ん、と口を開けてくれた素直なカリンの口に、今しがた道具袋から取り出した丸薬を放り込むと、私も自らの口にその丸薬を入れる。
「……うっ! ゲホッ! 苦! 苦っっ!! マリーさん、なんですかこれは!?」
口の中に放り込まれた丸薬の味に苦情を言うカリンに向かって、口元に人差し指を立てて「しー!」と合図をしつつ、私はフェリスに続いて小屋の中へ滑り込んだ。
「マリーさん!?」
小屋に滑り込んだ私に、驚いた声を上げつつ慌てて私に続くカリン。
私たちが外で待機せずに小屋の中に入ってきたので、先に入ったフェリスは驚いて私たちを見る。そんなフェリスを目で制すると、私は背中に背負った弓を取り出し、構える。
小屋の中は一部屋のみだった。奥の壁に向かって机があり、こちらからは背中を向ける格好で椅子に座った例のバーラート人が何やら作業をしていたが、私たちが入ってきたことで素早く振り向いた。
私の予想通り、顔の下半分を布で覆っている。
「突然失礼するよ。僕たちは怪しいものじゃない。君に聞きたいことがあってお邪魔させてもらっ……」
フェリスが言うが早いか、ガタンと席を立った例のバーラート人は机の上に飛び乗って壁をぐっと押す。
すると板張りの壁の一部が外へと倒れ、人一人が潜り抜けられる大きさの窓が出現した。
私はすでに手にしていた弓に、これもすでに矢筒から抜いて指の間に挟んでいた三本の矢のうちの一本をつがえて放った。
ヒュン!
風を切る音とともに矢は飛んで行き、今しも隠し窓から外に出ようとしているバーラート人の服の袖に突き立つ。体には当てずに、服の裾を机に縫い留めた。
私は続けて二本目の矢を弓につがえる。
バーラート人は、机に縫い付けられた袖を思いきり引っ張った。袖は音を立てて破れ、腕の自由を取り戻したバーラート人は再び窓から外に躍り出ようとする。
ヒュン! ヒュン!!
私は指の間に挟んでいた矢を今度は二本、続けざまに放った。
一本はバーラート人が窓を踊り超えようと机に乗せていた靴先に命中し、その足を傷つけることなく靴ごと机に足を縫い留めた。
私はそれなりに優秀な射手なので足の親指と人差し指の間に矢を突き通したはずだ。ちゃんとフェリスの言いつけを守り、彼の者の体には傷一つつけていない。
……相手は私のお小遣いのタネである白い花の草を全部引き抜くという、万死に値する悪行をしでかした人間である。手元がうっかり狂いがちな場面ではあるが、優秀な私は公私を分けて雇い主の命令を忘れない。おほほほ。私って優秀よね。
そしてもう一本は……
窓枠の上部。窓から外に躍り出ようと机に乗ったバーラート人の鼻先を掠めて壁に突き立っている。
顔面スレスレを通過した矢にさすがに肝を冷やしたか、バーラート人の動きが止まった。
矢筒からさらに一本の矢を引き出し、弓につがえながら私は言った。
「次は体に当てるわよ。観念してそこに直りなさい、ご禁制のケシの密栽培者さん」
靴を机に縫い留められたバーラート人は、机の上に乗ったまま両手を上げた。
「待ってくれ。私は怪しい者ではない。この国の大森林の豊かな植生に惹かれて研究をしているしがないいち薬師に過ぎないのだ……それにしてもなんたる腕だ。これでは逃げ出してもすぐさま背中を射られてしまうではないか。降参だ!」
顔の半分を布で覆っているためくぐもった声だったが、バーラート人の声は意外な響きだった。
かなりの美人顔で中性的な見た目をしているのにその見た目からは想像もつかない、例えるなら鈴が転がるような、幼女のごときかわいらしい声なのである。
このギャップは正直ずるい。キャラが立ちまくっているではないか。顔と声が全く合っていないのだ。そして喋り方がまた何とも男っぽい。この顔と喋り方で声は幼女とか……
見た目通りの落ち着いた声質なら、男のような喋り方をする中性的な魅力のある謎の美人に見えたのだろうが、いかんせん声が幼女なので違和感が半端ない。
どうやら、ケシの密栽培をしていた『薬師』は女性であることは確かなようだ。
「へえ? 植生に惹かれて研究をしていると? その割にあの滝壺に一面に咲いていたケシに水をやったり花の後にできた果実にナイフで傷をつけたりしていなかった? 研究というより明らかに栽培してるように見えたんだけど。あなたってバーラート人よね? 確かバーラート王国ではケシの栽培はご法度じゃなかったかしら。もちろんこのアルメニアン帝国でもご法度なんだけど」
「なっ! ちっ、違うぞ! あの花はもともとあそこに群生していたのだ! 色とりどりできれいな花だからなんだろうと思って観察していたにすぎない! はっ! さっきからケシがどうのと言っているのが不思議だったんだがあれがもしやケシなのか!? し、知らなかったぞ!!」
思いっきり目を泳がせながら幼女のような高いかわいらしい声で弁解をする彼女。「さっきからケシがどうのと」のくだりでは高い声が裏返っていた。とぼけ方が下手すぎる。私はちょっと面白くなってきた。
