第8話 醜悪
「お父様がお亡くなりになった、ですって……」
王都からの急使は、父の死を知らせるものであった。
その訃報を聞き、取り急ぎ王都へ向かう。当然ながら継母と義妹も一緒だ。
久しぶりに訪れた王都だが、たった半年では殆ど変化などない。
しかし、もう起き上がることのなくなった父の亡骸は、見るも無残なほどに痩せ細っていた。もはや骨と皮しかないと思えるほどに……。
唯一の従者として王都に残っていた執事から詳しい話を聞く。
曰く、父は何らかの病を患っていたようだが、医者にかかる金銭的余裕もなく、不調を押して金策に奔走し、食事もあまりとらず、先日なかなか起きてこないと思ったら既に亡くなっていた、とのことだった。
私の記憶にある男爵としての父は、領地に引きこもっていたため他家との交流は無いに等しい。唯一思い出せるのは、私の元婚約者であるズリエルの実家、グロス伯爵家くらいだ。
そんな父が慌てて王都に来て、今まで親交のなかった他貴族に借金を申し出ても、誰も相手にしてくれなかったのだろう。
それどころか、継母がシモンズ男爵家の名声を落としていたのだ、なおさら厳しい状況だったであろうことは想像に難くない。
そもそも継母のヴェロニカは、元農婦で男爵家の後妻となった人物だ。
そんな出自にも拘らず、上辺だけ取り繕ったような立ち振舞や言葉遣いしかできない状態で私を見下すようになり、田舎の領地で女主人として威張り散らすようになっていた。
そのような女性が、王都で本当の貴婦人たちと接すればどうなるか?
簡単に化けの皮を剥がされる。
分かりきっていた結果は至極当然のように訪れ、勿論継母は蔑まれた。
しかし継母は、自分が身に纏うドレスや宝飾品が悪いと考え、考えなしに浪費を繰り返す。呆れるほど見事なまでに。
『お義母様、いくら見目を取り繕うとも、立ち振舞が淑女らしからねば意味はございません。どうか散財をお止めになり、ご自身の内面を磨く努力をなさってくださいまし』
そんな助言をしたところで叩かれるのは分かっていた。
だがそれでも、もしかしたら聞き入れてくれるかもしれない、そんな淡い期待を抱いて勇気を振り絞り、私は継母を宥めた……が、やはり、私は鞭で叩かれる。ある意味予定調和だ。
結局継母の散財癖は直らず、それどころかむしろ悪化し、終いには私の婚約者であったズリエルの実家、グロス伯爵家に婿入りの持参金を前渡ししろと直談判し、その金もことごとく使ってしまった。
更に父の知らない借金まで作っていたのだから、もはや目も当てられない。
そんな借金の元凶であり、元よりなかったシモンズ男爵家の名声を地に落とした継母は、「借金も返済せず亡くなるとはどういうことなの!」などと父の亡骸に叫んでいる。その姿は、ただの金の亡者としか言いようのない醜さだ。
継母が本当に醜いのは、肉団子のようになってしまった見た目ではない。目に見えない心の醜悪さだ。
父はなぜこんな女と結婚したのだろう、などと詮無きことを考え、私は現実から目を逸らした。
その後、男爵家当主のものとは思えない質素な葬儀を済ませ、父は王都の墓地で永遠の眠りに就いた。
領地と土いじりが大好きだった父を、シモンズ男爵領に葬って上げられなかったのは心残りだが、お棺を運んであげられる余裕もなかったのだ。
葬儀が終わると、王都で唯一の従者だった執事は男爵邸を出ていくと言う。
最後に、グロス伯爵家に対してどのように返済を行なっていくのか訪ねたのだが、一介の従者では知らなかった。当然だろう。
ならば私がグロス家と話し合いを、と思ったのだが、勝手なことをして継母に叱られることを考えると、まずは動く前に相談すべきだと判断した。
「お義母様、グロス家との話し合いは如何なさいますか?」
「そんなの知らないわよ。……でもそうね、向こうが何か言ってくるまで、こちらは何もしないでおきましょう」
「ですが、急に支払日だから払えと言われでもしたら――」
