第9話 可能性
高級娼婦は、豊富な知識や話術で貴族を楽しませる。しかも、洗練された優雅な仕草は、貴族夫人や令嬢より優れていなければならない。
だがいくらそれらを身に付けたところで、美貌がなければ相手にされない。
会話をする前の段階で見限られてしまっては、せっかく身に付けた諸々が役に立たないからだ。
前世の私を鏡越しに見た記憶があるが、絶世の美女と呼べる容姿であった。
珍しい漆黒の長髪は艷やかで美しく、切れ長のやや釣り上がった目に、やはり珍しい黒い瞳。造形美という言葉が似合う、神に造られたような整った顔と均整の取れた体。口元のほくろが色っぽさを増し、メリハリのある体のラインがとても蠱惑的な女性。
客観的に見ても、王国一の美女と謳われていたのが納得できる美貌だ。
それを考えると、今世の私はありふれた地味な土色の髪に同色の瞳。高からず低からずな鼻に厚からず薄からずな唇は、精一杯前向きに言っても”可もなく不可もない”程度の顔立ち。
ハッキリ言って全体的に地味な私は、とても売れっ子になれるようには思えない。
しかし、全体的に地味な造りの顔だが、目だけはぱっちり二重で大きいのは利点ではないだろうか。今までは目立たないように伏し目がちにしていたが、目の周りを強調する化粧を施し、視線をもっと上げてみれば。
そして体の方は、平均的な身長より低く、今はやせ細っているが、胸だけは無駄に大きいまま。これは一般的な男性なら喜ぶ。
私を地味だなんだと毛嫌いしていた元婚約者のズリエルも、『お前は地味でつまらない女だが、胸だけは一丁前だな』などと言っていたくらいだ。
ならばどうにかなるかも、と思ったのも束の間、私が高級娼婦として大成した結果に訪れた最期が、突如として頭に思い浮かんできた。
「――――っ!」
何度も鞭で打たれ、挙句の果てにその鞭で首を絞められて絶命した記憶が、色褪せることなくハッキリと脳内に映し出される。
すると急に心臓が慌ただしくなり、呼吸もままならない。
体に力が入らなくなった私は滑るように厨房の床に倒れ伏し、魂が抜けたように意識を失ってしまった。
――バシャッ
目が覚めたら温かい布団の上……などということがあるはずもなく、私は厨房の床でずぶ濡れになっていた。
傍らには木桶を抱えた継母と義妹が私を睨め付けている。
二人は私の意識が戻ったことに気付いたらしく、急にやいのやいの喚ぎ始めた。
だがしかし、私の耳にその言葉が入ることもなく、私はただただ深い絶望に打ちひしがれてしまう。
もしかして、現状を打破できたかもしれない高級娼婦への道。しかし前世の忌々しい記憶により、私の体が全力でそれ拒絶する。
やっと見つかった私の逃げ道は、あっという間に閉ざされてしまい、私の生活は振り出しに戻ってしまった。
継母と義妹にこき使われる生活をどれくらい続けていただろうか。
起きたら日々の雑務に追われ、ときおり継母からの折檻を受けて眠るだけの日常。
時間の経過など、もはや私の記憶に残らなかった。
だがある日、珍しく継母が笑顔で話しかけてきたのだ。
「マリアンヌに婚姻の話がきたわ」
「…………?」
滅多に見せない笑顔を、これでもかと言わんばかりに見せつけてくる継母が恐ろしい。
ここ数日、たまたま叩かれていなかったのだが、この笑顔に関係があるのだろうか?
