第37話 歪んだ笑み
「マリアンヌ、明日から少し忙しくなるよ」
いつものように執務を終え、私の部屋を訪れたレオポルドがそんなことを言ってきた。
「レオポルド様は、現状でも大変お忙しいそうです。今よりも更にお忙しくなるのですか?」
目の下に隈があるのは、もはや当然となったレオポルド。彼はパッと見で分かるほどやつれてしまっている。それだけ忙しくしているというのに、更に忙しくなって大丈夫なのだろうか。
大体にしてレオポルドは、体が弱かった元王女である母の体質を受け継いでしまったのか、生まれたときから虚弱体質で、医療の進んだ隣国で十七年近く療養していたと聞く。
だというのに、精力的に活動している今現在、健康な者でもいつ倒れてもおかしくないような生活を続けている。それは私からすると、とても心配なことであった。
「問題ないよ。今までの忙しさは、明日からの準備のようなものだったからね。これが片付けば一気に楽になる予定だよ。だから心配しないで」
「そうなのですか? でも無理はなさらないでくださいね」
「大丈夫さ」
いくら大丈夫と言われても、見た感じが大丈夫そうではないのだから、やはり心配になってしまう。
「それでね、明日からはマリアンヌも僕の執務室にきてほしいんだ」
レオポルドが何をしているのか知らないが、ついに私が呼ばれた。
ようやく、私が役に立てる機会がやってきたようだ。
私はレオポルドと離れた方がよいと思いつつ離れられない。
現状は何の動きも見せない継母だが、私がいることできっとブラックウェル公爵家に迷惑をかける。だから私は、役に立つどころか足を引っ張る存在だ。
それでもレオポルドは、私をシモンズ家へ返してくれない。
ならば、与えられた仕事を確実にこなし、現状を打破するしかないだろう。
「私にお手伝いできることがあるのでしたら、精一杯頑張りますね!」
やる気に満ちた私は、ふんすふんすと鼻息も荒く答えた。
「いや、マリアンヌには僕が何をしているのか知っていてもらいたいだけで、特に手伝ってもらうことはないよ」
「あ、そうですか……」
出鼻を挫かれてしまった。
それでもレオポルドの仕事を知ることで、私が役立てる可能性がある。
だから私は、明日から真剣に彼の仕事を覚えよう、そう決意した。
「マリアンヌはブラックウェル公爵領を見て、どんな印象を受けた?」
翌日、朝食を終えてレオポルドの執務室に行くと、向かいのソファーに座った彼から質問をされた。
「王国でも優良な土地を与えられる公爵家らしく、広い土地に多くの産業がある、とても素晴らしい領地だと思いました。さすが公爵領です」
「マリアンヌにはそう見えたんだね」
「何か間違っていますか?」
「いや、間違っていないよ」
レオポルドの言い方からすると、私の見立ては間違っているように思えてしまう。
「実は、マリアンヌには敢えて見せていなかった部分があるんだ」
「そうなのですか?」
「ああ。我が領はね、父のせいで実は大変なことになっているんだ」
「――――!」
思わずビクッとしてしまった。
レオポルドの言う父とは、前世で私を殺した前公爵。そんな人物のことなど、できれば聞きたくないのだが、聞かないわけにはいかないのだろう。
私は表に出さずに心の中だけで落胆していたのだが、レオポルドは私の僅かな変化に気付いたのか、少し探るような視線を向けてきた。けれど私は咄嗟に口を開き、「どう大変なのですか?」と聞くことで彼の意識を逸らす。
腑に落ちないといった表情を見せたレオポルドだが、仕方ないとばかりにため息を吐いてから、ブラックウェル領について説明してくれた。
前公爵は、公爵領各地の代官に領地運営を任せていたが、それでも大事な決算や決議の決定は前公爵が行なっていた。
しかし国政から身を引いた際、決算などを含めた公爵領のすべてを、各代官に丸投げしていたのだという。
任された代官達は、当時の公爵――前公爵――が何も言ってこないことをいいことに、次第にやりたい放題になっていく。
その最たるものが横領で、公爵領内の至る所に蔓延っていた。
やり口は、勝手に税率を上げて増えた分の税金をそのまま着服する、といった杜撰な方法だ。
「でもマリアンヌには、敢えて収穫の終わった農地を見せ、元から重労働だと分かっている重い荷を運ぶ採掘場や、必死に汗水垂らして作業をする工房を見学させたんだ。実際、農民などは貧困にあえいでいて、皆が皆やせ細って疲れ切っている。そんな住民を見せないようにしていたんだよ」
言われてみれば、私が行った場所はあまり領民がいなかった。
しかしレオポルドは、そんなものはすぐにどうにでもできると言う。
問題なのは他領との取引で、特に問題なのがグロス伯爵なのだとか。
伯爵領は縫製業が盛んで、絹や綿の生産地である公爵領から殆どの仕入れをしていたらしい。
「グロス伯爵は、我が領の代官が好き勝手やっていることに気付いたようで、そのことを使って脅していたようなんだ。そこで、『知らんぷりしてやるから、自領の仕入れ値を格安にしろ』と。その代わりに代官へ少しだけ金銭を渡し、代官だけは得するように便宜を図っていたんだ」
グロス伯爵家は、私の元婚約者ズリエルの実家。
ズリエルの父である伯爵は、貴族らしいスラッとした見目ではなく、豪商のようなでっぷりとした品のない人物だ。
「そこでグロス伯爵を調べてみたら、どうやらシモンズ男爵家乗っ取りを考えていたようなんだ」
「それは、私とズリエルの婚約が破棄されたからですか?」
「そうだね」
よくできました、とでも言い出しそうな笑みを浮かべるレオポルド。だが――
「でも、もう好きにはさせないよ」
口角を上げ、ニヤリと悪い笑みへと変貌させた。
私とレオポルドは、お互いに目を合わせて会話をしている。
しかし、歪んだ笑みを浮かべた彼の深碧の瞳は、私ではない何処かを見ているようで、それがどうにも恐ろしかった。




