第28話 専属侍女ノーラ
レオポルドの休日二日目はどう過ごすのかと思っていたら、「今日は仕立て屋を呼んでおいたから」と朝食時に伝えられた。
公爵家に用意されていた私のドレスは既成品ばかりで、私に着付ける際に毎度調整してくれていたらしい。
そして当初はガリガリだった私の体が、ようやく人並み程度に肉付いてきたことで、侍女の方から私の体に合うドレスを仕立てた方が良い、と意見が上がってきたと言う。
それはレオポルドも感じていたらしく、早速仕立て屋を呼び出したとのことだった。
そもそも私は、低身長でガリガリだが胸だけは大きい、という既成品では対応しにくい体型だ。それにも拘わらず、常に私用に仕立て上げたと言わんばかりに、キッチリ調整してくれたケイトらの手腕は、公爵家の侍女に恥じない素晴らしいものだったのだと実感する。
だがそれでも、当人に合わせた仕立て品とは違うようで、やはり違和感があったようだ。
私からすれば十二分でだったのだが、公爵家ともなると、その僅かな違和感さえも許されないのだろう。
「差し出がましいようですが、マリアンヌ様のお背中の傷は……」
私の採寸を始めた仕立て屋の女性主人に、当然のように背中の傷を指摘された。
「これは幼い頃に――――という訳ですので、レオポルド様には内緒にしておいてくださいね。おてんばでドジだったと知られたら、嫌われてしまいそうで怖いのです」
いつものように言い訳をしておいた。
間違ってもレオポルドに”虐待趣味がある”などと思われてはいけない。彼は傷のことを知らないのだと深く印象づけるように、私は目をうるうるさせて懇願する演技までして伝えたのだ。
「かしこまりました。――閣下からは夜会や茶会、普段着から外出着、旅行用などなど、各種用意するようにと言い付かっております。つきましては、マリアンヌ様のご希望をお伺いしたいのですが、お気に入りのお色やデザイン、生地などございますでしょうか?」
「その辺りはお任せします」
王家御用達だという仕立て屋だ、素人が下手なことを言うより、すべてお任せしてしまった方がいい。
貴族学院の卒業式典用に仕立てドレスは、仕立て屋の意見を一切排除して継母の意見のみで作られた。その結果、私だけが過去の遺物のようなドレスを着ていて、笑い者になった苦い記憶がある。
ここで私が意見を伝え、自分で自分を笑い者に仕立て上げてしまわないよう、専門家にお任せするのが一番だ。
「あ、一点だけいいですか?」
「なんなりと」
「背中が大きく開いたデザインだけは、なしの方向でお願いします」
「心得ております」
わざわざ言うまでもなく、その辺りは考慮してくれていたようだ。
その後、仕立て屋が持参してきた生地などを見て、年嵩の侍女長ケイト、専属侍女母娘の母ノーラと娘リリーが、「マリアンヌ様にはこのお色が」「普段使いはこの生地が」などなど、何も言わない私の代わりに沢山の意見を出してくれていた。実にありがたい。
結局この日は、途中に休憩や昼食を挟み、一日を仕立て関係だけで使い切ってしまった。
仕立て屋を見送ると、ノーラと二人で自室に戻る。
ケイトは途中から別の仕事で席を外し、リリーは夕食の手伝いで厨房に向かっていた。
「マリアンヌ様、少し私の話を聞いていただけないでしょうか?」
「ノーラさんのお話ですか? いいですよ」
出会ってから日の浅い専属侍女のノーラだが、凄く頼れるというのもあるが、なんとなく親しみ易くて既にかなり打ち解けている。
それでもノーラ自身の話など聞く機会はないため、少し興味があるし楽しみだ。
「途中で何か思われるかもしれませんが、最後までお聞きいただければ幸いでございます」
真剣な表情でそう告げたノーラは、灰褐色の瞳で私を見つめるて語り始める。
彼女の語った内容はこうだ。
前公爵は、当時の国王の妹である王女を妻に迎えていた。
元王女である奥様は体が弱く、前公爵はかなり気を遣っていた様子。その気疲れからか、高級娼婦に入れ込み、あまつさえ公爵邸に迎え入れて寵愛した。
