第40話 疑心暗鬼
「ならば高級娼婦など如何です?」
継母に向けてレオポルドの口から出た高級娼婦という言葉。その言葉を聞いた私は、我が耳を疑った。
「貴女は少々薹が立っていますが、意外と需要はあるのです。私が上客を紹介してあげましょう」
満面の笑みでそう口にするレオポルドだが、深碧の瞳は少しも笑っていないどころか、蔑みを多分に含んでいる。きっと何か裏があるのだろう。
だが彼が提案したのは、少額で体を開く公娼でなければ私娼でもない。一度の利益が多く、閨事を行なうことの方が少ない高級娼婦だ。しかも上客まで充てがってもらえる。
継母の借金がいくらあるのか知らないが、上客の付いた高級娼婦であれば、一攫千金も夢ではない。数年で完済できる可能性は十分にあるだろう。肉団子のような継母に、本当に需要があると言うのであれば、の話だが……。
「男爵夫人であったあたくしに娼婦になれと?」
「貴女はご自身の立場がご理解できていないようですね。このままだと犯罪者として極刑になってしまうのですよ。それを私の厚意で”なかったことに”してあげようと言っているのです。死をお望みなのであれば、どうぞご自由に」
上から目線の言い方だが、レオポルドの継母に対する慈悲なのだろう。
散々継母から酷い目にあわされた私だが、復讐心より恐怖心が勝っているため、彼が下した判断の良し悪しが理解できない。
「……で、では、その上客とはどなたなのかしら?」
どうやら継母は、死よりも娼婦になることを選んだようだ。
私からすれば、高級娼婦は単に体を売る商売ではなく、高尚な仕事だと思っているため、その道を選ぶのは良い判断だと思っている。だが、一般的には高級娼婦の響きからか、あまり良く思われていないようだ。
「私の父ですよ」
「――――!」
レオポルド言葉を聞き、継母より私の方が反応してしまった。
それは仕方のないことだろう。なんといっても、高級娼婦だった前世の私を殺した人物なのだから。
そんな人物の相手をするということは、その先に死しかないことを私は知っている。
高級娼婦とは高尚な仕事だと思っていたが、それはまともな人を相手にしている場合だ。
前公爵が相手となった場合、高級娼婦は彼の単なる愛玩具となり、命すら安っぽいものに成り下がってしまう。
継母がこの話を受け入れた場合、後々後悔するだろう。
肉体的な苦痛を味あわされ、じわじわと精神を削られた挙げ句に殺されるより、犯罪者として投獄され、一気に処刑される方がマシだった、と。
そんなことを考えている私を他所に、笑顔で利点をつらつらと述べるレオポルド。
私が平和そうに公爵邸で生活していることで、公爵家の悪い噂などすっかり忘れている様子の継母。
レオポルドの話を聞き、貧乏男爵家の未亡人より、前公爵を相手に娼婦をする方が良い生活ができると感じたのだろう、継母は彼の提案を快諾していた。
継母の未来が閉ざされたことをうっすら感じた。いや、むしろ既に閉ざされたと言えるかもしれない。
私に苦痛を与え続けてきた恨むべき相手である継母だが、ざまあみろとは思えない。だからといって、どうにかしてあげたいとも思わない。
これでやっと継母の呪縛から逃れられる、その思いが一番強かった。
「シモンヌ男爵家に、もう用などないわ」
醜悪な笑みを浮かべ、継母はすっかりごきげんになっていた。
だが一人、浮かない顔の人物がいる。
継母の実娘であり私の義妹であるドミニカだ。
私の記憶では、あの継母であっても愛娘のドミニカはしっかり可愛がっていた。
しかし、追い詰められた状況から一点、自身の明るい未来が決まったことで、ドミニカのことなど忘れてしまっているようだ。
衛兵に両側から腕を取られ、血の気の引けた青い表情で立ち竦むドミニカに、レオポルドは胡散臭い笑顔を浮かべて話しかける。
「君はどうする?」
何の選択肢も与えず、とても大雑把な問を投げ掛けた。
「どど、どうすれば、よ、よいの、ですか?」
ドミニカはおずおずと質問した。
