第26話 侍女
夜会の翌日、私の部屋が変更された。
今までの部屋は客室だったのだが、陛下から婚姻の許可が降りたため、私は正真正銘レオポルドの婚約者となり、公爵家の者が住まう居住区に移動することになったようだ。
とはいえ、さすがに婚姻を結ぶまでは公爵夫人の部屋に住むことはない。
「ケイトさん、今までのお部屋も凄かったですけど、このお部屋も凄いですね」
私は世話をしてくれるケイトに話しかけた。
「客室は公爵家にお泊りになるお客様に、公爵家の威厳を見せつける意味合いがございます。だからといって、公爵家の方々が日々を過ごすお部屋の方が劣る、などということがあってはならないのです」
使用人として様々な部屋に出入りしていた私からすると、結局この公爵邸はどこも凄い部屋ばかりなのだ、劣った部屋などないのだろう。
「それにしても……」
「どうかなさいましたか?」
「あ、いいえ、なんでもありません」
ケイトにはなんでもないと答えてみたものの、私はこの部屋に妙な既視感のようなものがある。
掃除でも入ったこともない部屋で、今初めて入ったはずなのだが……。
「それではマリアンヌ様、本日はどのようになさいますか?」
「いつもどおりお願いします」
「かしこまりました」
部屋の移動こそあったが、邸にいる従者達の態度に変化はない。
きっと私がこの邸にきた当初から、私をレオポルドの婚約者として認識していたのだろう。それでいて、私に侍女の仕事を与えてくれていたのだ。
ならば、部屋に籠もってあれこれ考えるより、仕事をして考える余裕のないほど体を動かした方がいい、私はそう思った。
それから数日、私は今までと変わらず侍女として生活をしている。
レオポルドは何かと忙しいらしく、夜会の日以降は顔を合わせていない。
少し前には、レオポルドに会えないことを少々寂しく感じたりもしたが、今は会えないことにホッとしている。
現実逃避なのかもしれないが、できるだけ考え事をしたくないのだ。
そうこうしていると、公爵家の従者が少し増えていた。
公爵家の財政がよろしくないことを知り、従者が少ないことに納得をしていたのだが、レオポルドが何か手を打って財政が上向いてきたのだろう。だから従者を増やす余裕ができたのかもしれない。
なにせ、私に専属の侍女が付いたくらいなのだから。
私も貴族の端くれ、一応シモンズ男爵家にも侍女はいたけれど、専属が付いたことはない。主従が家族のような感じだったため、専属でなくても皆がよくしてくれていた。
それでも、私自身が自分のことは自分でやりたい質だったため、あまり侍女にお世話をされたことがない。ましてや専属など、私には勿体無いと思ってしまう。
公爵家にきてケイトに世話をされたりもしたが、それは出かける前などだけで、彼女は専属ではなかった。……いや、専属のようではあったのは事実だが……。
むしろ、ケイトは最初の見立てどおり侍女長だったため、そんな人にあれこれしてもらっていたのは申し訳ない。
さて、新しく私の専属となった侍女は二人で、『なんだか似てるな』と思ったらそれもそのはず、彼女らは母娘だというのだ。
三十代後半くらいのベテラン侍女といった雰囲気で、キリッとした母のノーラ。
少々頼りない感じがする、未成年でまだ見習いだという娘のリリー。
二人共、焦茶色の髪に灰褐色の瞳をしている。
彼女たちとは初対面なのだが、なぜか懐かしさのようなものを感じてしまう。特に侍女母のノーラに対して。
専属となった二人は隣国でレオポルドの世話をしていたらしく、『私達がお世話をするのは当然』と言わんばかりに世話を焼いてくるため、私が断っても着替えや湯浴みなどを手伝ってきた。
そうなれば、当然のことながら背中の古傷を指摘してくる。
既にケイトなどには知られているが、改めて誤魔化すための言い訳をして、四の五の言わせずに押し切ってしまった。
侍女長であるケイトは、私が侍女の仕事をすることを認めてくれたのだが、専属侍女となったノーラがそうはさせてくれない。
「坊ちゃまは公爵家とは離れて過ごされていたため、少々考え方が特殊なのです。しかしマリアンヌ様は、これから公爵夫人となられるお方。公爵家当主としての在り方など、常識の欠けている坊ちゃまの補佐をしていただなければなりません」
そんな風にまくしたてられてしまうと、『侍女の仕事がしたい』と私が言えるはずもなく、大人しく引き下がるより他なかった。
たとえ私にその気がなかろうと、状況的に公爵夫人にならざるを得ないのだから。
「困ったわ。何をすればよいのか分からないわ」
使用人として働けなくなった私は、何をすればよいのか思い浮かばなかった。
女主人になる身であっても、現状はまだ違う。変に出しゃばるのは拙いだろう。
それに、田舎男爵家と公爵家では女主人に求められることも違うだろうから、やはり何をすべきか分からないのだ。
「う~ん……。――あっ!」
私は思い出した、前世の高級娼婦時代を。
貴族男性との会話を弾ませるため、私は姐さんの教えに従い、日々様々な情報を集めていた。
今でもその知識は多少あるのだが、情報とは時間の変化で必要な内容も変わる。
今世の私は、そういった情報を集めるようなこともなく、貴族学院でたまに噂話を耳にした程度だった。
「王都であれば、新聞や情報誌が比較的楽に手に入るわよね」
前世でも活用していた媒体だが、当時は滅多に発行されていなかった。
しかし今は、記憶の中より多く発行されている。しかもここは王都だ、田舎とは比べ物にならないほど容易に入手できるのだから、使わない手はない。
表に出てこない裏取引のような情報は、きっと新聞などには出ないだろう。それでも貴族間の会話に事欠かない情報は集まるはず。
「レオポルド様が暴力的な人格へ豹変する可能性もあるのだから、そうなられないよう、私が使えると思っていただかないといけないわ。変に寵愛されるより、駒として使えると思われた方が、きっと私は安全……だと思うのよね」
今は部屋に誰もいないことをいいことに、私はべらべらと独り言を零していた。
「マリアンヌ様、お一人にしていまい申し訳ございません」
「気にしないでください。それよりノーラさん、新聞と情報誌を入手することは可能ですか?」
「可能でございます」
「でしたら、いろいろと勉強したいので取り寄せてほしいのです」
「かしこまりました」
こうして私は、現状に則した生き方――長生きするために今すべきことをする。
そうして日々情報収集に明け暮れ、ときおり淑女らしく刺繍などをして過ごしていたが、王宮での夜会以降会っていなかったレオポルドと、久々に対面することになった。
ノーラが言うには、レオポルドは今晩遅くに邸へ到着するため、会うのは翌日の朝食時になる、とのことだ。
そして、明日はただ会うと聞かされただけで、具体的な要件は伝えられていない。
毎度のことながら、私への連絡は『明日戻る』『明日会う』といった事前にも程がある直前で、説明が少ないことと合わせて、相変わらず私の扱いがぞんざいだ。
会って何を話し、何をするのか分かっていない状況は、私の心を不安にさせた。
しかし私に拒否権はない。
最近の私はぐっすり眠れていたのだが、この日は久々に眠れぬ夜を過ごした。