ノーラはその高級娼婦の世話を命じられる。
その高級娼婦はマリリンと言う名で、王国一の美女と名高い人物であったらしく、実際に漆黒の長髪は艷やかで美しく、切れ長のやや釣り上がった目に黒い瞳と言う珍しい色味と相まって、ノーラも女だてらに見惚れてしまったのだとか。
そして造形美という言葉が似合う、作られたように整った顔と、均整の取れた体はメリハリがあって妙に艶っぽく、口元のほくろが色っぽさを増長しており、美しいだけでなく妖艶さも兼ね揃えていた。
しかし、日中は仕立て屋や宝石商を呼び出しては散財し、必要以上に公爵邸で夜会を開いたりしていたことから、内面は美しいとは言えないような人物に思えた。
だが公爵邸に入って半年もすると、そのような行動はなくなり、すっかり大人しくなる。
以降、それまではただの使用人として接していたノーラと、普通に会話を交わすようになった。
日中は庭に出て、庭師と庭の手入れをしたりするようにもなる。
以前の傲慢さが嘘のように、穏やかな生活をするようになっていたのだ。
一方で、かなりの資産家でもあったマリリンは、姉と慕うレオノーラという人物の影響もあり、情報収集は常に行っていた。それも私財を使い、貧しい人達を雇って仕事を与えつつ。さらに孤児院に寄与もしており、貧しい者をとても気にかけていた。
そして、彼女が姐さんと呼ぶレオノーラに名が似ているノーラは可愛がられ、『貴女を立派な高級娼婦にしてあげるわ』といわれ、いろいろと教えられたりもしたと言う。
ある頃から、マリリンが背中に傷を負うことが増えた。その傷は、明らかに鞭などで打たれたものだと分かる。
そのことを問いただしても、マリリンは『気にするな』と言い、何も語らない。
しかしノーラは、マリリンが良い人物だと知ってしまった以上、力になりたいと考える。だが所詮は使用人、勝手なことはできない。
それからマリリンは変わってしまった。
常に何かに怯え、ノーラにさえ敬語を使って『すみません、申し訳ございません』と頭を下げるのだ。
そんなマリリンを見るのは、とても居た堪れない気持ちになったと言う。
だがマリリンが心を取り戻すこともあった。
姐さんと呼ぶレオノーラとの手紙の遣り取りだ。
精神の錯乱を起こしていたマリリンでも、手紙を受け取ると『姐さんが念願の男爵夫人になったそうよ』とか『畑しかない田舎のようだけれど、長閑で凄く過ごし易いのですって』や『ついにご懐妊したそうよ』などと笑顔でノーラに教えてくれる。
しかしそんなマリリンも、若くして命を落としてしまったようだ。
一歳を迎えて隣国に療養に出る”レオポルド”付きとなったノーラは、マリリンの死を手紙で知ったと言う。
首吊りによる自死だったらしい。
「…………ノーラさんは、何故そのお話を私に聞かせたのですか?」
ノーラの話に、思うところは多々ある。だがまずは、話を聞かせてきた意図が知りたかった。
「マリアンヌ様の背中の傷は、マリリン様の傷と同じ類のものです。私はあの痛ましい傷の数々を今でも覚えております。――マリリン様も何も仰らなかったですが、あの傷は鞭で打たれたものです」
「…………」
「マリアンヌ様も深いご事情がおありなのでしょう。なので詮索する気はございません。ですが、お一人でお抱えにならず、何かあれば私に言ってほしいのです」
侍女として毅然とした態度のノーラは、感情を見せることはない。
だが今、そのノーラが不安そうな表情で私に訴えかけてきているのだ。
「マリアンヌ様には、マリリン様とどこか似た雰囲気を感じます。――マリリン様は、きっと悩みを抱えていたのでしょう。それを吐き出すこともできず、思い悩んで自死を選んでしまったのだと思います」
「…………」
「勝手な思い込みで大変不躾なことを言いますと、マリアンヌ様にはマリリン様のような最期を迎えてほしくないのです。心の内に溜め込まず、何かあれば吐き出してくださいませ」
「…………」
懇願するように言うノーラに対し、私は何も言葉が出せなかった。