彼女は器量良しでもなければ、見目も『悪くはない』程度だ。
もっと言えば、私にだけは強気でも元来の性格は引っ込み思案である。そして十三歳の未成年だ。
「高級娼婦を目指してみるかい? 頑張り次第では、裕福な生活ができるようになるよ」
「……わ、分かりました」
何も考えられなかったであろうドミニカは、唯一提示された選択肢を選んだ。
そして公爵の護衛に捕縛された継母と義妹は、公爵邸へと向けて馬車で旅立っていった。
もちろん多くの衛兵に囲まれているのだが、その様は囚人の護送そのものだ。
「さて、必要な書類を集めよう」
「何の書類ですか?」
二人を送り出したレオポルドは、楽しそうに書類集めをすると言ってきた。だが私には、何のことやらさっぱり分からない。
「ブラックウェル公爵家の後ろ盾でマリアンヌが男爵家を引き継ぎ、それを持参金に僕へ嫁ぐ。そのために必要な書類だね」
「も、もしかして、レオポルド様は最初からシモンズ男爵家を乗っ取るおつもりで……」
これはレオポルドが計画した、シモンズ男爵家乗っ取りだったのではないか、そんなことが頭に思い浮かび、つい言葉にしてしまった。
「それは心外だなぁ。僕はね、シモンズ家のことを調べていて、領民が大変な思いをしていると知ったんだ。だから領地は公爵がしっかり統治し、今まで苦しめられていた領民を救おうと思っているんだよ」
「そうなのですか?」
「ああそうさ。当面はブラックウェル公爵家が面倒を見るけれど、ゆくゆくは僕とマリアンヌの子どもの一人に男爵位を与え、独立させるつもりだよ」
私は自分のことばかりで、領民のことなど考えていなかったが、領民に混ざって土いじりをしていた幼い頃を思い出す。
笑顔を向けてきてくれた領民の顔が、ぽつりぽつりと私の脳裏に浮かぶ。その笑顔は、領主の娘に仕方なく向けていたのかもしれないが、それだけではない慈しみの感情が込められていたような気がする。
それを思うと、彼らが安心して生活できるようになるのは、本当にありがたいと思った。
私の思いつかなかったことまで考えてくれていたレオポルド。彼に感謝の気持ちが湧くと同時に、先程までの遣り取りを思い出してしまう。
継母と義妹を前公爵に差し出すなど、やはり彼は恐ろしい人なのでは、と。
そう思ってしまうと、レオポルドから向けられた笑顔が、いやに恐ろしく感じてしまった。
どうやら生前の父が必要な書類を王都に持ってきていたようで、申請に必要な書類はすべて入手できた。
それを持って持って馬車に乗り込み、ようやく公爵邸への帰路に就く。
しかし、箱馬車という限られた狭い空間で、疑心暗鬼な心境の私はレオポルドと二人きりの状況が怖く、表面上どう見えているか不明だが、内心は落ち着いていられなかった。
そんな私をレオポルドは、「疲れたかい?」と気に掛けてくれる。
だがそれすらも素直に受け取れず、「少し疲れました」と答えた私は、右手で胸元を握ったまま寝たフリをした。
公爵邸に着くと、湯浴みをして夕食を済ませる。
食事中は、疲れた――と思われている――私を気遣っていたのだろうか、レオポルドは当たり障りのない会話を少しする程度であった。
食後は自室に戻り、今夜は早く寝よう、そう思って従者を下げてベッドに向かうと、何食わぬ顔でレオポルドがやってきた。
「どうかなさいましたか?」
できれば今夜はそっとしておいてほしかったのだが、『寝るから出て行け』などと言えるはずもなく、取り繕った笑顔を浮かべてソファーへと戻った。
そんな私に対し、満面の笑みを浮かべるレオポルド。しかし何か違和感がある。
はて? 小首を傾げて考えてみると、レオポルドの右手が後ろに回されていることに気付いた。
――ヒュン
「――――!」
突然聞こえた空気を切り裂く音。
私は悲鳴を上げることさえできず、着席する寸前だった体はソファーではなく、床にべたりとしゃがみこんでしまった。
恐る恐る視線を上げると、そこには鞭を手にしたレオポルドが佇んでいる。
私は何も考えることもできず、ただただ体を震わせた。