第43話 前々々世
「前々世よりもう一世代前、前々々世の僕と君は、結婚を約束しあった仲、所謂”婚約者”だったんだ」
真面目な表情をしたレオポルドから語られた言葉は、前世や前々世の私にはなかった記憶、前々々世の話だった。
前世と前々世の記憶は、欠落しているとは言え今の私の中にある。
さらに言えば、話を聞いたり何か衝撃的な出来事が起こることで、欠けていた記憶が蘇ってもいる。だからこそ、レオポルドの話に信憑性があると思えていた。
しかし、前々々世のことを聞かされても、私はそれを思い出せない。となると、彼の口から告げられた言葉を、そのまま受け入れることができないのだ。
「君の記憶には無いようだけれど、そこがすべての始まりだったんだ」
きっと今の私は、『腑に落ちない』と書いてあるような表情をしているのだろう。
そんな私を、レオポルドはゆっくり優しく抱え上げ、ソファーに座らせる。そして私の正面で片膝になった彼は、私の両手を自身の両手で上下から挟み込む。
ソファーに座らせたことで、頭の位置が私より低くなったレオポルドは、見上げる形で深碧の瞳を私の地味な土色の瞳に合わせ、「無理に思い出そうとしなくてもいいから、真剣に聞いてほしい」と言う。
威圧的ではないが、レオポルドから鬼気迫るものを感じた私は、右手が胸元に向かいそうになる。だが、両手を彼に取られてしまっているため、腕がピクっとしただけ。
無意識に発動する私の癖が不発となり、些か落ち着かないが首を縦に振って了承の意を示した。
それを受けたレオポルドは、「では」と語り始める。
「僕と君は開拓地に住んでいた。その開拓地は、既に開墾が終わって農作業が行える場所と、更に開墾する場所とあり、僕たちは既に開墾済みの土地で農作業をしていたんだ。――物資は少なく、作物もまだ安定して収穫ができるような状況ではなく、生活はとても苦しかったよ」
マリアンヌとして農業の手伝いをしていた際、開墾する様を見たことはある。
あれはなかなかに大変そうだった。
「それでも徐々に村が出来上がり、生活は厳しいながらも農民として平凡な暮らしをしており、やがて僕と君は婚約したんだ」
レオポルドは少しだけ表情を緩めた。
当時を思い出したのだろうか?
だが彼は、一転して表情が険しくなる。
「まもなく僕と君の結婚式が行われようとしていた頃、周辺で起こった戦争が激化し、式は延期されてしまった。しかも、僕は強制兵役され、君と離れ離れにされてしまったんだ」
負の感情を見せることのないレオポルドが、珍しく唇を噛み、悔しさをありありと顕にしてる。
「やがて戦争が終わり、僕はようやく開拓村に戻ることができた。しかし待っていたのは、笑顔の君ではなく、”君の死”という知らせだった」
どこか他人事のように聞いていた私だったが、レオポルドの表情や言葉の端々に滲む無念さを感じ、居た堪れない気持ちになった。
「戦火の及んでいない村で暮らす君が、なぜ死んでしまったのか、当然気になった僕は村の者に聞いた。――どうやら君は、僕が戦争で死んでしまったと聞いたらしい」
彼は生きて帰ってきたのだとすれば、それは誤報だったのであろう。
「その知らせを聞いた君は、明るさを失い、徐々に塞ぎ込むようになっていたようだ。そして君は、『僕以外を愛せない』と言い、さらには『人を愛するから辛くなる。それなもう誰も愛さない』と誓ったらしい」
当時の私は、未婚を貫くことを決めたのだろうか?
「しかし君は、自害してしまったようだ。――君は愛することを諦めたことで、生きている意味が見出だせなかったのだろう」
今の自分とは逆だと思った。
私は愛など要らない。だけれど死ぬのだけは嫌だ。どんなに大変な仕事をしてでも、とにかく長生きしたいと思っていた。……そう、思っていたのだ。
だが私は、ブラックウェル公爵家で生活居ている内に、愛を知りたいと思うようになった。
死にたくない気持ちは変わっていないが、愛を不要だと思わなくなっており、むしろ知りたいと思い始めていたのだ。
「僕はね、間違った知らせを君に伝えた者が憎いと思ったよ。でもそれは仕方なかったんだ。僕は前線で大怪我を負ってしまって、帰郷するのに終戦から数年経っていたからね。運良く生きながらえられたのだけれど、誰もが僕は死んだと思ったことだろう。だから――」
そこで一息入れたレオポルドは、悲しそうな笑顔を浮かべた。
「僕も君を追って死んだんだ」
愛する者が亡くなってしまったら、自分も後を追って死ぬ。
人を愛するということは、そこまで重い感情を背負うのだろうか?
今の私には分からない感情だ。
「でも僕は、ただでは死にたくなかった。――だから死ぬ時、次こそ君と一緒になることを強く強く願い、絶対に君と結婚すると心に刻み、必ず成し遂げると誓って死んだんだ」
先程浮かべていた悲しい笑顔が消え、強い眼差しを向けてくるレオポルド。
私はその眼に見覚えがあった。
『僕はマリーを絶対に幸せにするよ』
思い……出した……。
愛する人と畑を耕し、厳しい生活ながらも幸せだったあの頃を。
いつも隣に寄り添い、常に優しく私を包んでいてくれたレオが、私にプロポーズしてくれた時の力強い眼だ。
ああ、と思わず納得する。
土いじりで心が落ち着く理由は、私の記憶になくても、過去の想いが心の奥底にあったからなのだろう。
私がレオを愛し、幸せを誓いあったあの頃の感情が、ずっとずっと心にはあったのだ。
心がほんわかしてくると、自然に涙が頬を伝わる。
「思い出してくれたんだね?!」
「――――」
目を見開いたレオポルドが、両手でギュッと私の手を握り、グイッと顔を寄せくる。
私は上手く言葉が発せず、ただただ首を縦に振り、きっと不細工であろう笑顔を浮かべた。
するとレオポルドは手を離し、物凄い勢いで私を抱きしめる。
苦しいほどの抱擁は、それでも私に多幸感を与えてくれた。
この王国の歴史上、最後に起こった戦争は百年以上前だ。
そんな時代から、彼はずっと私を想い、その後も私を探して見つけてくれていた。
「随分と時間がかかってしまったけど、やっと一緒になれそうだ。――でもそう思っているのは、ひょっとして僕だけかな?」
私を抱きしめる力を弱めた彼は、目まぐるしく表情を変え、最後は心配そうに私の表情を窺う。
「そんなことない! 私もレオと……レオポルド様と一緒になりたいです」
気持ちが昂ぶってしまったせいか、私は農民時代の言葉遣いと彼の名を口にしてしまい、慌てて口調を正した。
「僕のことは、大昔のようにレオと呼んでほしい」
「レオ……。なんだか恥ずかしいです。それでしたらレオも、私のことをあの頃のようにマリーと呼んでほしいです」
「もちろんさ、マリー」
「呼ばれるのも、なんだか恥ずかしいです……」
貴族でもなんでもない開拓民で、家名などどちらも持っていなかったあの頃、私はただのマリーで、彼はレオという名しかなかった。
そして今、家格こそ違えどどちらも貴族なっている。
だがマリアンヌとレオポルドという、昔の名前を愛称のように呼び会える名を授かっているのだ。なんという偶然だろうか。
「あれ?」
本当に偶然なのかしら?
「どうかしたかい?」
様々な記憶が乱雑に絡み合う脳内で、とある疑問が浮かんだ。
私はその疑問を捨て置くことはできず、レオに聞いてみることにした。




