第29話 ノーラとリリー
ノーラから聞いた話はとても衝撃的だった。
だが単に衝撃を受けただけではない。
前公爵が寵愛していた高級娼婦が、王国一の美女と呼ばれ、珍しい黒髪と黒目であったこと。その特徴を聞いたことで、前世の私だと分かってしまったことが衝撃だった。
はっきりとした記憶が甦ったわけではないが、私の知り得ている自身の情報と合致する部分が多く、何より心が否定していないのが証拠と言えよう。
そしてもう一点、ノーラは前世の私――マリリンの専属侍女から、”レオポルド”付きとなっている。
そこから分かるのは、私を殺した張本人とは、遠い過去に存在したブラックウェル公爵家の当主ではなく、まだ会っていない存命中の前公爵だということだ。
”呪われた公爵家”の噂の始まりは、私の死から始まっていた、ということだろう。
だが、時間軸的におかしい気がする。
「ノーラさん、マリリン様はレオポルド様が療養に出た何年後にお亡くなりになったのですか?」
「約二年後でございます」
「二年後……」
レオポルド様は二十歳くらいに見えたけれど、実際はまだ十八歳。私とは二歳の差。でもノーラさんから聞いたとおりであれば、マリリンであった私が亡くなったときのレオポルド様は三歳。マリリンである私が亡くなったとき、マリアンヌである私は一歳になっている。
ということは、マリリンは私ではなかった……ということはないでしょうね。
だって、ノーラさんのお話を聞いてから、前世の記憶が増えているのですもの。
特に、一歳のレオポルド様を抱いた記憶が蘇ってしまっているのだから、別人ということはありえないわ……。
「すみませんノーラさん、少し考え事があるので、一人にしてもらってもいいですか?」
「……かしこまりました。ですが、何かあればすぐにお声がけくださいませ」
「分かりました」
今思えば、初めて会ったノーラに懐かしさのようなものを感じたのは、前世からの関係からなのだろう。
先程甦った記憶の一部、その私の傍にはノーラの娘リリーに似た侍女がいた。そしてその侍女こそが、若かりし頃のノーラに違いない。
「はぁー、もうどうすればいいのよ」
以前、掃除の際に見かけた肖像画から、前々世の私はブラックウェル公爵家の者だったと感じ、前世の私がブラックウェル公爵家で殺されたのかもしれないと推測した。だが記憶が蘇らなかったことで、私の思い過ごしかもしれないと思い、可能性の一つとして心に留めておいたのだ。
しかし、推測が思い過ごしではなく、ほぼ確定してしまった。
更に、前世で私を殺した人物は勝手に故人だと思っていが、未だ存命かつ同じ邸に住んでいる。それはとても恐ろしいことだ。
現状、レオポルドに近付くなと注意されていることもあり、前公爵とは顔を会わせていない。私もわざわざ会おうとも思わないし、行動にも起こしていない。
だがしかし、前公爵の方がこちらに寄ってくる可能性がある。体調不良らしいが、寝たきりなのかどうかも知らないのだ、もしかしたらバッタリ会ってしまうことも、可能性としてなくはない……。
不安が込み上げてくると、不意に記憶が補填された。
前公爵も、当初は偏った歪な愛情を私に向けていたわけではなかったため、私は少なからず気を許していたようだ。だが豹変してしまい、結果的に私を殺している。
それを考えると、レオポルドが豹変しないとは言い切れない。
私がレオポルドに寵愛されることを恐れていたのは、親しい者に殺される可能性があるからだ。
しかし、寵愛されることそのものが危険なのだと認識した。
今までも気をつけていたつもりだが、昨日は二人で出かけてすっかり楽しんでしまっている。もう少し気をしっかり持ち、もっと警戒すべきだろう。
だがそれも難しい。あからさまに拒絶などしてしまえばレオポルドが機嫌を損ね、想定とは違う方向から豹変してしまう可能性がある。
自分から彼を変えてしまう言動は、自分の首を絞めることに他ならない。
気を許さず、機嫌を損ねず、当たり障りなくやり過ごす。このことを心掛けねばならないだろう。
「マリアンヌ様、夕食の準備が整いました」
「ありがとうございますリリーさん」
頭を悩ませている間に随分と時間が経っていたようで、専属侍女の娘の方であるリリーが呼びにきてくれた。
彼女にもノーラに対するほどではないが、初対面のときから懐かしさを感じていた。それが記憶の中の若いノーラに似ているからだと判明し、ストンと腑に落ちる。
そして、思考が悪い方向へ流れていた私は、心の靄が少し晴れたことと、一生懸命頑張っているリリーを見たことで、微笑ましい気持ちから表情も緩んでしまった。
「マリアンヌ様、何か良いことでもありましたか?」
「良いことでしたら、いつもどおりリリーさんが頑張っている姿を、今日も見れたことですね」
リリーは自分の努力を認められたのが嬉しかったのだろうか、肩口で揃えられた焦茶色の髪を僅かに揺らし、灰褐色の瞳を輝かせ、喜びという感情たっぷりの笑顔を見せてくれた。
彼女の微笑む様は、感情を隠すことが常である侍女らしくないのかもしれないが、今の私にはありがたい。私は心の中でそっとリリーに感謝した。
リリーのお蔭で少しだけ気持ちが軽くなった私だが、食事の席は緊張しどおしだ。
レオポルドは「良いドレスが作れそうかい?」などと、相変わらず優しい口調と表情で話しかけてくる。それこそ、警戒する必要などまったく感じさせない穏やかな雰囲気で。だがそれが逆に怖い。
この笑顔で鞭を振るい、表情を喜悦に歪めるようになったら……。
「食が進んでないようだけれど、体調でも悪いのかい?」
「……あ、いえ。慣れない採寸で、少しだけ疲れたのかもしれません」
「う~ん、それなら明日はゆっくり休むといい」
「それではレオポルド様の休暇が無駄になってしまいます。一晩眠れば疲れなどすぐ取れますので」
せっかく一緒に行動しなくてもよい旨の言葉を貰ったが、それでは駄目だ。
レオポルドの休暇は残り二日。その後はまた今までどおりの生活に戻るはず。
ならばこの二日は、多少なりとも彼のご機嫌取りをすべきだ。そう思った私は、問題ないことを伝えた。
「無理をする必要はないんだよ」
「無理などしてはおりません」
「そう」
「はい」
この優しさがいつまでも続いてくれれば……などとないものねだりをしつつ、夕食はどうにか問題なく終わってくれた。
「マリアンヌ様、本日は余計な話をしてしまい、申し訳ございませんでした」
「そんなことないですよ。ノーラさんのお話は、大変興味深いものでした。何かありましたら、頼りにさせてもらいますね」
「ありがとうございます」
私の世話を終えたノーラが、部屋を出る直前に謝ってきた。
確かに聞きたくない話であったが、それにより詳しい状況が少しだけ分かったのだ、知らないより知っていた方が私の選択肢は広がる。
感謝こそすれ、攻めるつもりは毛頭なかった。
「ふぅ~、言い訳ではなく、本当に今日は疲れたわ。それに明日はレオポルド様と一緒に行動しないといけないし……。明日は何をするのかしら?」
レオポルドは相変わらず予定を教えてくれない。
そのため、心構えもなくただ当日を待たねばいけないのは、やはり心に負担がかかる。
「明日は何事もなく過ごしたいわね」
不安を押し殺し、明日が少しでも平和であることを願いながら、私は眠りに就いた。