「私は以前からこの森に出入りしているから知っているけど、あの滝壺にはケシなんて生えていなかったわよ。ちょっと見ない間に生えているものがそっくりケシに変わっているなんてことがあるわけないでしょ! さあ、正直に言いなさい!! 前に生えていた草はどうしたの!?」
「な、な、何のことだ……あそこに生えていた白花草なんて、生えていなかったぞ。私があそこを見つけた時はケシの、い、いや、なんかよくわからん綺麗な大輪の花が一面に咲いていて『わあきれいだなー』と思ったからあそこに出入りしていたのだ」
額に脂汗浮かべながら口を滑らせまくる彼女。焦りからなのか、喋っている内容がおかしなことになっている。
自分から白い花のことを喋ってしまうあたり、この人は嘘がつけない人なのだろう……つまり人が好いのだ。まず悪者ではなさそうである。
しかし、私はさっきから面白くなってきていた。意地の悪い笑みを浮かべた私は、嘘の下手な彼女にさらにツッコミを入れる。
「あれぇ? 私、以前に生えていた草が白い花の草だって言ったかしらぁ? 前からケシが生えてたんでしょ? なんで白い花の草なんて生えていなかったって急に言い出すのかしらねぇ??」
「はっ! し、しまったっ!! 何という巧妙な誘導尋問だっ!!」
私は別に誘導なんてしていない。自分からぺらぺらと口を滑らせる彼女に、笑いが込み上げてくる。
そもそもが幼女声なのに喋り方はまるで男みたいなのだ。その時点ですでに面白いのに、あの落ち着いたミステリアスな美女の雰囲気の見た目で、言い訳の内容までまるで幼女並みなところがなんというか、嘘の下手さ加減に毒気を抜かれてしまう。
「私が誘導尋問する前に自ら喋ったんじゃない。それにしてもなんでそんな男みたいな喋り方なの?」
私の問いに額に脂汗を浮かべつつ、目を泳がせていた彼女が急に落ち着いた口調で答える。
「それはこの声のせいだ。幼女みたいな声なので舐められないよう、言葉遣いに重厚さを持たせているからに決まっておろう」
……どうやらこの『薬師』、相当な変わり者のようだ。憎めないやつである。
私はフェリスに向かって口を開いた。
「この人、嘘つくの下手すぎ。聞けばなんでも喋りそうだから尋問もすぐに済みそうよ」
私がフェリスに話しかけたその瞬間。『薬師』が逃げ出さないよう彼女の横に立って監視していたフェリスが、どさりと床に崩れ落ちた。
「フェリス!!」
ぎょっとした顔をしてカリンがフェリスを抱き起こした。しかし私は、矢をつがえた弓を油断なく『薬師』に向けたまま、彼女に言い放つ。
「私たちが尾行ていることに気付いていたのね、庭先で眠り薬を焚くなんて。でもお生憎様。私たちにあの薬は効かないわよ」
愕然とした感情を、布で覆っていないその両目に表す『薬師』。
「な、なぜ? なぜあの眠り薬のことを知っている? そしてお前たちはマスクもなしになぜ平気なのだ!? その男は薬が効いて昏倒したというに……」
私は、口の端を持ち上げてニヤリと意地の悪い笑みを浮かべる。
「なぜ? それはね。あの眠り薬を開発してバーラートのお役人に教えたのはこの私だからよ! 自分が作った薬だもの。当然解毒薬は持ち歩いているに決まっているじゃない。あなたのそのマスクより強力な内服タイプの解毒薬をすぐに飲んだから、あなたがいくら待っても私たちが眠ることはないのよ。さあ、観念なさい!」
そう。庭先の竈にかけられた鍋の中で湯気を立てていたあの甘い香りのする桃色の半固形物は、その甘い匂いを嗅いだ者を深い眠りに落とすいわゆる『眠り薬』なのだ。
しかも開発者は私。以前、バーラート王国でとある事件に巻き込まれた際、王国の役人に協力して我が身に降りかかってきた火の粉を払ったのだが、その際に使用したものである。
面白いようにバタバタと眠りに落ちる敵対組織の構成員を見て、薬の製法の伝授と使用許可を懇願してきた王国の役人に高く売りつけたのだ。
私が開発した物なのだから私に効くはずがないのは道理である。カリンには解毒薬を飲ませることができたが、フェリスは私が制止する間もなく小屋に踏み込んでしまったので飲ませることができなかったのだ。
「あ、さっきマリーさんが口に放り込んできた目が覚めるような苦っがい薬、あれが解毒薬だったんですね」
カリンがポンと手を打って言った。
私とカリンの言葉に、『薬師』はがっくりと項垂れて、机の上に座り込んだのだった。
問題のケシの違法栽培者のアジトへ尾行してきたマルガレットたち。
アジトには恐ろしい罠が仕掛けられていたのですが、マルガレットには効きません。
彼女は以前、バーラート王国で何をしでかしたのでしょうね……その話はいずれ。
さて、バーラート人の『薬師』を追い詰めたマルガレットたち。次回は彼女の目的を尋問します。
……自分からペラペラしゃべってきて、一瞬で終わりそうですね。