「無いものは払えないでしょ! それなら、請求されるまで相手にしなければいいだけのこと。それとも何、マリアンヌが娼婦にでもなって稼ぐというの?」
継母の口から発せられた娼婦という言葉に、私の体はピクリと反応し、意図せず過去の記憶が蘇る。
前世の私は、高級娼婦である姐さんに拾われて育てられたため、私自身も高級娼婦という仕事をしていた。
高級娼婦は娼婦と名にあるが、公的に認められた公娼、認められていない私娼、それらの娼婦と呼ばれる職業とは役割が違う。
娼婦は、簡単に言えば金を貰ってただ事を行なうだけだ。
しかし高級娼婦は、貴族と夜会や茶会に参加し、話術や知識などでパトロンを満足させるのが仕事。簡単に体は開かない……いやむしろ、肉体関係はほぼない。あるとすれば、それなりに納得のできる関係――娼婦と名の付くとおり金銭的――が築かれた後の、疑似恋愛に発展した場合くらいだ。
そして高級娼婦は、上辺だけで実のない会話しかしない本当の貴族夫人や令嬢より、男性を飽きさせない会話ができるため、中には本気になってしまう人もいる。
実際、私を立派な高級娼婦に育て上げてくれた姐さんは、何処かの貴族の正妻になっていた。
そして私は、高位貴族の愛妾となり、貴族同然の生活をしていた……ようだ。
記憶が完全でないため、相手の爵位などは分からない。だが、男爵家である我がシモンズ家より断然豪華な邸で、私は平時からもの凄いドレスを着ていた。
更に朧気な記憶でしかないが、孤児だった頃の私は生きることに精一杯で、残飯を漁って生き長らえていた……はず。だというのに、贅沢な環境に身をおいた私は、ひどく傲慢で嫌な女になっていたのだ。
それを考えれば、前世の私ほど贅沢な環境になったわけではないが、継母と義妹も貴族となり、農民時代には考えられなかった生活ができるようになった。それゆえ、傲慢になってしまったのも仕方ないのかもしれない。
立場や金は人を変えてしまう。
私は、前世の記憶ではあるがそれを体験している。
その結末が絞殺死なのだから、思い出したくもないのだが……。
「…………」
そういえば、出会った頃のお義母様は、姐さんに似た雰囲気の柔和な方だったわね。すっかり忘れてしまったけれども。
あの頃は素朴さを感じる一房の三つ編みだった赤茶色の髪が、今では常に夜会に参加するような盛り盛りヘアになって、髪を盛るために顔の皮膚が引っ張られ、下がっていた目尻は逆に吊り気味になってしまったのよね。
見た目が変わってしまった頃から、お義母様は姐さんとは似ても似つかない人に変貌したのだわ。
そして枝鞭を手に取り、私の心に刻み込まれていた恐怖を引きずり出し、怯える私を何度も何度も……。
――ヒュンッ
「マリアンヌ! 何をボケッとしているの!」
「……す、すみませんお義母様」
思考の逸れていた私の耳に、空気を切り裂く枝鞭の風切り音と、怒気の籠もった継母の声が聞こえ、慌てて頭を下げて謝罪の言葉を口にした。
もはや継母に対する私の立ち振舞は、淑女としてのものではなく、単なる使用人としてのものとなっている。当然今も、腰を目一杯折り、頭を深々と下げた状態だ。
空腹で気が立っているのだろうか、継母は早く食事の用意をしろと私を叩いた。
その様子を見ている義妹は、継母とは違う生来の吊目をほころばせ、ニタニタ楽しそうにしている。
そんな二人を尻目に、私は厨房へ向かった。
私は調理をしながら考える。
今の私でも、前世のように高級娼婦になれるかしら?
この考えは馬鹿げたことではない。
事実、低位貴族の美しい娘は高級娼婦になるべく育て、通常では縁談が結べないような高位貴族に嫁ぐこともある。
仮に良い縁談がなかったとしても、それなりにパトロンが付けば、一生遊んで暮らせるような稼ぎも出せるのだ。
孤児から一発逆転した前世の記憶があるため、私は高級娼婦になることを本気で悩み始めてしまった。