何にしても絶対に悪いことが起こる、そう思った私は警戒することに尽力し過ぎ、彼女の口から発せられた言葉の意味がすぐに理解できなかった。
「それも公爵家からよ」
「…………!」
少しだけ頭が動き出した私は、ようやく理解が追いつき、ただただ呆然としてしまう。
それは仕方ないだろう。公爵家から男爵家如きに婚姻の打診など、常識的に考えてあるはずがないのだから。
「ブラックウェル公爵家のご当主様が、後妻をお探しのようよ」
「……ブラックウェル公爵家、ですか?」
「ええそうよ。――まあ何かの手違いかもしれないけれど、こうして書状があるのだから、使わないのは愚かだわ」
継母は便箋とは違うカードを手に、ピラピラと私に見せつけた。
「だからマリアンヌは、さっさとブラックウェル公爵家に行って、とっとと手続きを済ませてきなさい」
「ですが、そんな急に……」
「事は急を要するの! まごまごしていて『間違いでした』なんてことになったらどうするの?! しかもこちらが持参金を持っていくのではなく、公爵家から援助金が出るのよ」
そんな美味い話があるものか……そう思った私は、あることが頭に思い浮かぶ。
ブラックウェル家は由緒ある公爵家で、現在の当主は前宰相だった王国の重鎮だったはず。私が聞いた噂どおりであれば、体調を崩して国政から退いている人物だ。
公爵家唯一の子である嫡男は既に成人しているらしいが、体が弱くて長らく療養しており、公に姿を現したことがないらしい。それゆえ、国政から身を引いた高齢の公爵が、未だに当主を務めているという。
それはいいとして、ブラックウェル公爵家には嫌な噂がある。
”呪われた公爵家”
なんでも公爵は、最初の妻を亡くしてから何度も後妻を娶っているが、ことごとく謎の死を遂げており、『嫁いだら最後、余命は片手でお釣りが来る』などと言われるものだ。
「――――!」
え、だから金を払ってでも嫁を迎えるってこと? 公爵家なのに男爵家に打診してくるってことは、それだけ嫁のなり手がいないってことよね?
それって、私に死ねと言ってるようなものじゃない!
継母の笑顔はそのことを知ってなのか、単にお金が手に入ることが嬉しいからなのか不明だが、私にとってはやはり悪い知らせであった。それでも私に、”断る”という選択肢はないのだろう。
しかし、このまま継母と義妹との生活を続けても、私の未来は閉ざされたままだ。
だがブラックウェル公爵家に行けば、現状は打破できる……かもしれない。
その先に明るい未来があるか分からないが、閉ざされた未来しかない今とは状況が変わる。もしかしたら、開かれた未来になる可能性もあるのだ。
それでもやはり怖い。
「……お義母様、私はシモンズ男爵家の跡取りです。私がお嫁に行くのは――」
「シモンズ男爵家にはドミニカがいます。マリアンヌは我が家にお金を入れることだけを考えなさい。男爵家のことは、あたくしとドミニカでどうにでもします」
無駄な悪足掻きをしてみたが、私の言葉を遮って継母の口を吐いて出てきた言葉は、想定どおりの内容だった。
であれば、押し問答をしても私が痛い目にあうだけ。ここは素直に受け入れるしかない。
「分かりました。ですが、こういったことは私一人ではなくお義母様もご一緒に――」
「それくらい一人でどうにかしなさい。それから、契約の類は必ずサインするのよ」
またもや私に最後まで喋らせない継母は、面倒事は私一人に任せるようだ。
貴族の婚姻を当事者だけで取りまとめることなど、本来はありえない。
そして当主を失った我がシモンズ男爵家は、未亡人の継母が頂点に君臨している。ならば通常は、継母がその手の遣り取りをすべきなのだが、彼女は農婦の頃から何も成長していないらしく、貴族の仕来りなどどうとも思っていないらしい。
「…………」
お金を払って男爵家如きから妻を娶ろうなどと思っている公爵家ですもの、仕来りなど関係ないのかもしれないわね。お義母様はそれを見越して……なんてことはありえないわ。
それにこの打診は婚姻というより、一種の人身売買みたいなものなのでしょうね。
公爵家やお義母様がどう思っているか知らないけれど、私は公爵家に売られるようなものだし……。
もはや諦めの気持ちのまま、私は公爵家に行くこととなった。




